ミニアルバム『WILL』インタビュー

牧野由依はなぜ復帰作で“声”をテーマにしたのか 本人が明かす、歌手活動休止の真相と次の一歩

 牧野由依が、3月21日にミニアルバム『WILL』をリリースした。同作は昨年7月、牧野がライブで喉を痛め、アーティスト活動を休止した期間を経てリリースされたもので、彼女にとっても非常に大きな意味を持つ作品に仕上がっている。

 リアルサウンドでは今回、7月のライブの裏で何が起こっていたのかに迫りつつ、休止期間を経て掴んだ新たな表現や、「声」をテーマにしたミニアルバムを作った理由、岡本真夜からの楽曲提供秘話、kz(livetune)提供曲「ハウリング」の重要性などについて、じっくりと話を聞いた。【※インタビュー最後にプレゼント情報あり】(編集部)

「自分に自信も魅力も感じなくなってしまっていた」 

ーー今作に至るまでは色々トピックがありましたが、何より大きいのは7月の「Yui Makino Live『Reset&Happiness』」で喉を痛め、約半年間にわたり個人名義でのアーティスト活動を休止せざるを得なくなってしまったことだと思います。まずはその経緯について改めて聞かせてください。

牧野由依(以下、牧野):当時はありがたいことにスケジュールが詰まっていた時期で、いつも以上に風邪や体調不良にも注意して、ケアも行なっていたんですけど、どこかで痛めてしまったんですよね。考えうる限りの対策はしたのですが、気づかない間に悪化していたようです。ライブの1日目は特に何も感じることなく、むしろ手応えを掴んでいたくらいでした。なのに、2日目の朝に声が出なくなって。

ーーでも、公演は予定通りに実施したわけですね。

牧野:病院にも行こうとしたんですけど、休日ということでどこも開いていませんでした。体をマッサージでほぐしたり、薬を飲んだり保湿したり、ありとあらゆることを試したし、リハも控えめにやったんですけど、本番15分前くらいにはイヤモニをつけて衣装を着た状態で高音が出なくなって。序盤に弾き語りで「What A Beautiful World」を歌うつもりだったんですけど、高音が殆ど声になっていないという状態になり、急遽セットリストから音数の少ない、ごまかしのきかない曲をカットしました。ステージに上がったら意外と大丈夫、みたいなこともあるかもしれないなと考えていたんですが……。

ーー「アドレナリンが出て、乗り切れるかもしれない」という希望にすがったと。

牧野:そうです。実際、ステージに出て1曲目を歌っている間は「大丈夫かもしれない」という状態だったんですが、バラード調の楽曲に入ったとき、ごまかしきれないくらい声が出なくなってきて。隠し通してやるのは無理と思ったので、MCで皆さんに向けて「声がこんな風になっちゃってごめんなさい。調子が悪くて手を打ってきたけど、朝起きたらこうなってました! それ以外は元気なので、顔とダンスとピアノで一緒に楽しんでください」と言ったものの、曲を追うごとに使える音域がどんどん無くなってきてしまって。

ーー音の出る出ないではなく、歌うことそのものが困難になり始めたんですか?

牧野:普段の歌い方だと出なくなってきました。なので、鼻から抜くのではなく胸に響かせるようにしようとか、色々考えて歌い方を変えながらやり過ごしていたんです。喉が痛すぎて水も飲めなくなったんですけど、絶対にステージでは泣きたくなくて。衣装替えのときに控え室で泣き崩れたら、普段は温厚なスタイリストさんが「立って! 着替えて !行くの!」って腕を引っ張って着替えさせてくれて、メイクさんも涙を流しながら直してくれて、まるで戦場のような感じでした。そんななか、イヤモニには「着替え、あと何分です」という事前収録した声が流れてきたのですが、それがうちのマネージャーのまあ陽気な声で(笑)。状況とミスマッチすぎて、ちょっとした救いに思えましたね(笑)。

ーーそんなスタッフさんの支えもあって、なんとかライブを終えることができたんですね。

牧野:そうですね。最後の方は意地で突っ走ったようなものでした。ただ、あの日あの状況で私ができる限りのことは全部したとは思っていて。Twitterやブログもそうだし、その日のライブにスカパー!さんの撮影が入っていて、実際に放送されることになったので、改めて「あの日の自分を恥じる気持ちはありません」とお伝えしました。

ーーライブが終わってから、アルバムの制作に取り掛かるまでの期間も大変だったのでは?

牧野:ライブが終わってからも、なかなか声の調子は戻りませんでした。1〜2週間で治ると思ったら全然治らなくて、いまだに治療中だったりもして。今は日々のケアだけなんですけど、まさかこんなに長くなるとは思っていませんでした。アルバムを作るという話が上がった時も、「私、本当に歌っていけるのかな」と不安になったりして、自分自身に自信も魅力も感じなくなってしまっていたんですよね。「それを商品として出す価値があるんだろうか」という気持ちを抱えたまま過ごしていたんです。

ーー自信を取り戻したきっかけは?

牧野:これだけアルバムを作ろうというスタッフさんがいて、待ってくれるファンの方がいて、声優のお仕事で関わってくれているスタッフさんも「ギリギリまで待つからちゃんと直させてあげて」と言ってくださっていて。そんな状況を認識したとき、「落ち込んでいてもいいのか?」とも思うようになったんです。そこから完治に向けての治療は……あまりに痛すぎて気を失うくらいのものでした。副鼻腔から気管まで全部赤く爛れて、声帯から出血してしまっていたので、声帯の出血を止めるためにステロイドの点滴を打ち続けて、声を出す時にはアドレナリンを吹きかけていました。そこで、アドレナリンって液体になるんだ! と驚いたんですけど(笑)。

ーー僕も吹きかけている人の話は初めて聞きました(笑)。

牧野:でも、それって使えるものを前借りする形なので、その場は大丈夫でもまた使えなくなってしまうんですよ。別作品で大きいライブがあって、大会場でソロの新曲披露もあったので、そこは先ほどお話しした治療を施して、何とか出ることができたんです。最終的には副鼻腔によくわからない薬をつけて、2時間くらい涙が止まらないうえに吐き気もする、という治療や、出血した部分にできてしまった血管を減らす薬を飲んだりしました。これが効かなければレーザーで焼かないとダメというところだったんですが、何とか1月に投薬だけで血管をなくすことができて、アルバムのレコーディングに臨みました。

ーーめちゃくちゃ最近の話じゃないですか。そんななかで「声」をテーマにしたアルバムを作るというのは、なかなか勇気のいることだと思うんですが。

牧野:そうなんですよ。いろんなものを削りながら作り出した作品です(笑)。そんな感じで治療が長期に渡ったこともあり、リリースは当初の予定から約半年遅れなんですよ。だからこそ、半年遅らせた意味を見出したいと思っていて、「声」をテーマにしようと決めました。

ーーアルバム全体の感想としては、そのように辛いエピソードが背景にあるものの、不思議と悲壮感はなくて。すごく強さを感じる作品というか。

牧野:そう、悲壮感はないんですよね。

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