GLAY『SUMMERDELICS』インタビュー

TAKUROが明かす、“4人の個性”を生かした理由「GLAYの看板を背負う覚悟とタイミング整った」

 GLAYが、約2年半ぶりとなるアルバム『SUMMERDELICS』を7月12日にリリースした。本作はメンバー全員が作詞作曲に携わっており、バラエティ豊かな楽曲によりグループの新境地を切り開いたともいえる作品に仕上がっている。

 この度リアルサウンドでは、GLAYのリーダーであり、楽曲のほとんどを手がけてきたTAKUROにインタビューを行った。4人全員で楽曲を手がけるというスタイルへのシフトチェンジは長年の調整により実現されたということや、TAKUROから見たメンバーそれぞれの個性、GLAYというバンドを構成する上で大切にしていることなど、リーダーの視点から本作とバンドについてたっぷり語ってもらった。(編集部)

メインソングライターから一回降りることによって、また見えるものがある

TAKURO

――ニューアルバム『SUMMERDELICS』は、GLAYにとって“初の夏アルバム”であることをかなり強く打ち出していますが、それはどの段階から、コンセプトとしてあったのでしょう?

TAKURO:GLAYの場合、もう長いこと、冬にアルバムを出してツアーをするっていうルーティーンが続いていたんですよね。90年代には、夏の野外ライブとかを積極的にやっていた時期もあったんですけど、2000年以降は、冬に動いて夏は制作っていうような活動パターンが続いていて。で、2014年にアルバム『MUSIC LIFE』をリリースしたあたりから、これはちょっと変化が必要だと思ったというか、そういうバンド内の雰囲気みたいなものを、俺が感じたんですよね。

――ほほう。

TAKURO:あと、2013年に亀田誠治さんと仕事をするようになってから、メンバー自身が、またバンドの面白さというか、GLAYというバンドの可能性みたいなものを、再発見し始めたところもあって。それで、これはまた、外に向かっていく時期なんじゃないか、それなら次のアルバムは冬よりも夏なんじゃないか、夏に対応できるような活動のほうがいいんじゃないかって思っていったんですよね。それで……GLAYの場合は、5年、10年のタームでスケジュールを組んでいるところがあるので、スタッフとも相談しつつ、いろいろなものを少しずつズラしていきながら、2年ぐらいかけて調整していきました。だから、今回のアルバムは、本当にそれありきで動いていたというか、夏に出すことを前提に、いろいろと考えていった感じなんですよね。

――亀田さんと作業をするようになってから、バンドの可能性を再発見したと言っていましたが、それは具体的には、どんなことなのでしょう?

TAKURO:まあ、メンバーそれぞれ、いろいろと考えたとは思うんですけど、僕の場合は、そのちょっと前あたりから……具体的には、2009年に『GLAY』というアルバムを作ったときに、それまでは自分がメインで曲を書いてきたけど、次はちょっと時間が必要になるというか、もっと違う表現に挑戦したいと思うようになって。GLAYというバンドは、俺の他に3人の有能なソングライターがいるんだけど、それまでは90年代の名残りもあって、俺がメインで曲を書いていたんです。でも、GLAYに相応しい曲は、みんなそれぞれが書いていたんですよね。

――実際、カップリング曲やアルバム曲では、みなさん積極的に曲を書いていましたよね。

TAKURO:そう。だから、クオリティ的には何の問題もないんだけど、そこで何かひとつ足りないものがあったとしたら、それはGLAYという看板を背負う覚悟だったんです。あとは、世の中の状況ですよね。世の中がまだTAKUROメロディを求めてくれているのならば、それに応えたいと思ったし。だから、メンバーの覚悟と世の中的なタイミングというか。その調整みたいなものを、この10年でやってきたところがあるんです。

――この10年? そんなに昔から……。

TAKURO:日本におけるバンドの在り方っていろいろあると思うけど……たとえば、ひとりのシンガーソングライターみたいな人が、全体を引っ張っていくという形があるじゃないですか。で、90年代以降のGLAYは、TERUが歌って、リーダーである俺がメインで作詞作曲をするっていう形をとっていたんですけど、自分としては、いろいろと技を磨きながら、「これだ」と思って発表しても、世の中的には「またこれかよ」っていうような評価もあるわけですよね。これまでのものを求められる一方で、「もっと新しいGLAYが聴きたかった」という声もある。そのせめぎ合いなんです。諸先輩たちを見ていても、そういうことで苦しんでいるのがよくわかったし。だから、俺としては、GLAYのメインソングライターというところから一回降りることによって、また見えるものがあるんじゃないかっていうのは、その頃からずっと思っていたんですよね。

――他のメンバーも曲が書けるわけですからね。

TAKURO:あと、自分のなかで王道みたいなことばっかりをやっていると、それが本当に王道なのかどうか、だんだんわからなくなってくるじゃないですか。なので、もう一回、自分のなかにあるものを、ちゃんと見つめ直してみたいというふうに、その『GLAY』というアルバムを作り終えたあとの充実感もあって、いろいろと考えるようになって……そういう意味では、ひとついいタイミングなのかもしれないと。GLAYには、俺の他に3人のすぐれたソングライターがいて、全員が全員メインソングライターになれる可能性があるわけだから、これはちょっと長い時間をかけてでも、それをやってみようっていう。それが、この『SUMMERDELICS』というアルバムまでの、ざっくりとした道のりなんですよね。

――メンバーの覚醒と世の中の流れをどう結び合わせていくか、長い時間を掛けて調整していったわけですね。

TAKURO:そうですね。ただ、世の中の流れみたいなものをうまくつかめるかどうかっていうのは、全部うまくいった人たちの後づけの理論だから、そういうことを考えていたわけではないです。むしろ、この4人のなかで……それを俺たちは「世間」って呼んでいるんだけど、「社会」っていうものを理解するよりも、その半径2メートルの「世間」で、どう感じるかが、やっぱり大事なんですよね。その曲から、「俺は今、この表現をしなければ、前に進めないんだ」、「この情熱を世の中に示して、是か非を問いたいんだ」っていうものが、感じられるかどうかっていう。それが、もともとバンドを始めた理由であるというか……ロックの原初的な部分って、そこだと思うんですよね。自分のなかで収まりきらない衝動があるかどうかっていう。リスナーも、結局のところ、その部分に惹かれるんだと俺は思っているので。

――なるほど。

TAKURO:そうでなければ、すごく才能のある作曲家が作った曲は、すべてヒットするってことになるわけじゃないですか。でも、意外とそうでもないというか、たとえ同じ曲でも、歌い手とその情熱が変われば、聴く人の心を打つ深さも変わってくるんですよね。で、GLAYにできることは何だろうって思ったときに……GLAYっていうのは、そういう意味では、もうアマチュアリズムの権化みたいなバンドなんですよ。俺はこれを今表現しないと、先に進めないんだっていう情熱。それが、GLAYの唯一の武器であり、GLAYの看板を背負う覚悟っていうのは、結局そういうところなんだと思うんですよね。

――いわゆる「GLAYらしさ」とか、そういうものではなく。

TAKURO:そう。たとえば2014年に、TERUが「BLEEZE」という曲を書いたんですけど、あの曲は、もともと東日本大震災のことが大きなきっかけとなってTERUのなかで生まれてきた、「多くの人たちを勇気づけられるような曲を」っていうことで書いた曲なんですよね。で、それをGLAYのシングルとして出すことになったとき、彼のなかで何かこう覚悟が違ったんでしょうね。それまでのGLAYの楽曲との親和性や、世の中に対する整合性という意味で、まったく遜色ないところまで、ちゃんと書きあげてきたから。だから、それはもう、曲の良し悪しの話じゃないんですよね。それは今回、HISASHIの「デストピア」のときにも思いましたけど。それを、ずっと待っていたっていうのはありますよね。それこそ、この10年間っていうのは、HISASHIの才能を、GLAYのなかでどう出していくのか、HISASHIのやりたいことが、ちゃんと世の中に正しく伝わるようにするためには、どうしたらいいのかっていうのを、スタッフともずっと話していたので。

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