『VIVA LA ROCK 2017』インタビュー

鹿野 淳に聞く、音楽フェスの現状と可能性「ロックミュージックを今の時代なりに位置づけたい」

『VIVA LA ROCK 2016』CAVE STAGE

「ロックフェスは、危うい場所じゃないといけない」

――なるほど。ただ、僕の個人的な感覚ですが、Suchmosのライブに行く層は、VIVA LA ROCKというフェスに距離感を持っている人が多い気がします。それは彼らが神奈川を拠点にしているからでもあって。

鹿野:うん、そうですね。こちとらどっぷり埼玉ですから(笑)。

――その一方で、YONCEはインタビューで「自分たちのマインドはロックである」ということを言っている。だから、ロックという名前を掲げたフェスに出ることにちゃんと意味を見出してくれていると思うんです。

鹿野:そうなったときに彼らがVIVA LA ROCKを選んだ理由は一つで、それは広い意味でロックメディアに対して自分たちがリーチしたということだと思うんですよね。たとえば彼らが去年夏に出した『MINT』はオアシスの影響が感じられたりもする。そういう意味でロックミュージックの王道性も彼らの根っ子の中にある。そういう人たちがロックメディアが掲げるフェスのなかで大きな存在として主張をするっていうのは、ベストな現場じゃないかと思うんですね。

――なるほど。

鹿野:僕はSuchmosにとって、ロックメディアとロックフェスは120%必要なものだと思っている。彼らの音楽はそういうものだと思うし、音楽家としての彼らもそういう存在だと思ってるんです。でも、柴くんの言う通り、このフェスの想いとSuchmosの構造や姿勢が、まだ邦楽のフェスのお客さんに届いてるかっていうと、そうではないとも思うんです。僕は今、そこの層にVIVA LA ROCKっていう音楽の現場を認識してもらうために必死で頑張ってる最中なんですね。

 

――ちなみにVIVA LA ROCKが参考にしているフェスはありますか? たとえばフジロックはグラストンベリー、サマソニはレディング&リーズをロールモデルにしているというのは有名な話だと思うんですけれど、それと同じようにロールモデルにしている海外のフェスはあったりしますか?

鹿野:ないんですけど、目指すものとして強いてあげるならば、たぶんコーチェラ・フェスティバルだと思います。あれは場所としては室内フェスとは違うんですけれど、その年の音楽シーンのアップデートされた状況をブッキングで端的に示している。興行というビジネスとエンターテインメントに固執しているにも関わらず、でも音楽マーケットへの還元がなされている。そういった意味でコーチェラは目標とすべきだと思う。

――コーチェラは毎年4月に開催されますよね。ということは、だいたい年明けに開催が発表になって、1月から2月頃にラインナップ第一弾が発表される。つまり音楽シーンのトレンドを左右する、日程的なアドバンテージを持っているフェスだと思うんです。VIVA LA ROCKもゴールデンウィークに開催されるので似たようなところがある。

鹿野:僕もいろんなアーティストに「VIVA LA ROCKから今年のフェスシーズンをキックオフします」って言われます。今の所、ARABAKI ROCK FEST.とVIVA LA ROCKが一番それを言われてると思います。

――僕の考えでは、VIVA LA ROCKが日本におけるコーチェラ的なブランドを手にしたのは2015年だったと思うんです。過去のフェス文化論の連載で書いたんですが(参考:2015年、フェスシーンはどう変わった? ヘッドライナーと動員数から見えた“今年の主役”)、その年の年末に、一年で開催された約150ほどのフェスのヘッドライナーを全部数えて集計したんですね。そうしたら、上位3位が[Alexandros]、10-FEET、the telephonesだった。つまり、その年のVIVA LA ROCKの3日間のヘッドライナーだった。

鹿野:あら(笑)。このフェスが今のロックというものを体現するフェスにしたいと思ってやってきたことが間違ってないって言われたような、非常に嬉しい事例です。

――そういう意味で、その年の日本のロックシーンの一つのトレンドを示すフェスになっているということは言えると思います。

鹿野:ありがとう。だとすると、今年のブッキングは、それをより明確な形でできたと思います。今年このフェスが成功するか意味をさらに持つことができるか? っていうことは、このフェスにとっても、そして音楽フェスのあり方をシリアスに考えていく意味でも、重要なことだと思います。

――少なくとも、VIVA LA ROCKがコーチェラを一つのロールモデルとするならば、そこで示すべきは、ロックという音楽、もしくはフェスの場で見せるべき音楽の捉え方が更新されていくものである、ということですよね。ムラ化していくのではなくて、時代の変化や世代交代と共に、常に新しい価値観を見せる場でもある、と。

鹿野:はい。だからロックフェスっていうのは、誤解を恐れずに言えば、「危うい場所じゃないといけない」と思うんですよね。その空気感が危ういものであるっていうこともそうだし、いろんな意味で安定しちゃいけないんじゃないかなと思う。このフェスも今までがただ単純にラッキーなだけで、やっぱり、春フェスっていうもの自体が、みんなが思うほど成熟してると思ってないんです。そういうことも含めて、この感覚でブッキング、そして毎年の予算組み、そしてエンターテインメントとしてのフェスのインフラを考えると、なかなかいつもハラハラすることがとても多いんです(笑)。

――なるほど。

鹿野:でも、音楽フェスはそれでいいんじゃないかなと思うんですよね。

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