25th Anniversary Album『coba?』リリースインタビュー

活動25周年のcoba アコーディオンやビョークとの出会い、アニバーサリー作に込めた思想を語る

 

「『のど自慢の伴奏楽器』というイメージを壊したかった」

ーー元々cobaさんは、何故アコーディオンを弾こうと思ったのですか?

coba:アマチュアのアコーディオン弾きだった親父が誕生日にプレゼントしてくれたのがきっかけです。小学四年生の時だったかな。最初はイヤで、しばらく開けてもいなかったんだけど、いざ始めたら割とすぐに上達した。3歳からピアノを習い続けていたということもあったからでしょうね。で、すぐにアコーディオンの魅力に気づいて虜になってしまいました。

ーーその魅力とは?

coba:ピアノは10本の指先のみで楽器に触れますが、アコーディオンはまるで大切な人を抱きしめるかの如く上半身をべったり密着させ、ある意味身体と「同化」させるわけです。肉化ですね。そんなわけで良くも悪くも弾き手の全てを曝け出してしまうんです。音楽性とか、人間性とか。まさにインカネーション(「肉化」)なんですよね。そういうところがたまらまく魅力的だったのだけど、周りの連中はみんな、アコーディオンに対して「のど自慢の伴奏楽器」という認識しか持っていない。それで、最初は弾くのがイヤだった。実際、「なんでそんな楽器弾いてんの?」みたいなことを、散々言われましたから。

ーー確かに、僕もcobaさんの音楽に出会う前は、アコーディオンといえば「のど自慢の伴奏楽器」というイメージだったかもしれないです。

coba:僕の大先輩に横森良造先生がおられますが、彼の演奏スタイルは「にこにこ笑いながら、アコーディオンで伴奏する」というイメージを日本に定着させたと思います。これは、日本特有のイメージでもあるわけです。そのおかげもあって、日本ではアコーディオンがとても普及した側面もありますが、何せ僕は当時若かったから、「こんなにカッコいいことが出来る楽器なのに、なんでこんなイメージなんだ?」って。とにかくそれを劇的に変えたい、アコーディオンに対する既成概念をぶち壊したいと強く思うようになった。他に同じことを考えるアコーディオニストなど一人もいませんでしたから、とにかく独りで戦うしかなかった。そのくせが今でも抜けない。抜くつもりもないですが(笑)。

ーー高校を卒業してからイタリアへ留学しようと思ったのは?

coba:当初は「大学へ行って父と同じようにサラリーマンになるんだろうな」と漠然と思っていました。ところが、高校1年の進路指導で将来について尋ねられ、自分の進むべき道について全く向き合えていないことを実感。「自分の人生、どうしたいんだろう」と、そこで初めて自分の未来と真剣に対峙した時、心の中でアコーディオンという存在がものすごく大きくなって行きました。「そうか、僕が今まで純粋に自己表現できていたのは、アコーディオンを弾いている時だった」と。しかも、世の中から誤解されたアコーディオンを不憫に感じていたことを思い出して(笑)。それでイタリアへ行くことを決意しました。

ーー迷いや不安、葛藤などはありましたか?

coba:全てが不安でした(笑)。ただ、迷いや葛藤は全くなかったです。しかし周りは猛反対。父親も、担任も、音楽の教師も、「アコーディオンのような特殊楽器でプロになるのは、大変だぞ」と。もちろん、僕を心配してくれての言葉ですが、でもそれは、彼らの「常識」で判断しての意見ですから。僕が思っていたのは、「新しいものは非常識からしか生まれない」ということ。とにかく、「アコーディオンのイメージを変えたい」一心だったのでしょうね。

ーーその後、アコーディオニストとして様々なセッションやコラボに参加した後、1991年にアルバム『シチリアの月の下で』でデビューされます。

coba: 32歳の時です。「満を辞して」という感じで。あのアルバムにはようやく掴んだチャンスを逃すわけにはいかないという、ものすごい熱量が込められていると思います。

ーーその後ビョークと出会ったことは、cobaさんの活動にとって大きなターニングポイントのひとつだったと思うのですが、当時ビョークもcobaさんも「孤高の存在」だったからこそ、惹かれ合うものがあったのではないかと思います。

coba:そうかも知れませんね。デビュー前の僕は、日本での仕事もあまりなかったこともあり、毎年ヨーロッパでツアーをやっていたのですが、1995年に初めてイギリスでもコンサートをやりました。というのも、僕はあまりギターバンドが得意じゃなかったから(笑)、その頃のイギリスにはあまりいい印象がなかったんです。食事も美味しくないし(笑)。

ーー1995年のイギリスといえば、ブリットポップ全盛期ですものね。

coba:そこの頃はもう、シュガーキューブスは解散してビョークはソロで活動していたのかな。恥ずかしながら僕は、彼女のことを全く知らなくて。出会いのキッカケは、僕のロンドン公演の情報が写真付きで載った『Time Out』(ウィークリー・タウン情報誌)を、彼女がたまたま目にして、観に来てくれたこと。ちょうど彼女は次のツアーのプランニングをしている時で、それで、「このアコーディオニスト面白そうだよね」という話になったようで。

ーーへえ!

coba:当時プロデューサーだったハウィーBと、彼女と2人でふらっとやって来て。Purcell Roomっていう、キャパ350人くらいのところだったのだけど、その時のお客さんは、彼女たちを入れても15、6人だったかな(笑)。2人は後ろの方で見てたんだけど、そこだけ異様に盛り上がってたのを覚えています。

ーーでも、その時はビョークのことを知らなかった。

coba:そうです。そのあと2人で楽屋を訪ねてくるのだけど、僕以外のメンバーはものすごく驚いているわけです。「ビョークが来た!」って。僕は2人のうちの、どっちがビョークだか分からなくて、咄嗟に「男っぽい響きの名前だから」とハウィーに向かって、「ハーイ、ビョーク。初めまして」って挨拶しました。

(全員笑)

coba:最初はそんな、マヌケな出会いでした(笑)。

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