『ヒットの崩壊』発売記念対談 柴那典×レジーが語る、音楽カルチャーの復権とこれから

00年代に蒔かれた種が開花し、10年代のシーンが生まれた

レジー:『ヒットの崩壊』は90年代と10年代の話がメインになっているような印象を受けたのですが、柴さんはその間の00年代についてどのように捉えていますか? 僕としては、10年代のシーンの状況としてよく指摘される話の多くは00年代に蒔かれた種が開花したものだと思っています。たとえばチャートの話も「ランキング上位は全部AKB48です」となる数年前、00年代の後半にはジャニーズの作品が「DVDつきの初回盤×通常盤×配信なし」というような手法で年間チャートの上位に食い込んでいました。また、最近では一般的に言われるようになった「フェスのレジャー化」も00年代の終わりごろにはすでにその兆候があったような実感があります。あとは、「恋するフォーチュンクッキー」「R.Y.U.S.E.I.」といった「みんなで踊る」みたいな音楽の潮流についても、00年代には『涼宮ハルヒの憂鬱』(2006年からテレビアニメ放送スタート)のエンディング(「ハレ晴れユカイ」)あたりがすでに盛り上がっていましたよね。

柴:00年代に関しては僕も持論があって、『初音ミクはなぜ世界を変えたのか』でも示唆的に書いたことですが、「ディケイドの切れ目は7の年」だと思っているんです。実は00年代の準備が始まったのは97年、10年代の準備が始まったのは07年だったと思っているんですね。音楽業界で97年に始まったのはフジロックフェスティバルで、その年にデビューしているのはDragon AshでありCoccoであり、GRAPEVINEでありTRICERATOPSである。それ以前の世代では、歌謡曲やJポップに対峙しなければならなかったロックバンドが、フェスというアーキテクチャが生まれたことと、オルタナティブなロックが海外で覇権を握ったことで、伸び伸びと自らの音楽を表現できるようになった時代でもある。ビーイング系や小室ファミリーが覇権を握り「月9」を筆頭としたドラマタイアップがヒットの条件だった90年代前半の趨勢とは違うムードが生まれた。それを僕は00年代の準備であったと捉えています。そして00年代前半は、98年にピークを迎えたCDというパッケージが力を失っていく時代だった。音楽の中身に関しては、自国の文化の素晴らしさを再認識しようという、ある種のルネッサンス運動的な動きが起きました。わかりやすいのがカバーブームですね。さらにはカラオケランキングで複数年にわたってランキングのトップ10に入る曲が出てきた。象徴的なのがMONGOL800「小さな恋のうた」と一青窈「もらいなき」です。要は、90年代まで脈々と続いてきた、アメリカやイギリスを中心にした海外のポップカルチャーを翻案して自分たちの文化にするという営みが、何かのきっかけでストップして、その代わりに10年代につながるガラパゴスと言われるような文化鎖国の状況が生まれ始めた。

レジー:今の海外文化を翻案して、という話で言うと、00年代の大体前半ぐらいの時期に、海外の音楽の細分化がかなり加速したような印象があるんですよね。あくまでも僕個人の話、シーンの話というよりは自分のコンディションの問題の方が大きいのかもしれないんですが、ザ・ストロークスとかが出てきたあたりからどうも海の向こうの状況がよくわからなくなってしまって……その時代に何か断絶のようなものがあるんでしょうか。一方で、その時期の日本ではBUMP OF CHICKENやASIAN KUNG-FU GENERATIONの人気があって、どちらのバンドも背景にはいろいろな音楽性があると思うんですけど、それ以降の日本のロックシーンでは彼らの音そのものがロックバンドのフォーマットになっているような状況になりましたよね。それが柴さんの言う「ガラパゴス」というのとつながっているのかなと。

柴:ストロークスの例は僕もドンピシャだと思います。当時、僕はロッキング・オン社の『BUZZ』という雑誌でまさにストロークスやザ・ホワイト・ストライプスの取材をしていたんですが、日本の音楽メディアや音楽ファンとの断絶が起こった理由が今ようやくわかる。00年代に起こったムーブメントって、アメリカでもイギリスでも、リバイバルだったんですよね。ストロークスは60年代のNYのロックンロールやガレージ・ロックのリバイバルだった。フランツ・フェルディナンドは80年代のUKのニューウェーブやポスト・パンクのリバイバルだった。だからその文脈を共有しない日本の音楽ファンまでは届かなかった。一方、日本では00年代初頭に「昭和歌謡」という言葉が生まれています。僕の記憶では確か「昭和歌謡」という言葉が最初にメディアで使われたのも『ロッキング・オン・ジャパン』でのことで、What’s Love?というスカバンドのキャッチコピーだったんです。つまり、世界的にバック・トゥ・ルーツ、 “自国文化最高”という流れが起こっていた。日本も同じ時代のうねりの中にいた。今思えば、おそらくその背景にはミレニアム・ムーブメント、つまり世紀末と新世紀の訪れがあったと思うんです。新しい世紀が始まった、しかし2001年にいきなり9.11があってみんなが先行きを見失った。その引き換えとしてバック・トゥ・ルーツの動きがあったんだろうなと。つまり、これは本のメインテーマにつながる話なんですが、やっぱり音楽は社会の映し鏡だということでもあると思います。

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