『セイノワ』リリースインタビュー
怒髪天・増子直純が語る、熟練ロックの醍醐味 「バンドは歳を重ねたほうがいいものが出来る」
怒髪天が、ニューシングル『セイノワ』を1月13日にリリースする。表題曲は、ストレートなサウンドに熱いメッセージが込められている「今の時代を生きるすべての人への究極のラブソング」、カップリングは人生の郷愁を優しく歌う「さらば、ふるさと」という対照的な2曲。そして、現在彼らは3月16日に発売するフルアルバムを制作中であり、さらに春以降は、同作を携えてのツアーも行なわれるーー今年4月に50歳を迎える増子直純(Vo)に意気込みを含め、いろいろ話を訊いた。インタビュー中、アルバムとツアーについて、繰り返し「いいものが出来た」「楽しみだ」と嬉しそうに語る増子の姿が印象的だった。(冬将軍)
「土着的なものって、なんかかっこ悪いみたいなイメージがロックにはあるけど、それは世界に誇っていいんだよ」
――「セイノワ」はサウンドも歌詞もストレートで、最近の怒髪天としてはありそうでなかった珍しいタイプの曲ですよね。
増子:去年はリアレンジアルバム(クッキングアルバム『音楽的厨房』)、アコースティックなんだのをやったんで、今回は意外とやってないうえ、しばらくやってないものがやりたいなと。サウンドもシンプルに。そして、俺が今一番言いたいこと、伝えたいことを歌詞にしようと。いわゆるメッセージソングというかね、ある程度の歳にならないと恥ずかしいなということもあったり。ラブソングといえど、恋愛に特化したものではなく、もっと大きい意味のもの。「セイノワ」は受け手側が生活の中心に何を見ているかで聴こえ方が違ってくる曲なので、そこは誤解されることありきで好きに捉えてもらっていいかなと。
――〈君のために死ねるとか 誰も喜びやしない〜〉というサビが印象的で。まさにその通りだなと。
増子:「きみのために死ねる」というのは、昔『愛と誠』という漫画(※梶原一騎原作・ながやす巧作画、1973〜76年)で、内気な岩清水弘がヒロイン・早乙女愛に誓った言葉でね。要は「死を恐れないことが自分の愛情表現である」ということなんだけども、今の時代、そういうもんじゃないぞという。どんなヤツでも死んでしまったら、それが何のためであろうと周りは嬉しくないよ。生きるほうがつらい時代なんだよ。だったら「愛のためにどんなにつらくとも生きるぞ」という決意のほうが、よっぽど美しいというか、正しいのではないかと。
――飾らない、カッコつけない言葉選びが増子さんの作家性でもあり、それを象徴するようなフレーズでもありますね。
増子:アーティスティックな自己満足で埋めなくともいい。いつも使っている“話言葉”が一番伝わりやすいと思っているから。辞書で引いたような言葉とか、英語に訳したりしないで作っていきたいね。特にシングル曲というのは、テレビやラジオで流れたりすることがアルバム曲よりも多い。街角やメディアで一瞬サっと流れたときに、ちゃんと掴めるシンプルな言葉じゃないといけないと思ってる。解って欲しいと思って書いてるわけで、BGMになればいいなんて思ってない。そういう音楽もあるけど、俺がやってるのはそれじゃない。でも、今アルバムを作っていて、言いたいことをガチガチに詰め込んでるんだけど、反動で聴く音楽がプログレとかになってる。マイク・オールドフィールドとか聴くようになるとは思わなかったよ、最高だね(笑)。1曲24分くらいあるけど。俺には出来ないから凄いなと思うし。
――サウンド的にはストレートなビートロックで、真っ赤なベロアのジャケットをまとった演奏シーンに特化したミュージックビデオも硬派なロックという印象を受けました。
増子:ロックバンドの本懐というか、そこを強く出して行きたいというのもあるんだよね。先ず言いたいことが伝わるようにしたいというのがあって、サウンド的にもストレートにしたかったし。「よろしく候」はだいぶイジった曲だったんでね……。凝ったものをやったらシンプルなものをやりたくなるし、面白いものやったらシリアスなものをやりたくなるし。人は一面だけではなく、色んな多面性があって立体的に見えてくるから、その中の一面だよね。アレンジもいろいろ試してはみたんだけど、結局シンプルにやらないともったいないなと。あと、たまにはビシっとキメたアー写を撮るかと。こないだのヤツなんて打ち上げのときに法被着て撮ったものだったからね、そんなアー写あるかよ(笑)。船長の格好したりねぇ。そんなのばっかりだったから、たまにはこういうのもいいんじゃないかと。
――対照的に「さらば、ふるさと」は郷愁感をやさしく歌った楽曲ですね。
増子:25歳で東京に出てきたけど、それまでは札幌で「俺の街だ!」と思っていたくらい好き放題やってきてね。今でも毎年のように帰ったりはしているんだけど、だんだんと「自分の街ではない、今ここに暮らしている人たちの街なんだ」と思えてきた。俺が思っている“故郷・札幌”ではもうないから。小さい頃遊んでいた畑は家が建っていたね、幼なじみの家も無かったり。離れてから四半世紀だもんね、それは当たり前のことだけど、寂しくもあり。ウチの親も歳だし、「寒いところはもういいわ。雪かきも大変だから暖かいところ、熱海あたりに引っ越そうかな」なんて言っていて、「身体に良さそうだし、それもいいんじゃないの」なんて応えたんだけども、そうなったら熱海の実家に帰ることになるのかと。「俺の故郷ってなんなのかなぁ」と考えるわけ。
――上京だったり、故郷を離れる人もいれば、ずっと同じ場所にいる人もいます。自分は神奈川県出身でして、故郷っていう感覚は正直薄いんですけど、〈本当の故郷は場所のことじゃなくて あの日あの頃の想い出でした〉というフレーズでグッと来ました。
増子:故郷というのは場所ではなく、時間だったり想い出だったり、あの日、あのときの仲間たちなんだよね。寂しくはあるけど、それは失われないものなんだということも解ったし。
――歳を重ねて行かないと解らないことでもありますね。
増子:俺が最初にバンドをやってた同級生も、いまや息子が大学生だから。それが今、札幌でバンドを始めたり、俺らが辿ってきたようなことをやってるわけ。別のお話がこの街では始まっているんだなという、嬉しくもあるけど、途方もない気持ちになるよ。モチーフはロック的ではないんだけどね。だけど、そういう問題じゃない。俺らがやれば俺らのものになるという、今までやってきた中での確固たる自信があるから。でも、この「さらば、ふるさと」、ホントにいいメロディーだよね。これ、70年代くらいに誰かフォーク歌手が歌っていたら、ヒットしただろうねぇ(笑)。
――日本人の心に響く普遍的な“和”のメロディーですよね。
増子:沖縄のバンド連中にとって、琉球音階使ったメロディーがしっくりくるように。俺たちには俺たちなりのものがあるからね。土着的なものって、なんかかっこ悪いみたいなイメージがロックにはあるけど、それは世界に誇っていいんだよ。