『hollow world』リリースインタビュー
ぼくのりりっくのぼうよみが語る、ネットと音楽のリアル「僕自身すぐにコロコロ変わっちゃう」
「“中二病”が抜けきっていないんです」
ーーご自身の生々しい気持ちと、そういうファンタジーな部分、ある種の物語のようなものがミックスされているような感じで。初期衝動のまま突っ走らないように、という意識はあるのでしょうか?
ぼくりり:「絶対にこれがいい」という言葉と、代用可能というか「別の言葉に置き換えてもいいな」という言葉は分けて考えていますね。さっきも言ったように、初期衝動――書きたいって思ったときに出てきた1番の歌詞は、「絶対にこれがいい」という言葉が多くなるんです。ただ、それを半分とか3分の1くらいに抑えて、あとの部分を全体に分散させて、全体の濃度を整えるというか。
ーー面白いですね。例えば「Black Bird」だと、1曲目の冒頭から<生まれた時に押された烙印><なんせ羽が黒いだけでこんなに暮らしにくい世の中で>という言葉が印象に残ります。こんなことを表現しようとしているのかな、という世界観がパッと伝わってくる。
ぼくりり:アルバムの最初から「お前ら全員、バカばっかり」という(笑)。穿った見方をする感じですね。
ーー世の中との距離、馴染めなさみたいなも感覚は常にあった?
ぼくりり:常にあるということはないんですけど、「ちょっと違うんじゃないか」と思うことはありますよね。そういうものを、この曲ならカラスを媒介するというか、投影してふくらませていく。別にここまで「この世の中は暮らしにくい」なんて思っていないし、自分自身の感覚としては、この歌詞の5%くらいですね。
ーー最後には<この広い空はお前のお前だけのものだ>という、強い言葉を持ってきています。
ぼくりり:書いているときは「これ、大丈夫?」というか、ちょっと陳腐なんじゃないかとも思ったんですけど、たまには救われてもいいかなって。日常生活だと、どうしようもなく不幸なままのこともありますけど、歌詞なら結末は自分で決められるじゃないですか。もともとは、物語でハッピーエンドなのは「都合がいいな」と思っちゃうタイプなんですけどね。
ーーただ、いわゆる“応援ソング”のようなものとはかなり違う世界観です。
ぼくりり:“中二病”が抜けきっていないんです。「流行っているものはクソ! サブカル命!」みたいな、超中二病だったので(笑)。この曲については、15歳くらいでつくったということもあるかもしれないです。
ーー(笑)でも、中二病的な感覚は小説や映画も含めてけっこう普遍的なところがあって、世の中に馴染めない気持ちは昔も今も、いろんな作品のベースになってますよね。「Black Bird」では、そういう部分が顔を出しているかな、と。
ぼくりり:そうですね。たまに思うんですよ。「みんなこうしてるよ」と言われて、「じゃあそうしよう」でいいのかと。僕は「ああ、みんなはそうですか」という感じで、そのことがなにかを判断するときの材料になるかといえば、ならない。そういう意味では、うちの学校は平和ですね。もう高3ということもあると思うんですけど、人と違うことをしている人を目の敵にするような文化もないし、個性を認められているというか。
ーー周りの同級生は、音楽活動について知っているんですか?
ぼくりり:けっこう知ってますね。ただ、この間まで僕もそうだったように、メジャーデビューが何なのかよくわからなくて、「スゴいねー」くらいで。微妙に進学校なので、みんな音楽とか、あんまり興味がないんですよ。「『閃光ライオット』に出る」と言っても、みんな「なにソレ」って感じでした(笑)。
ーー反応が薄かったと(笑)。ちなみに、ご自身も今、受験勉強中なんですよね。理系じゃないですか?
ぼくりり:そうです。なんでですか?
ーーリリックにロジカルな言葉が多いから。文系だったらもっと情景描写に言葉を割いたり、あるいは言葉の外にあるものに頼るんじゃないかなと。
ぼくりり:ああ、なるほど。確かにそうですね。書いていて、「これ、論理は破綻してないかな。ちょっと書き直そう」というのはわりとあります。
ーーアルバムに話を戻しましょう。5曲目の「CITI」も、ある種の人々を斜めから見たような切り方をしていると思いました。タイトルはどんな意味なんでしょう?
ぼくりり:「クリーチャー・イン・ザ・インターネット」の頭文字を取ったものです。“インターネットにいるヤバい人たち”みたいな。情報が溢れすぎていて、自分がわからなくなって、極端な方向にいかないと自分を自分たらしめられない、というか。
ーーああ、なるほど。言わなくていいことまで言っちゃったり。
ぼくりり:そうです。誰かを傷つけることで自分の承認欲求を満たすとか、そういうことを“ネット病”という視点で見ると面白いのかなと思って。
ーーでも、家庭や学校も含めたリアルの社会だけではなく、ネット上のリアリティというものも確かに存在しますね。曲を書くときの一番の足場になっているのは、やっぱりネットですか?
ぼくりり:そうですね。ネットをやっていて目につく負の側面のようなものがベースになっていることが多いかもしれません。ネットでコラムやイラストを書いている小野ほりでいさんという人がいるんですけど、その人のネットに対する見方が的確というか、面白いと思っていて。例えば「俯瞰中毒」という造語があって、常に上から見下さないと気が済まない、みたいなことってありますよね。
ーー「A prisoner in the glasses」では、ある種の“鏡の中の世界”が描かれていますが、ネットの世界のことも表している?
ぼくりり:そうですね、実体がないっていう意味でもそうですし、同じように見えても、別のルールで動いているわけじゃないですか。そして、その中にいる自分もちょっと違う。呼ばれる名前も違うし、“自分'”(自分ダッシュ)みたいな。ただ、そこから解放されたいとかそういうことではなくて、単に状況を俯瞰して書いているだけですけど。
ーーそうやって複数のキャラクターを生きることが当たり前になっている反面、しんどいところもありますよね。この作品のテーマにもかかわることだと思いますが、その点はどう捉えていますか?
ぼくりり:僕はそうでもないんですけど、みんな辛そうだな、と思います。そういう意味では、僕の場合は創作の衝動が出てくるのは、ネガティブなことを感じたときとか、イライラするときなんですよね。ただ楽しいだけだと「今日も楽しかった、もう寝よう」になってしまって。
ーーネット上に見られるストレスが、創作の原動力になっている部分もあると。ただ、このアルバムはディープでネガティブなところもありつつ、最終曲の「Sunrise(re-build)」で気持よく終わります。
ぼくりり:ただ「Sunrise(re-build)」も、よくよく歌詞を見たらネガティブといえばネガティブなんですよね。1番に<誰かの代替として生きる毎日を 肯定できたならgoodday>と書いたんですけど、「だから自分はいつだって自分なんだよ」みたいなことではなくて、自分が死んじゃっても、誰かが補完するだろうというのは事実で。2番でも、また朝日が昇って一日が始まって、「昨日とは違う気がする。今日から俺は変わる!」と思っても、またすぐに忘れちゃう、みたいなことを書いていますしね。僕自身すぐにコロコロ変わっちゃうし、現状をただ容認しているだけなんです。