ニューアルバム『おまけのいちにち(闘いの日々)』インタビュー
結成から33年ーー筋肉少女帯・大槻ケンヂが語る“異能のヴォーカル”の矜持と、バンドの現在地
結成から33年、インディーデビューから31年、メジャーデビューから25年、活動凍結から17年、再始動から9年ーー今の筋肉少女帯は、とても楽しそうに見える。インディーズ・ブームもバンドブームもバンドバブル崩壊もその後の時代も、もう大変に紆余曲折ありつつ活動を続けてきた、休んだりもした、そして復活もした、バンドに限らず作家やマンガ家やアイドルや芸人などなど後続のありとあらゆる表現者たちに影響を与えまくってきたこの偉大なる超ベテランバンドに対して「楽しそう」ってなんじゃそりゃ。と言われそうだが、しかし。活動休止や解散の後に再結成や再始動したバンドが、「今は大人だから」「それぞれバンドに対して客観的になれたから」と、かつてよりもはるかに健全にバンドを運営している例は、筋少以外にもいくつもある。が、その健全さがバンドそのものの音楽性や演奏そのものにダイレクトに跳ね返っていて、アルバムごとに新しい世界を見せてくれる筋少のような例、実は少ないのではないだろうか。「我々のよく知っている筋少」「我々が全然知らなかった筋少」「我々は知ってるつもりだったけど実は知らなかった筋少」の3つが絶妙に交じり合った、バラエティ色豊かで1曲1曲がやたら際立っているニューアルバム『おまけのいちにち(闘いの日々)』を聴けば、今のその筋少の充実ぶりが伝わると思う。以下、大槻ケンヂに、今の筋少、今のオーケンについて訊いた。(兵庫慎司)
「僕がやっていることは、詞を書くことと、曲を書くことと、タイトルとジャケットと曲順を決めること」
ーー筋肉少女帯、再始動されてから9年でしたっけ?
大槻ケンヂ(以下、大槻):それくらいかな。なんか来年で、今のメンバーになってからの活動の長さが再始動以前を超えるんじゃないかなあ? 数えてないけど(笑)。
ーー復活以降、とてもスムーズに活動が続いているように見えるんですけども。休止以前とはバンドの運営のしかたは違いますか?
大槻:あ、違いますね。やっぱりもう大人なので、各自が役割分担をわかっているので。そういう部分では、とてもシンプルにアルバムを作れていますね。僕はレコーディングは、ほぼ行かないです。歌入れしか行かないです。
ーーそれ、最近よくおっしゃってますけども。再始動以降はそうしようと決めたと?
大槻:いや、最初はちょっと行ったりしてたんだけども……みんなしっかりしてるから、まあ俺はいいか、って(笑)。その間、俺は詞を書いていようと。トラックダウンも行ってないし、それが終わってーー僕の場合はまだCD-Rなんだけどーー送られてきて。それを聴いて、「あの歌のここ、もっとこうしたほうがいいじゃないですか?」とかメールを送ると「了解です」って返事がきて。それで、「直しました。今夜中にこのミックスを聴いてください」ってデータが送られてくるんだけど、僕、ガラケーなのでどうしようもなくて(笑)、結局聴かないまま、「信頼しております」みたいな感じで。で、忘れた頃にマスタリングされたアルバムが届いて、初めて完成版を聴く、バッチリ!みたいな感じですかね。僕がやっていることは、詞を書くことと、曲を書くことと、タイトルとジャケットと曲順を決める、これだけです。あとはメンバーを信頼して……それほど音楽の得意でない人間は、タッチしないようにしています。
ーーそれは、過去のいろんな経験や失敗を経た上で?
大槻:うん。若い頃はスタジオに行ってああだこうだ言ってたけど、大人になると……誰かが「こうした方がいい」って言って「ええっ、そうかなあ?」と思っても、「うん、まあいいんじゃない?」って思うようになりますね。今、筋少のサウンドリーダーは橘高(文彦/g)くんだと思うんだけど、彼が本当に不眠不休でいろいろやってくれるんですよ。彼は4〜5年前にお酒をやめてから、ハタから見るとちょっと心配になるくらいのワーカホリックになっていて。「俺はゼロか100かなんだ」って言って……あんだけの酒飲みが一滴も飲まなくなるっていうのはスゴい。……あんなに速弾きのできる人は常人じゃないんだな、やっぱり天才っていうのは違うんだな、と、彼の断酒で思いましたね。
「僕は音楽がわからない、ということがわかったんです」
大槻:あと、僕は音楽がわからない、ということがわかったんですよ、40代になって、まさに筋少が復活したぐらいから。一応自分はミュージシャンだ、ってなことを言ってたんだけど……特に最近、ギターの弾き語りをするようになって、コードくらいはわかるようになったら、「あ、音楽って自分が思ってたものと違う」って気づいちゃったのね。つまり、中2みたいなことを言うと、自分はエモーションで曲を作ってたわけです。自分の怒りや悲しみやせつなさを詞やメロディにしていた、ロックっていうのはそういうものだと思っていたんです。ところがギターを始めたら、どんなに思いをこめても、それはコードで言うとEmだったりするんですよね。Em以上の何ものでもない。これはねえ、人生的なショックでしたよね。
ちょっとギターを習いに行ったんです。しかも、「簡単な弾き語りができるようになりたいんです」って言ったら、「わかりました」って、いきなり“フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン”のボサノバ・バージョンを教えてくれた、「そこから!?」って話しなんですけど(笑)。理論派の先生で、まずコード理論の解説から始まったんですよ。そしたらもうとにかく数式の話なので、「先生、音楽って数学みたいですね」って言ったら、「音楽は数学以外の何ものでもありません。まずそこからです。全部理論でできていて、そこにどうエモーションを感じるかです」っておっしゃって。それで「ガーン!」ってなって。でも、どうもそれ以来、メンバーとかの会話をきくようになったら、「この曲のここで9thが入って」って、みんな理論で会話してたのね。「……そうだったのか」っていうね。
「自分は才能は持っていない、しかし、異能の多大な持ち主だと思ってるんです」
大槻:たぶん、自分は才能は持っていないと思うんです。しかし、他人と異なる能力……それは才能とは言わないけど、異能、その多大な持ち主だと自分でわかってるんです。その異能を使って曲を書いたり詞を書いたり小説を書いたりしてるんだけども、異能のあるヴォーカルを、才能のあるミュージシャンはほしいんですよ。異能っていうのは人を呼ぶから。「あいつ、なんだかわかんないけど変なことを言う」とか「あいつの発想はデタラメだけどおもしろい」っていう人のところには、人が寄ってくる。アレです、「フール・オン・ザ・ヒル」みたいなもんですかねぇ。でも、才能と異能は別だから、才能はあるけど人を呼ぶ異能を持ってない場合もある。そういう人からすると、才能はないけど異能を持っている人を、ヴォーカルとしてほしいんですよ。とにかく人を呼んできてくれて、盛り上げてくれて、音楽的なことはわかっちゃいない。こんなに使い勝手のいい奴はいないですよ(笑)。
で、才能だけあるヴォーカルってつまんないし、異能も才能もあるヴォーカルっていうのは、メンバーからしてみるとやっかいだと思うなあ。やっぱりワンマンバンドになっちゃうんじゃないかな。それはもう……名前は出さないけど、見ててわかるもん。その悲しみすらわかる、「ああ、この人は異能も才能もあるがゆえに着地点が見出だせないんだなあ」とかね。あと異能しかない奴とか、見ていて「おお、仲間よ!」って思うし(笑)。才能しかない人は、あまり大成しないかな。