20th Anniversary Album『尽未来際』インタビュー
BRAHMAN・TOSHI-LOWが語り尽くす、言葉と格闘した20年 「あざとい考えが頭に出てくる前に、先に歌が出るような体にならないと」
「自分の死生観を考えたら、今度は生きることの答えを同じ熱量で探さなきゃいけなかった」
一一その頃のブラフマンに音楽的な変化もありますよね。『THE MIDDLE WAY』から音楽性の許容範囲が明らかに広がってる。
TOSHI-LOW:年齢とともにできることが増えたのもあると思う。今まで、やりたくてもできなかったこと、ただの物真似みたいだからやめようぜって言ってたことが。だから自分たちで変化したつもりはないの。でも、たぶん『A MAN〜』とか『FORLORN〜』が好きだった人で『MIDDLE WAY』を受け止めなかった人たち、多いと思う。要は90年代からあったAIR JAMの流れが消えて、完全に潮目が変わったんだなぁと思った。
一一2004年。もうAIR JAMっていう言葉に求心力はなくなっていましたね。
TOSHI-LOW:そうだね。だから俺らとしては良かった。やっぱ『MIDDLE WAY』は節目になってるんだよね。ここでバンド10年目だし。
一一『MIDDLE WAY』って言葉もそうだけど、次の『ANTINOMY』も「The only way」から始まりますよね。自分たちの“道”というものが、いよいよはっきりしてきた時期。
TOSHI-LOW:そもそも俺は、道を作るなんて言い出すことに反発してたの。『メイキング・ザ・ロード』なんて言葉、大反対だった。なんでその道の後ろを俺らが歩かにゃならんのだ、っていう(笑)。しかも、てめぇらが作ったみたいなこと言うけど、その前にも歩いてた先輩はいるじゃねぇかよって。どのバンドのアルバムタイトルかは言わないけどね(笑)。
一一ははははは!
TOSHI-LOW:けど、結局自分が歩いてきたところも道だし、これから歩いてくところも道になる。シーンがどうとか関係なく、自分たちの道っていう意味で出さざるを得なかった。ただ『MIDDLE WAY』はまだ受け止め切れてない。本当に自分で受け止めたのは『ANTINOMY』からだと思う。
一一『ANTINOMY』は、陰と陽、強さと弱さ、死と生が自分の中に両方あることを、はっきり確立したところから始まっています。
TOSHI-LOW:確立……したのかなぁ。でも、ひとつだけで成り立つわけじゃない、それを裏から支えてるものが絶対にあるはずで。それまで死だけの話をしてたはずで、そのほうが美しかったし、それで終わるはずだったんだけど。でも一進一退しながら自分の死生観を考えたら、今度は生きることの答えを同じ熱量で探さなきゃいけなかった。「ずっと死に取り憑かれてる俺は、もしかしたら生きてくことに憧れがあるんじゃないか?」って。歌詞でいえば、もう哲学書の“死”のグループに入ってる言葉探しではなくて、“生きてく”グループの中で言葉を探したし。
一一それって、自分の中でモヤが晴れていくような発見なんですか。それとも、いろいろ考えたけど認めざるを得ないな、という感じ?
TOSHI-LOW:……認めざるを得ない(苦笑)。俺、今まで発見なんかないよ? 認めざるを得ないことばっかり。それがずっと続いてる。
一一でも、生きていたい自分は確かにいたと。
TOSHI-LOW:うん。それは“強さ”って言葉ではなくて、もっと大きなものだった。“父性”かもしれないし“母性”とか“自然”でもいいんだけど。自然のたおやかさ。たおやかって、女偏に弱いって書いて“嫋やか”だよね。そういう言葉に惹かれるようになった。竹のようにしなる、いなす、とかね。今まで「そんなもん2秒でKOパンチでしょ」って言ってたのに、違うことに気付いてるわけよ。ボキッと折れて終わっちゃうだけじゃなくて、新しく紡ぎ出していくものがあるっていう……それはそれで俺の中ですごくストレスになるんだけどね。
一一認めて、受け入れても、なおストレスですか(笑)。
TOSHI-LOW:そう。はっきり倒れ切れないってわかったら、今度は続いていく未来が出てきちゃう。それが嫌で嫌で。自分で矛盾してんのはわかってるよ? 生きていかなきゃいけないし、未来を見据えなきゃいけない。じゃあ竹のようにしなって折れないものになればいい。でも、やっぱりボキッと折れて死にたい、すぐにでも、っていう(苦笑)。どっちも本音だし実感なのよ。子守りしたいし、のたれ死にたい。もう意味わかんないじゃん(笑)。それはそれでモヤーッとしてた時期なんだけど。