『Life is mine, Life is fine』インタビュー

石田ショーキチが語る、これからの音楽活動論「お客さんと直接つながる喜びに勝るものはない」

 

 石田ショーキチが、ソロ名義としては8年ぶりとなるオリジナルアルバム『Life is mine, Life is fine』を、自身が率いるレーベル・SCUDELIA AUDIO TERMINALより5月8日にリリースした。1993年にSpiral Lifeのメンバーとしてデビューし、約3年という活動期間で日本のポップミュージックシーンに確かな足跡を残した後は、Scuderia Electro、MOTORWORKSといったユニットで音楽活動を展開。その後は音楽プロデューサー・エンジニアとしても手腕を発揮し、大手レコード会社には所属せずに、独自のスタンスで音楽活動を継続してきた。約2年前、リアルサウンドにて取材をした際は、音楽業界やシーンに対して鋭い指摘を行い、大きな反響を呼んだが、さらに状況が変化した現在の様子を、石田はどう捉えているのか。(参考:デビュー20周年の鬼才・石田ショーキチ登場 Spiral Lifeと90年代の音楽シーンを振り返る)新作についてはもちろん、大手に所属せずに音楽活動を展開するメリットから、最近の邦楽ロックにおける“4つ打ちロック”の流行や、現在の音楽業界が抱える難点についてまで、大いに語ってもらった。

「いまは本音でいかないと伝わらない」

――石田さんは2011年以降、ギター1本で全国を周るなど、その活動の方法を大きく変えました。現在、年間にどれくらいライブを行っているのですか。

石田:以前は数えるほどしかライブをやらなかったんですけど、いまは年間50~60本くらい行っています。震災のあった年から、一人でアコースティックでツアーを始めました。あの年は日本中のいろんなことが変わったように、音楽の世界にも大きな変化があったんです。震災の直後は、多くのCD作品が販売自粛でお蔵入りになってしまったり、興行関係でもライブイベントなどが軒並み自粛で開催されなくなったりして、音楽の仕事がなにもなくなった時期なんですね。しかし、それでも音楽を求めている人はいるわけで、これは自分で届けに行かなければいけないと思っていたところ、シンガーソングライターの青山陽一さんにお話を聞いたら、彼はフットワーク軽くいろんなところでライブをしていたんです。それで、彼が僕の地元でライブをするというので観に行ったら、25人も入ればいっぱいになるバーで演奏していて、一体感がすごかったんです。僕も飛び入りで弾かせてもらったのですが、お客さんも喜んで観てくれていて、すごくいいなと思って。すっかり影響されて、その夏から僕もアコースティックツアーを周りはじめました。

――実際にひとりで周ってみて、以前のツアーとはどんな違いがありましたか。

石田:かつてはどうしても大所帯な移動でした。Scudelia Electroの時代だったらメンバー3人に加えてサポートメンバーが3人も4人もいて、さらにローディー、舞台監督、PA、メーカーや事務所のスタッフと、みんなで民族大移動みたいに新幹線で移動していて、すごくコストが掛かっていたんです。でも、青山さんはギター1本で颯爽とどこにでも行く。それで僕も実際に行ってみたら、コストも掛からないから身軽に色んなところに行けるんですよ。初めて訪れる地方に行くと、「20年間待ってました」といって涙を流して喜んでくれるお客さんもいて、そういうのを体験していると「今まで俺は何のためにやってたんだ」って思っちゃって。音楽は、こうして泣いて喜んでくれる人のために演るべきじゃないのか、これが本当のスタイルじゃないかと思って、やみつきになってしまいました。それにもともと電車に乗るのが好きなので、在来線でコトコト旅していくのも楽しい。また、コストが掛からないからその分、実益も大きくて、非常に素晴らしい活動スタイルを覚えたと思っています。もちろん、バンドを連れていってライブを演るっていうのも、バランスをとりながら続けています。

――石田さんはエレクトロニック・ミュージックに傾向していた時期もあるし、バンド活動もしています。そうしたスタイルと比べてアコギ1本のプレイにはどんな利点があるといえますか。

石田:ひとりで演奏することの一番の利点は、好きなことが出来ることですね。古今東西洋邦、色んな年代の曲を思いつくままポンポンやるんです。レッド・ツェッペリンと演歌をメドレーでつないだりするんですけど、ほかに一緒にやる人がいたら、打ち合わせや稽古をしたりしないといけない。そうじゃなくて、思いつきで、例えばお客さんが「ジュリー演って」っていったらジュリーを演る。そういう自由度の高いライブがすごくやりやすいです。一方でアコースティックでも、自分のCDを聞いてくれているお客さんにとって、バンドで録音したものと遜色ないロックなグルーヴをアコギ一本で生み出さないと満足してもらえないと思っているので、しんみりした弾き語りは絶対にしないんです。いわゆる弾き語りとは線を引いて考えています。

――そういう意味で、12弦のギターはやはり効果的なのでしょうか。

石田:弦が12本貼ってあるので単純に音がデカいっていうのと、たとえば6弦と5弦にはオクターブが違う弦が張ってあるので、そこを「ベンベンべベンベン」と弾いただけでも、音に厚みがあってグルーヴが出しやすいんです。それに加えて、ほかの弦でフレーズを鳴らすなど、ひとりでもバンドアンサンブルっぽいことがやりやすい。本来はそういう用途で作られたギターじゃないんですけど、応用して使っています。ギターはリズム楽器としても使える万能な楽器なので、ちゃんとリズムやグルーヴをこれ一本で作っていかないと、ロック・ミュージシャンとしては名折れではないかと(笑)。

――今回のアルバム『Life is mine, Life is fine』では、アコースティックなアプローチというよりもむしろ非常に音圧のある作品で、メジャー感のあるバンド・サウンドが印象的でした。

石田:この歳になるとあまり小細工ができなくなるというか(笑)。太い筆で一筆書きで書くぐらいしかできなくて、自分のバンドを引き連れて、スタジオで一気に録ってみたらこういう音になりました、という感じなんです。あんまり細かいニュアンスとかは気にしなくなっていますね。良いメロディがあって、ダイナミックなグルーヴがあって、良い演奏があればそれでいいんです。ぼくはいま一緒にやってくれているバックのバンドがすごく好きで、強い絆で何年も一緒にやっているので、彼らが活き活きとプレイしてくれれば、それが一番だと思っています。

――テーマは「人生」ということで。

石田:なんかね、まとめようとすると、そんなことしかないんですよ(笑)。お客さんはシンガーソングライターとしての作品、つまり僕自身のパーソナリティを求めていますから、そうなると石田というものが、何を感じてどういうふうに生きているかを書くことになりますよね。昔はそういうことを歌にするのにすごく照れがありましたし、「音楽だけ評価してくれ、俺の人生とか関係ないから、俺の作品と俺の個人は切り離して考えてくれ」みたいに考えていました。でも、いまはそっちのほうが逆に面倒くさくなったというか。そんなに器用なことはできなくなったというか(笑)。

――ご自身はかつて渋谷系とも称されてきましたが、今作では日本の邦楽からの影響も色濃く感じました。

石田:そうですね、マイナーコードを使った曲作りなどは、とくに昭和の歌謡曲からの影響がすごく大きいと思います。筒美京平さんや都倉俊一さんの曲などは、昭和の子供の頃に肌で受けた感覚が根付いているのかもしれません。その後、思春期の頃に日本のヘビーメタルやニューウェーブの時代を経ているので、日本の音楽の坩堝みたいな感覚はあります。

――かなりエモーショナルに歌いきっているのも印象的でした。

石田:昔は感情を込めて歌ったりするのはあまりかっこよくないと思っていたし、そういう感覚は同時代に渋谷系といわれた人たちは少なからず抱いていたと思います。でも、それでは伝わらないものがどうしてもあるし、もうそんなこと言っている時代じゃない。どれだけ盛り込んでどれだけ伝えるかという時代だと思いますし、やっぱり本音でいかないと伝わらないじゃないですか。いまは薄っぺらいものは、すぐに裏を取られてバレる時代で、たとえば「1年半前のツイッターではこんなこと言ってたくせに」とかいわれて、簡単に化けの皮が剥がれる。僕らとしては、二十年以上に渡って音楽をやってきて、中には間違ったこともあっただろうけど、大方は良い音楽を作ろうと積み重ねてきたので、それを「私はこういうものです」って見せるしかないんじゃないかな。

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