吉田山田「日々」はなぜヒット? ストーリー系歌詞の系譜から読み解く
ストーリー系歌詞の系譜
ところでストーリー系歌詞の系譜は、まだ「歌が世につれ」ていた1980年代以前にも連綿と存在し、主流ではないものの記憶に残るヒット曲を生み出していた。
たとえばちあきなおみ「喝采」は、歌手を目指して故郷を捨てた娘と亡くなった父の葬式を描いたストーリー系歌詞の傑作であり、その情景喚起力は今もって音楽史上に金字塔を聳えさせている。そして広くは萩原健一の歌唱で知られるBORO「大阪で生まれた女」は、18番まである30分超の大作で、量・質ともにストーリー系歌詞の代表作にふさわしい。また、アリス時代の谷村新司は日本では稀有なストーリー系歌詞の職人的な作り手と言え、「チャンピオン」「ジョニーの子守唄」など多くの名曲をモノにしている。
その他にも、ある人間の一生や一時代を描くだけでなく、男女の恋愛など多様なモチーフを得て、その度合いは強弱あれどストーリー系歌詞の系譜は存在し続けた。ところが、バンドブームでメッセージ系歌詞が全盛時代を迎えると、その後のJ-POPに続く流れの中でストーリー系歌詞は相対的にその専有面積を少なくしていく。そしてこの間の歴史が世代を超えたヒット曲の出にくい状況になっていったのは、ストーリー系歌詞の衰退と歩を一にするものではないだろうか。
ストーリー系歌詞をどう新鮮な形で表現するか
そこで再度、吉田山田「日々」である。「日々」はこの状況下において、ストーリー系歌詞でもって全世代的に受容されるという極めて困難な達成をやってのけた。これは先行する「トイレの神様」とニコイチで賞賛するべきかもしれないが、とにかく成し遂げた結果については大いに評価すべきだろう。
しかし巷間聞かれた「ベタ」という批評に対し、同意せざるを得ない部分も大きい。具体的に言えば、「日々」の言葉のチョイスには、はっとさせられるものがあまりないのだ。最大公約数的に共感を狙うこと自体はポップミュージックとしてある意味当然の作法であるが、平易な言葉や表現でも喚起力を持ち得ることを、私たちは先人の仕事から学ぶことができる。たとえば「大阪で生まれた女」の「躍り疲れたディスコの帰り」という有名なフレーズは、それに続く「これで青春も終わりかなとつぶやいて」というフレーズに見事に呼応しており、聴くものを一気に主人公のいる世界にいざなう。
ストーリー系歌詞の作詞家は現在のシーンにおいて稀有な存在であり、この構造をもった楽曲は、世代を問わないヒットを飛ばせる可能性を秘めたフロンティアであると言えよう。吉田山田の二人には、「日々」をスタート地点に、自らをストーリー系歌詞の系譜に自覚的に位置づけ、この困難だが価値ある道に精進していってほしい。
(文=佐藤恭介)