冬将軍がV系海外進出の歴史を考察
ヴィジュアル系はいかにして海外で支持を集めたか? the GazettEらの活動に見る開拓精神
洋楽 vs PIERROT
「ヴィジュアル系ロックバンドの矜持」という言葉で思い出されるのは、マリリン・マンソン主宰〈BEAUTIFUL MONSTERS TOUR 1999〉だろう。サマソニの前身にもなったこのイベントには、マンソンを筆頭にメガデスやミスフィッツといった大物海外アーティストの中にPIERROTが出演している。このときボーカル・キリトの「洋楽ファンの皆さん、初めまして。僕らがあなたたちの大嫌いな、日本のヴィジュアル系バンドです。洋楽ファンの方たちにとってはこの時間がトイレタイムということで〜」という皮肉めいたMCは今でも語りぐさになっている。賛否両論あるとはいえ、洋楽ファンに歓迎されるわけでもなく、有名音楽評論家にまで名指しで非難された状況を見れば、痛快ともいえる発言だ。
シーン先駆者としてのBUCK-TICK
そして、同イベントにおいて、PIERROTと対照的に好意的に見られたのが、翌日に出演したBUCK-TICKである。hideとマンソンの共演が発端とも言われるこのイベント。そういった意味では“hideの盟友”枠として捉えられた節もある。だが、以降のBUCK-TICKが「ヴィジュアル系はお門違い」という暗黙の了解のあったフェスに早くから出演していることも興味深い(SUMMER SONIC 03&06、RISING SUN ROCK FESTIVAL '07、COUNTDOWN JAPAN 10/11など)。最先端のサウンドと独自の音楽性を貫いてきた経緯から「BUCK-TICKはヴィジュアル系なのか?」という論争がしばし起ってきた背景もあるが、“脱・ヴィジュアル系”という風潮もあった同時代のバンドの中で彼らはメイクを止めていない。むしろ、それを嘲笑うかごとく、『十三階は月光』(2005年)というヴィジュアル系の原点ともいうべき、ゴシックをテーマにしたコンセプトアルバムを作り、シーン先駆者としての真骨頂を見せた。
DIR EN GREYの世界進出
この流れで触れなくてはならないのは、“Visuak-kei, V-Rock, J-Rock”の名を海外に広めた立役者、DIR EN GREYである。過去にLOUD PARKにも出演している(2006年)。〈Rock am Ring〉〈Rock im Park〉(共に2006年)といった大型海外フェスにて唯一無二の存在感を見せつけ、年間12カ国121本(2007年)という公演数を見れば、実力と人気の高さがわかるだろう。宣伝効果を含めたような大会場での単発公演ではなく、数千人規模での定期的な海外ツアーが出来る数少ないバンドだ。そんな彼らだが、最初から受け入れられたわけではない。知名度を飛躍的に上げることになったKOЯN主宰の〈THE FAMILY VALUES TOUR〉(2006年)では、冷ややかに彼らのステージを眺めるオーディエンスの姿も少なくなかったことが、市販されたDVDでも確認できる。彼らはジャンルへの偏見はもちろん、国境、言葉といった壁さえ、実戦で切り開いてきたのである。
丁度この時期にインディーズ最大のイベント〈Independence-D〉が行われている(2005〜2007年)。「世界から日本へ、日本から世界へ」というスローガンの下に、ジャンルレスの洋邦バンドが一同に介した。マキシマム ザ ホルモン、9mm Parabellum BulletやTOTALFATといったバンドに加え、シド、ムック、メリー…といったヴィジュアル系バンドが日本のヘヴィロック代表として参加している。90年代後半より見られたヘヴィロックシーンがヴィジュアル系シーンに波及し、その地位を確立したと同時に、ジャンル・国を超えたイベントが活性化し始めた時期でもあった。
異ジャンルが集うイベントやフェスは様々な波紋を呼ぶ。何かと風当たりの強いヴィジュアル系であるならなおさらだ。この先も「ジャンルの壁」は大きく立ちはだかってくることだろう。だが、異なるものが予想外の化学反応を起こすことだってある。10年前に、これほどヴィジュアル系が海外で人気を高めることを誰が予想していたであろうか。コアな趣向になればなるほど視点が内向きになってしまうことは否めないが、内向的なものが実は一番外向きだったということはよくあることだ。演者だけではなく、応援する側も広い視野と偏見に負けない信念を持ちたいところである。
■冬将軍
音楽専門学校での新人開発、音楽事務所で制作ディレクター、A&R、マネジメント、レーベル運営などを経る。ブログ/twitter