姫乃たま「地下からのアイドル観察記」
テンテンコに姫乃たまが訊く(後編) BiS卒業後、フリーランスの道を選択した理由とは?
「北海道のずっと田舎」に生まれ、海沿いの街を転々としていた少女は、年を重ねるごとに音楽に傾倒し、大学進学をきっかけに「いつかここで暮らすんだろうな」と思っていた東京で、誘われるがままバンドのボーカルになった。しかしバンドは一年ほど活動したところで、「特に理由なく休止」し、気づけば就職先も決めないまま大学を卒業しそうになっていた彼女は、偶然ツイッターで見かけたオーディションに応募した。
そして日本屈指のアイドルグループBiSに「受けたら受かった」ので加入した。これがテンテンコの誕生である。
それから一年と数ヶ月、BiSが解散し、“テンテンコ”から“DJテンテンコ”へと脱アイドルしたテンテンコさんに、脱アイドルさせられそうな地下アイドルの姫乃たまが、フリーランスについて話を聞いてみた。
(前編はこちら:テンテンコに姫乃たまが訊く(前編) 北海道生まれの音楽好き少女がBiSに加入するまで)
「自分のやりたいことがBiSに入ってからなんとなく見えちゃってた」
――急にアイドルになってみて、どんな感じでしたか。
テンテンコ:アイドルはすごいなって思います。チェキとか握手とか。でも正直、一年やってみて、私はもういいかなって。お客さんにも、演者にとっても良い部分はあるし、良いCDを広めるための手段ではあると思うんですけど、CDって売るためにそこまでやるものなのかなって思いました。同じ人が何枚も買って、意味はあるのかな。
――CD特典の握手会やチェキはアイドルの中で一般的になってきましたが、BiSはアイドルの中でも異端なグループでしたよね。
テンテンコ:解散することも決まっていたので、オーディションで「このグループ解散するけど大丈夫?」って聞かれました。
――うーん、改めて冷静に聞くと珍しい話ですね(笑)。
テンテンコ:BiSは一言でいうと大変でしたね。単純に忙しいですし、私が加入した頃はみんな疲れてました。もう解散しちゃうから、最後だし盛り上げなきゃっていう焦りもすごくあって。基本的には楽しかったですけどね。メンバー同士もなんとか仲良くやってましたし。ただ、やっぱりどこのアイドルさんも同じだと思うんですけど、作ってる側と演ってる側で対立しちゃうんですよ。みんな追い込まれてる中で、話題作りのためだけに変なことさせられそうになって、全裸でダイブしろって言われたり。その時は焦りもあって、やんなきゃいけないのか……?っていうのと、いやいや、やらなくていいだろっていうのでせめぎ合ってました。まあ、私だけその場にいなかったんですけど……。
――あれ、何してたんですか。
テンテンコ:インフルエンザで……。最後の冬のツアーはずっと車中泊だったんですけど、世間的にも、お客さんの間でもインフルエンザが流行してて、私も仙台公演の朝に高熱がでて、無理やり帰されちゃいました。そういうこともあって、メンバーが一人減ったことで、みんなが追い込まれてしまったのもあると思うんですよね。
――BiSでの活動を経て、フリーランスの道を選択したのはなぜですか。BiSが解散したら、テンテンコさんの活動を引き受けたいという事務所やグループがたくさん出てきたと思うのですが。
テンテンコ:私、自分のやりたいことがBiSに入ってからなんとなく見えちゃってたんです。もしかしたらBiSに入る前から、本当は気づいてたのかもしれないですけど。自分で何かを作っていきたいんです。でも、どこかに所属するとプロデュースされなきゃいけないじゃないですか。事務所だってアーティストを売らないといけないわけだから。私は多分、人からあれやれ、これやれって言われたら続かないなって思ったんです。じゃあ、自分でやるしかないのかなって。
――自分のやりたいことを、やりたいペースでできる方法を考えた結果のフリーランスなんですね。しかしDJとはまた厳しそうな道を……。
テンテンコ:DJだったら、ひとりでできるし、フットワーク軽く仕事ができるかなって思ったので。