フランキー・ナックルズ逝去を惜しむ声続く シカゴ市長「偉大な文化的パイオニアを失った」

 ハウス・ミュージックの生みの親のひとりとして知られ、ファンの間では「The Godfather of House(ハウス・ミュージックのゴッドファーザー)」と呼ばれるDJ・プロデューサーのフランキー・ナックルズが糖尿病の合併症のため3月31日に亡くなった。享年59歳。

 ニューヨークに生まれたフランキー・ナックルズは1970年代よりDJとしてのキャリアを開始。もうひとりのハウスの祖として知られるDJ、ラリー・レヴァンと共にゲイ向けのバスハウスで活動を行うようになる。その後1977年に拠点をシカゴへ移したナックルズは伝説のアンダーグラウンド・ナイトクラブ「ウエアハウス」で音楽ディレクターに就任(ハウスという名称の由来は地元のレコード店が彼のミックスを「ハウス・ミュージック(ウェアハウス・ミュージック)」と称して販売したのが元と言われている)。その後は自身で「パワープラント」というクラブをオープンする。

 1986年にジェイミー・プリンシプルと作り出した『Your Love』、翌年には『Baby Wants To Ride』をリリース。1988年からはデヴィッド・モラレス、富家哲らとともにDEF MIX PRODUCTIONSを組み、メジャーなアーティストにリミックスを提供するようになる。ヴァージンレコードよりリリースされた2つのアルバム『Beyond The Mix』『Welcome To The Real World』ではダイアナ・ロスやマイケル・ボルトン、メアリー・J. ブライジ、マイケル・ジャクソン、ジャネット・ジャクソンらが名を連ね、中でもトニー・ブラクストンの『Unbreak My Heart』は100万枚以上のヒット。この功績から97年に新設されたグラミー賞「Remixer of the Year」の記念すべき初受賞者となった。

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