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小野島大が分析する、佐久間プロデュース哲学の成立過程

音楽プロデューサー佐久間正英の偉大なる軌跡 最後の作品集『SAKUMA DROPS』を紐解く

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 だが、どうもこの作業はお互いにとって愉快な仕事というわけにはいかなかったようだ。前出の佐久間のブログには「結構大変な作業だった。途中平沢君と何度か意見をぶつけ合いながら。スタジオの後にミーティングが続いた」と簡潔に記されているが、筆者が平沢に話を訊いた時、初期P-MODELのアルバムについて、直接的に佐久間について言及はしなかったものの、できればなかったことにしたい過去である、というような意味のことを言い出して驚いたことがあった。『ロック画報』誌のインタビュー(2002年8号)ではもう少し穏当に、「あれはうまくいってないんですよ。つまり録音の仕方も知らなかったんでイメージの中にあった完成形とは違って」と語っているが、いずれにしろ平沢は『IN A MODEL ROOM』での佐久間の仕事には満足していないようだ。

 これについて佐久間は前出の『電子音楽インジャパン』でこう語っている。「平沢君はもともと、ああいう過激な人だったというかタイプだったんで、大変だったのがそことの兼ね合いでね。詞というかサウンド的に、あんまりアングラになっちゃわないようにしようっていうせめぎ合いでしたね、僕と平沢君の。僕は一般化、ポピュラー化しなきゃいかんという立場でね」

 つまり、あくまでもパンキッシュでカッティング・エッジなニュー・ウエイヴ・サウンドにこだわる平沢と、その尖った部分を削ってポップなものにしようとした佐久間の対立だったということのようだ。

 レコード・デビューを目前に控えていた平沢と、プロデューサーとしてのキャリアをスタートさせたばかりの佐久間。それぞれ当時25歳、27歳と若かったふたりは、互いの音楽観を賭けて衝突した。今なら平沢は佐久間にプロデュースを頼まないだろうし、佐久間も受けなかっただろうが、そのころはまだ駆け出しの身であり、お互いのことをよく知らなかった。ここから先は想像でしかないが、まだ裏方としての経験も浅かった佐久間は、プロデューサーとしての身の処し方をわかっていなかったのだろう。アーティストのやりたいことをバックアップするという立場を忘れ、「このアーティストは、このレコードはこうあるべきだ」と、自身のエゴや自我をその場に持ち込んで、アーティストとやりあってしまった。そしてこの時の苦い経験が、「音楽はアーティストのものであってプロデューサーのものではない」という、自身のプロデューサー哲学を確立するきっかけとなったのではないか。その意味でも、P-MODELとの仕事がプロデューサー佐久間正英の出発点だったと言えるのである。

 『SAKUMA DROPS』の最後は、佐久間自身の作詞作曲演奏(ヴォーカルは元JUDY AND MARYのTAKUYA)による曲である。アーティストとして佐久間の作品はほかにもあるが、この曲のみ、自身の自我を投影した楽曲を、プロデュース作品集に収録したのはなぜか。発表の場としてこれが適当だったということとともに、不治の病で死期を悟ったアーティスト佐久間正英を、プロデューサー佐久間正英が最後の力を振り絞ってプロデュースした作品、という意味が込められているのかもしれない。

 手がけたアーティストは140余り。歴史に残る偉大なプロデューサーのご冥福を、心から祈りたい。

■小野島大
音楽評論家。 時々DJ。『ミュージック・マガジン』『ロッキング・オン』『ロッキング・オン・ジャパン』『MUSICA』『ナタリー』『週刊SPA』などに執筆。著編書に『ロックがわかる超名盤100』(音楽之友社)、『NEWSWAVEと、その時代』(エイベックス)、『フィッシュマンズ全書』(小学館)『音楽配信はどこに向かう?』(インプレス)など。facebookTwitter

      

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