KAMIJO×國分功一郎の異色対談 ヴィジュアル系はいかにして海外で支持を広げてきたか

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ヴィジュアル系アーティスト×哲学者という異色の組み合わせながら、話は大いに盛り上がった。

「ヴィジュアル系の海外への出方は、いろいろな分野で参考になる」(國分)

國分:そうなんです。英米の基準に合わせて、認めてもらって…。これはちょっと悪い言い方になってしまうんですが、それは劣等感の裏返しのような気がするんです。あくまでも向こうのルールに合わせて、「自分達だってできるんだ」という主張です。それに対して、ヴィジュアル系のおもしろいところ、すごいところは、これまで「向こう」で作られてきたルールを書き換えてしまっているところです。しかもそれが受け入れられて、ファンを世界中にもっている。これが本当にすごい。

KAMIJO:日本の綺麗なメロディの元をたどると演歌だと考えていて、ああいうメロディは海外のロックバンドはなかなか作れないと思うんです。だから日本の外タレかぶれなロックミュージシャンもそれを恥ずかしくてできないんじゃないかな。しかしヴィジュアル系はそれが堂々とできてしまう。

國分:KAMIJOさん自身は演歌を意識されたりしていますか?

KAMIJO:僕自身のバックボーンはポール・モーリアなんですけど、ポール・モーリアを日本の友人に聴かせると「演歌じゃん」と言われるんですよね(笑)。哀愁のあるメロディというか、音楽的にいうとちょっとしたスケールの差だと思うんですけど。フランスと日本にはそこにも共通点があると思うんです。

國分:KAMIJOさんが影響を受けたミュージシャンにポール・モーリアの名前を挙げているのを読んだ時にはちょっとびっくりしました。

KAMIJO:そうですか?「オリーブの首飾り」を聴くと普通の人は手品が始まると思うんですけど(笑)、「チャラララララ〜♪」って。だけど、僕としてはそのあとのメロディが最高だと思うんです。

國分:Versaillesや今回のKAMIJOさんの作品も聴かせていただきましたけど、過激で激しいところはあるけど、どこか懐かしさがあるんですよね。ヨーロッパのロックミュージシャンだとこういうのは中々考えられないと思うんです。ちなみに、僕らの業界も「哲学」自体がヨーロッパのものですから。向こうから来たものを紹介することを仕事にしているんですよね。それ自体は大切なことなんですけど、日本人の思想家の中でも、海外に売り出していきたいという気持ちを持つ人がいた。ただ、学生の頃なんかにそういう人たちを見ていて、どこか、「外タレかぶれのミュージシャン」と同じような状態に陥っているように僕には見えたんです。西洋の哲学者に対して「オレだって同じことできるぞ」みたいな感じにのっかっていくような(笑)。もちろん日本ですごいことをやっている人はたくさんいるし、僕自身も海外の思想に負けないぞって気持ちでやっているんですけど、そういうやり方じゃあちょっとダメなんじゃないかなと思ったんです。

KAMIJO:僕は英語は全然できないんですね。歌おうと思ったこともあるんですが、それに対して海外のファンの方は僕らには日本語で歌ってほしい、自分たちも日本語でVersaillesの曲を聴きたい、歌いたいという気持ちでいてくれて。海外のファンの方とお話する機会があると、みなさん日本語を勉強されていて、音楽に対しての愛情の注ぎ方が勉強というところにまで向いてるんだなと。すごいなと思いますね。

國分:ヴィジュアル系の海外への出方っていうのは、音楽だけではなくていろいろな分野で参考になると思います。向こうのルールに対して「僕たちもあなたたちが作ったルールで上手く演じられるんですよ!」と主張して認めてもらおうとするのではなく、自分のやりたいことを自由に追求することで、そのルールを書き換えてしまう。やはり自分たちが「面白い!」って思うことを突き詰めるのが大切ですよね。

KAMIJO:面白いこと、大好きですからね(笑)。
(後編【KAMIJO×國分功一郎が語るX JAPANの功績 ヴィジュアル系の「自由」と「品格」とは?】に続く)

(取材・文=藤谷千明/撮影=逸見隆明)

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