『1995年』著者、速水健朗氏インタビュー(後編)
「小室哲哉は地方のマーケットを見抜いた」速水健朗がJPOP激動期としての90年代を分析
――著書『1995年』ではカラオケ文化の流行についても書かれています。
速水:通信カラオケが普及するのがまさにこのころですね。当時はCDが売れていた時代とよく言われますが、正確にはシングルCDが異常に売れていた時代なんです。なぜかというと、カップリングにカラオケバージョンが収録されていて、人はそれを求めていた。
『CDよりもライブ』『コンテンツよりもコミュニケーション』と叫ばれるような状況は、実は音楽産業には昔からあったわけで、当時はカラオケというコミュニケーションのツールとしてシングルCDが売れていた時代に過ぎません。
――当時と比較すると現在ではカラオケによるコミュニケーションがあまり見られなくなったように思います。
速水:カラオケのポジションが当時とは違いますよね。当時は、会社の飲みニケーションの二次会的な存在がカラオケで、OLが上司たちと行くみたいなものがメインですよね。今は、もっと同世代の仲間内のコミュニケーションになってる気がします。それはヒットチャートにも表れています。
当時は、OLがカラオケで歌うための歌というジャンルがありました。その代表が今井美樹ですよね。平松愛理、広瀬香美、辛島美登里、あと個人的に好きなところだと古内東子のような音楽は、OLというある種の社会階層に向けてつくられた音楽として、サプリメントのように消費されていた部分があります。単なるカラオケで歌っておじさんに褒められるだけではないというか、自分たちの生活の応援歌でもあるといったような。彼女たちに救われた女性もたくさんいたんだと思います。この前段階におけるユーミンや竹内まりやの存在も重要だと思いますけど。
いまの時代に、こうしたOL向け階級音楽が存在できなくなっているのは、まさに社会状況の変化というか、非正規雇用が増えたり、会社帰りの飲みニケーションがなくなったとか、そういった状況の反映かもしれないですね。
――最後に改めて1995年と現在を比較して、その類似性についてお聞かせ下さい。
速水:JPOPが階級的な音楽だっていう話をしてきましたけど、当時はそれがチャートという形で、わりと暴力的に『JPOP』って括られていた部分があるんですね。いまは、もっと明確に階級的な感じになっているんだと思います。湘南乃風のファンがサカナクションを聴いてみるみたいなことって、起こり得なくなっているというか。それは良い悪いではなく、むしろ音楽評論的にはおもしろくなっている。EXILEを聴く社会階級について考えるみたいな事って、評論のおもしろさですから。
あと、1995年頃の音楽シーンが楽しかったというのは、単にCDが売られる物理的な場所=ショップが変化して、古いものと新しいものが同時に登場して混合したみたいな環境面によるものだと思うんですね。音楽制作のテクノロジーの変化の時期だったというのもあります。その意味では、現代もまさにそういう状況にあるんじゃないですか。まあ僕はそれを楽しんでいる音楽消費者ではないので、多くを語ることはできませんけど。
(取材・文=北濱信哉)