菊地成孔の『シェイプ・オヴ・ウォーター』評:ヴァリネラビリティを反転し、萌えを普遍的な愛に昇華した、見事なまでの「オタクのレコンキスタ」は、本当にそれでいいのか?

菊地成孔の『シェイプ・オヴ・ウォーター』評

アレクサンドル・デスプラの異様なほどの素晴らしさ

 それは、前述の通り、ゲーム内世界にも見えうるし、ペットを一方的に溺愛する女性にも見えかねないし、外人の恋人とだけうまくやれる女性の熱愛ぶりにも見えかねない。が、いずれにせよ、男性側の愛の表現は、女性側の爆発的なそれに押され、薄いとか弱いというより、画竜点睛に欠く。

 ネタバレになるが「命がけの逃走劇の果て、最後に恋人の命を助け、一緒に水中で暮らせるように魔法をかけて変えてしまう」事によって、「そりゃあ愛しているでしょう」という事になるだけで、イライザ同様、人語を発声できない彼の、劇中のどこかに埋め込まれるべき、恋の発生⇨愛の深化の描写が、とうとう見当たらない。

 かのETは、かの名セリフ「ET、オウチ、カエル」のたった一言で、子供たちとの交情を圧倒的に示したというのに。ETは植物学者だった。そして<彼>は、おそらく(南米の河で)神格にいる存在である。神格にいる者だからこその、世間知らずぶりなのだろうか?しかしそういう描写もない。

 この、「異形の相思相愛」を、過分なまでに観客に伝え、ロマンティークの圧倒的な甘さと苦さで包み切ってしまうのが、アレクサンドル・デスプラの、本当に素晴らしいオリジナルスコアである。オクラヴィア・スペンサーと並ぶ、力の抜けた仕事ぶりだが、だからこその元々の筆力が炸裂した。

 何度もノミニーになりながら、欲がなく、ゲスい仕事もしないことによって、受賞は『グランド・ブダペスト・ホテル』だけに留まっていた彼に、最高の仕事をさせ、二度目のAA作曲賞受賞を与えた本作の功績は大きい。

 現代性と古典性、音色、和声、旋律と、どれを取っても、水準を大きく超えた天才的な豊かさが横溢する魔法のスコアを、フランス人ながらハリウッドに届ける、という意味において、既にデスプラは、現代のミシェル・ルグラン、あるいは超ルグランとして認識して良いと思う。全く誹謗でも皮肉でもなく、本作はデスプラのスコアを堪能できる隙に満ちている、その隙は、前述の、天然の詐術が生じさせた隙でもある。画面の描写に愛が横溢していれば、音楽は単なる伴奏、もしくは必要すらない。

 本作のデスプラのスコアが別作の水準をいきなり超えたのではない(ちょっと超えているが)、デスプラは過去、「愛」が画面に描かれている、いわば普通の作品に美しい音楽を与え、つまり二重描写によって、愛の胸焼けを観客に起こさせてきた。本作は、「愛が描けない」という不全によって、デスプラに大仕事を譲渡し、GGA、AA両受賞に導いた功績は非常に大きい。

被差別の重層化はリアル? ファンタジー? それともタクティクス?

 しつこいようだが、「いつまでも怪獣物なんかが好きじゃダサい」なんて、今は誰が誰に対してだって言いはしない。そんな古臭いことを言うやつは過去の記憶の中にいて、怨念の対象になったまま幽霊のようにうっすらしている。冷戦下の米ソの軍人なんて、それの一番大味なやつだ。

 その起爆剤に誘爆するようにして、「メキシコ移民は北米で迫害されつつある。トランプによって」という問題意識が引き出されるが、これは紛れも無い事実だとして、果たしてデルトロやイリャニトゥにとってリアルだろうか? おそらくリアルタイムリアルではない。本作は、現代のミシェル・ルグランによる最高の音楽に彩られた、差別など受けてはいない、むしろ現代のセンスエリート、ライフスタイルエリートであるオタクの夢を、好きなだけ好きなように炸裂させた、のびのびした作品である。

 「マイノリティがそれをバネに作品を作る」という事実も一方にはある。そしてそれは、とても魅力的なファンタジーなのである、リアルな被差別者以外にとって。デルトロはそこに手を出し、まんまと成功したのである。そのことを良しとするか悪しとするかは鑑賞者が決めることだが、少なくとも、手を出さない限り、受賞はなかったのではないか。受賞が結果なのか目的なのか? これは本作に限らない、娯楽に於ける大いなる謎だ。本作はその謎に殊更強く訴える感動作なのである。

*追記

 本稿は、このようにして「本作は価値転倒の面白さ、素晴らしさに満ちているが、<賞取りレースに本腰を入れている>、としても、<好きなものを一途に作ってきた結果>としても、いまいちスッキリし切れないところがある」というテーマを、非常に回りくどく記述したものだが、それに従えば、例えば以下のような事実でさえ、「えーどっちなの? まさかー(笑)」と振り回されることになる。

 イライザのアパートメントから、「彼」を海に還すポイントである桟橋を繋ぐ公道(当然、この往復に作品最大のサスペンスが設置される)に「三つの看板」が掲げられており、往路にも復路にもちゃんと映る。文字通りの『スリー・ビルボード』である。いくらなんでもコレ偶然よね。いやでも、さりげない態で、結構はっきり2回映るし。

(文=菊地成孔)

■公開情報
『シェイプ・オブ・ウォーター』
全国公開中
監督・脚本・製作・原案:ギレルモ・デル・トロ
出演: サリー・ホーキンス、オクタヴィア・スペンサー、、マイケル・シャノン、リチャード・ジェンキンス
配給:20世紀フォックス映画
(c)2017 Twentieth Century Fox
公式サイト:http://www.foxmovies-jp.com/shapeofwater/

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