自分を繕って就活することに意味はある? 『何者』が示す、日本社会の奇妙な縮図

『何者』が突きつける、就活の奇妙さ

 就職活動を通し、自分自身を見つめていく若者たち。就活という闘い。社会という大きな渦を目の前にして、そこに身を投じる者、立ち尽くす者、追い詰められる者。腹の探り合い。就活に見る人間模様はカオスだ。そしてそこにある人間心理に、まるでホラー映画を観ているかのようにゾッとさせられつつも、そのブラックな心理に共感すら覚えてしまう。就活とは人を魔物にまで変えてしまうのか。人間の本性が映し出される。

 映画『何者』の原作者である朝井リョウ氏は、学生時代に小説家デビュー。大学卒業後、就活を経て一般企業に就職した経験も持つ。その経歴からか、就活、就職を通して自身の脳内に蓄積された社会に対する違和感みたいなものが、そのまま展開図となって私たちの前に飛び出してきたかのような、生々しさも感じる。それはすでに作家である上で就活をし、企業の一員になるという過程の中で、独自の感性を持つがゆえの強い違和感だったのかもしれない。

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 「1分間で自分を表現してください」これは映画の中で繰り返し出てくる言葉だ。おそらく就職の面接でもお決まりの文句なのだろう。もしくは日本の就職面接に対する総体的イメージそのものが、この言葉に集約されているということなのかもしれない。1分間という定められた枠、作られた規則の中に、自分を正しくはめ込むことができる人間が社会に適応でき、内定を勝ち取ることができる。まるでそう言われているかのようだ。

 ただこの質問自体、よくよく考えてみるとおかしな話だとも思う。まず1分間で語れるほどの自分なら、なかなか薄っぺらい。そして経験も浅く、これから人生というものを知っていこうとする段階の中で、自分がまだ“何者”かすら知り得ていない二十歳そこそこの若者にとって、隅まで追い詰めたようなこの質問。私も今になってやっと、もちろんそれは質問する側にも意図があっての事だろうと推測できるが、やはり当時の年齢であれば、1分間で表現できる自分っていったい何なの?と心の中で反抗したい気分になる。

 とはいえ限られた時間の中で、企業側としては何百、何千もの人数を捌いていかなければいけないという事実もあるだろう。だからとりあえずジャケ買いCDのように、学生をパッケージ化して判断していく。ジャケ買いしたCDを持って帰って聞いてみて、買ってよかった!と思えるものもあれば、ジャケットはよかったのだが…なんてこともきっとある。

 でも本来、ジャケ買い同様、1分間では人は判断できないものだ。その事実に反しつつ、訳も分からぬまま必死にパッケージとしての自分を、せっせせっせと制作していかなければならない若者たち。この波に乗り遅れれば次の波は二度と来ない、そんな焦りと闘いながら。このパッケージ制作が成功するか否か、合否はそれにかかっているのかもしれない。

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 先日カフェで黒スーツに身を包んだ女の子が、履歴書の枠ビッシリに配列された下書きの文字を上からペンでなぞりながら、それを消しゴムで消しては、また書いてを繰り返していた。そのけなげな姿に、どうかこの子の就活が報われますようにと願ったが、そんな努力もなかなか報われないものかもしれない。

 これまで私は就活に縁のない道を歩んで来た。つまり就活の経験がない。海外に出たり、事務所に所属し演技やモデル、その他の仕事もフリーランスでやって来た。それでも私は、面接をオーディションなどの形で数多く受けても来た。その度もちろん就活と同じように落ちまくるので、自分を全否定されたような気持ちにもなる。ただ一般企業のようにスーツの中に自分を押し込め、社会的な常識やマニュアルに則って受け答えするものではなく、そこにルールなどは何もない。その分気持ちは楽だ、自分の好きなようにアピールできる。よそゆきの自分でなくてよい。だからこそ自身のアイデンティティとは何なのか知りたくなり、それを探し求めた。

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