押井守監督は「戦争」を問い直すーー最新作『ガルム・ウォーズ』の“艦隊戦”が映し出すもの

『ガルム・ウォーズ』が訴えかけるもの

 高校時代、学生運動に目覚めた押井守は、刑事が家に捜査に来るほど運動にのめり込んだ。NHKの取材によると、焦った父親は息子・守を大菩薩峠の山小屋に軟禁することで、運動から遠ざけたという。押井守にとって、ある種「戦争」であり、不謹慎にいえば「祭り」ともいえる運動に参加しなかったという実体験は、アニメーション作家になってからの作風に小さくない影響を与えているように思える。『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』での、いつまでも来ない学園祭当日、『機動警察パトレイバー 2 the Movie』における仮想の市街地戦闘など、当時発散しきれなかった青春時代の悔恨を、押井監督は映像作品で繰り返し描き直し続けているのかもしれない。

 多くのアニメーション作品で作家性を前面に打ち出し、新技術を利用する映像表現と難解な言語表現を多用した象徴主義的な作風によって、押井守監督は、子供のためのものだったアニメを、大人が楽しめる娯楽として定着させた先駆者の代表的存在だ。アメリカのセールスチャートで『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』が一位を記録するという、日本の映像作品としては異例の大ヒットを成し遂げると、日本を飛び越え一気に世界で注目される映画監督となった。実写作品では、仮想現実での戦いを描いた『アヴァロン』の評価が高く、ウォシャウスキー監督やギレルモ・デル・トロ監督など、世界的なSF映画監督の熱狂的支持を受けている。

 ハリウッドSF超大作『アバター』が公開された当時、押井監督は各所で「あれには10年かけても追いつけない」と発言している。その「敗北宣言」の背景にあったのが、2000年に公開するはずだった押井監督の幻の映画企画「ガルム戦記」だった。後に『アバター』を監督することになるジェームズ・キャメロンがその製作に参加するはずだったという事情もあり、約260億円という圧倒的な予算をかけた『アバター』の世界的大ヒットは、押井監督にとって複雑なものがあっただろう。

 「ガルム戦記」が計画されていた頃、映画祭でそのラフなパイロット・フィルムが公開された。ある星で繰り広げられる空中戦艦や戦闘機が乱れ飛ぶという壮大な世界観の構想が明らかになると、日本発の世界的メガヒットSF映画が生まれるのではという期待が高まった。これが成功するということは、先端的映像表現によって、押井監督を先頭とする日本のクリエイターたちが世界の映画界をリードしていくという、ひとつの未来の可能性を意味していた。だが、大スペクタクルを実現させるため制作費が高騰するなどの事情によって企画が凍結されることで、その「幻想」も潰えてしまった。それでも「ガルム戦記」への期待は、ファンの間では長くくすぶり続けていた。

 2012年に企画が再始動し、とうとう完成した本作『GARMWARS ガルム・ウォーズ』は、当初の企画からは、かなりグレード・ダウンした内容だった。当初60億円だとみられていた制作費は20億円となり、部族同士の戦争や艦隊同士の総力戦などのスペクタクルは前半に集中し、内容の半分ほどは戦車に乗った数人と犬のロード・ムービーとなっている。映像表現の面においても、いまのハリウッドの最新の技術と比べると見劣りしてしまうのは否めない。また、作家的な面においても、本作の企画が凍結されている間の十数年間で作られた、『アヴァロン』、『イノセンス』 、『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』、『THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦』などの方が、テーマにおいても先を走っており、「いま、これを撮る必要があったのか」という声が挙がったとしても仕方がないかもしれない。だが、それが分かっていても撮りたかった、押井監督の言葉でいえば「撤退戦」だとしても撮らざるを得なかったというのが、監督自身の心情だったのだろう。

 ケルト神話や、旧約・新約聖書を基にして、「ガルム」と呼ばれるクローン兵士たちが繰り広げる終わりのない戦争のなかで、部隊とはぐれた兵士たちが自己の存在に疑問を抱き、世界の秘密に迫っていくという本作の内容は、今まで繰り返し語られてきた押井作品の定型といえる。異なるのは、描かれる戦いの規模である。なかでも敵同士の総力が激突する「艦隊戦」は監督の悲願といえる描写だ。『イノセンス』で、はるか洋上から攻撃を加える、CGで構築された巡洋艦の姿は、本作における大規模戦闘の布石といえるだろう。戦争映画における巨大戦艦の戦闘描写は、スケールの面で究極のものといえる。とにかくあらゆる部分が駆動しなければならず、リアルなCGでこの膨大な情報量を描ききるには、並大抵の手間では追いつかない。

 「艦隊戦」で想起される実際の戦闘といえば、太平洋戦争における、米国と日本の「ミッドウェー海戦」である。押井監督は、太平洋戦争で当時の軍部が多くの兵士を犠牲にしたことについて、それ以前のロシアとの戦争において「勝った、勝った」と喜び、実際の戦闘や社会情勢の中での日本の実情について、本質的な総括を行わなかったことが、原因になっていると述べている。そして太平洋戦争そのものにおいても、外交や実際の作戦において具体的な評価がされてこなかったことを批判している。本作の主人公である、空の部族コルンバの女性飛行士・カラの乗る戦闘機は、圧倒的な機動力で、束になって巨大な敵艦を沈める一方で、効果的な装甲を持たず、被弾すればすぐに炎上し墜落するという圧倒的な脆さも併せ持つ。クローンをじゃんじゃん作って命を捨てさせるということをルーチンワークとして行っている世界なのである。その絶望へと向かう狂気の描写は、実際の「戦争」を総括しようという監督の理解が下敷きとなっているだろう。

 ガルム達は生殖行為ができず、自らのクローンを作り続けるしかない。彼らは、そもそもなぜ戦争を始めたのかすら分からず、子供の頃の記憶すらなく、終わりのない戦争で命を捨て続けている。ハリウッドのベテラン俳優、ランス・ヘンリクセンが演じるのは、押井作品に欠かせないバセットハウンド(グラ)と人形(ドルイド)を連れた老人である。彼はガルムでありながら自己の存在の意味を追求しようとすることで、部族の中では異端的で反宗教的な存在となっている。それは、彼らの生きる意味である「戦争」について、技術的な意味、または論理性において本質的に問い直そうとする行為に他ならないからだ。

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