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荻野洋一の『シビル・ウォー』評:スーパーヒーローたちの華麗なる饗宴の影にあるもの

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 『シビル・ウォー/キャプテン・アメリカ』は、アメコミヒーローの内輪揉めを描いている。たくさんのアメコミヒーローがたがいに対立し、すさまじい喧嘩を繰り広げ、そのバトルアクションは質量ともに私たち観客の五感を圧倒してやまない。しかもバトルアクションがたっぷりと盛られているとはいっても、たとえば『トランスフォーマー』シリーズ近作のように粗雑なシナリオと構成の上で派手なバトルアクションばかりがひたすら持続するというのではなく、熟考された構想のもとに展開され、その点で見応えがまったく違う。

 映画の最初で、アフリカの都市に出動したアベンジャーズのメンバーは、戦いの最中に一般人を巻き込んで大勢の犠牲者を出す、という大失態を演じてしまう。「アベンジャーズはいったいどんな権限があって、あのような暴挙を繰り返すのか?」と、国際世論は厳しさを増した。彼らを国連の監視下におき、国連の許可なく行動を取れなくする「ソコヴィア協定」が議論される。そして、「ソコヴィア協定」に賛成するアイアンマン(ロバート・ダウニー・Jr.)やブラック・ウィドウ(スカーレット・ヨハンソン)側と、調印を拒否するキャプテン・アメリカ(クリス・エヴァンス)側が対立することになる。

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 この対立構図は、本作に先駆けて公開された『バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生』に相通じるものがある。スーパーマンのパワーが強大すぎて、彼が悪者を倒してくれるのはいいとして、戦いの際に生じる人的・物的被害が甚大で困るというのである。これと同じことを、アベンジャーズも突きつけられた格好だ。まるで20世紀以降「世界の警察」をみずから任じ、圧倒的な兵力で他国への軍事介入を繰り返し、世界中で恨みを買っているアメリカ合衆国そのものではないか。

 世界はスーパーヒーローに、つまりアメリカの正義の押しつけに「首輪」をはめたがっている。アイアンマンは、正義の体現にもう限界がきたと見切ってしまった。前作『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』(2015)における自身のウルトロン計画が最悪の結果を招いたことが、彼の現状認識をペシミスティックなものにしている。これに対してキャプテン・アメリカは、従来どおりの自由な意志と責任感に基づく正義の行使を、(いささか悲愴なほどに)信奉している。

 これはもうどちらが正しいとか、間違っているとかではない。たがいの正義観念の違いであり、果ては生き方の違いである。この映画が悲劇的なのは、彼らのような正義漢たちであってすら、平和的解決を前提とするネゴシエーションが不十分なまま、実力行使に直結してしまう、という事態ゆえである。その先にはシビル・ウォー、つまり内戦しかない。スーパーヒーローが楽天的に正義の味方たりえた時代の決定的な終焉を、本作はのっぴきならぬ緊張感と共に描き出した。アイアンマン軍vsキャプテン・アメリカ軍の内戦には、これまでアベンジャーズのメンバーではなかったスパイダーマン(トム・ホランド)、アントマン(ポール・ラッド)といった新メンバーも参戦し、花を添える。バトルアクションの華やかさ、バリエーションの豊かさ、そして少しだけユーモアーー本作はスーパーヘヴィ級の極上エンターテインメントでありつつ、ヒーローたちがおのおの抱えこんでいく憂愁が、いかんともしがたく映画全体をブルー・トーンに染め上げていく。

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 それにしても本作でタイトルロールを任されたキャプテン・アメリカは、なぜここまで執拗に「首輪」を拒み続けるのだろうか? その真情はアイアンマンたちからも理解してもらえなかった。彼の決心の固さは、彼自身の出自と関係がある、と筆者は考える。元々キャプテン・アメリカはその名前からもみても、また星条旗をあしらったユニフォームと楯からみても、多分に愛国的なキャラクターとして創作されたに違いあるまい。

 「キネマ旬報」誌5月下旬号における、アメコミに詳しい翻訳家・石川裕人さんの発言(同誌48ページ)が勉強になるので、ここに引用させていただく。「映画会社に代表されるように、アメリカのメディアにはユダヤ系が多いですが、マーベルもユダヤ系が作った会社で、ナチへの反感が特に強かった。キャプテン・アメリカの初登場は1941年春で、まだアメリカは第二次大戦に参加していないんですが、いきなり表紙でヒトラーを殴っている(笑)。じつに愛国的なキャラクターで、それで大戦中は人気を博したんですが、戦争が終わって敵がいなくなると人気がなくなってしまったんです。その後、朝鮮戦争やマッカーシズムの時代に、共産主義者を敵役に復活したんですが、それもすぐに終わってしまう」

 石川裕人さんの説明から分かるように、キャプテン・アメリカの経歴は決して楽天的に正義を謳歌し得たものではなく、時の権力に振り回され、迎合しながらの活動を強いられたようである。特に興味深いのが、マッカーシズム、つまり赤狩りの時代への関与である。ご存じのように、1940年代後半から1950年代にかけて、冷戦時代のアメリカに吹き荒れた赤狩りは、アメリカの映画人たちをことごとくブラックリストに載せ、弾圧を加え、活動機会を奪っていった。失職と抹殺を恐れた映画人たちは、左翼思想にかぶれた(経歴のある、あるいはその疑いのある)友人や現場の同僚の名前を10名、当局に教えなければならなかった。そしてその10名もワシントンに召喚され、それぞれまた10名の友人を名指ししなければならない。こうしてハリウッドからチャップリンやブレヒト、ジョセフ・ロージーなど、数多くの映画人が追放された。若手スターのジョン・ガーフィールドのように、死に追いこまれる者もいた。アメリカ人は友を恐れ、隣人を恐れるようになった。これは、アメリカ国民が建国以来持ち続けた、勇気ある理念《祖国を裏切るか友を裏切るか、二者択一を迫られた場合、迷うことなく祖国を裏切る》というテーゼそのものが、精神の内側から崩壊させられたことを示している。

      

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