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菊地成孔の欧米休憩タイム〜アルファヴェットを使わない国々の映画批評〜 第4回(後編)

菊地成孔の『ビューティー・インサイド』評:新しい「ゲイ感覚」に駆動される可愛い映画

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菊地成孔
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やっと「刑事と犯人」から解放(笑)

 当連載は(別にそういう決まりではないのだが)韓国映画、しかも(別にそういう決まりではないのだが2)犯罪や暴力を描いた映画の批評フォームの様相を呈して来ました。アイドル映画のエンタメから、カンヌ狙いのシリアスまで、最低でも必ず犯罪者と刑事は出て来ました。

 そんな中、本作は初の、刑事も犯人も出て来ない純粋なラブストーリーで、しかもメッチャクチャにお洒落で美しく、そして意欲的な作品です。

 とはいえ最初に強く断っておかなくてはならない事が

<本作は多重人格(解離性の人格同一性障害=DID)者のお話ではありません>

 今は斜め読みの時代ですから、本作の紹介を、雑誌と言わず、ネットと言わず、さらっと見たり読んだりした場合、ほとんどの方が『24人のビリー・ミリガン』みたいな、多重人格者の話だと思っちゃう可能性があります。

 ですが本作はそういう、実際に起こりうる、つまりリアルな病者の話ではなくて(*注)、もう童話というか寓話というか、解り易く言うとカフカの『変身』を極端にブローアップしたものです。

 ネタバレもへったくれも無い、シンプルな映画なので、ストーリーを丸々書いてしまいますと、

 <睡眠をとり、目覚める度に、性別も国籍も年齢も何もかも違う、完全な別人にになる人がいて、そんな物凄い人が、素敵なヒロインと恋に落ちたらどうなるか>

 ですね。「え?どういう事?」という方のために、もう少し詳しく書くと、主人公のカップルのうち、女性(ハン・ヒョジュ。植物系の、綺麗な若い人)は普通の人なんですが、彼女に恋してしまう男性が、寝て起きる度に、小学生やオバさんや外国人等々、ありとあらゆるヴァリエーションの別人に変わってしまうという「奇病」持ちなのです。127分の作品中、123回「変わり」ます。

 つまり主人公のカップルのうち、男性(って言ったって、途中、若い美女からオバアさんから、上野樹里さんにまで変わってしまうので、3割ぐらいは「女性」なんですけどね)を演じる役者さんが123人いるの(笑)。

 さて、どうなりますやら、、、、、と、全然、1ミリも全く、意外な事は起こりません。タイトル通りのハッピーエンディングで、「人間は外見じゃないんだ。内面の美しさなんだ。愛はインサイドにあるんだ」ということを、極端な手段を使ってやったと、もう、ストーリー的には一言でまとめられる映画です。

* 注)作中の設定では、SFのような感じで、主人公の「変身」は、非常に患者数は少ない奇病、もしくは家系的な遺伝(父親もそうだったので)として、何れにせよ「実際にある現象」とされています。

韓国に於ける精神科対応の病理、その、特にテレビドラマでの扱いについて

 「実在の精神病じゃないって言ったばかりじゃん。何度ソッチの話にすんのよ」と言われそうですが、逆に言えば設定がそうなだけであって、本作の極端な設定の源が、韓国に於ける、日本人が圧倒されるほどの「映画やドラマに出て来る精神医療の頻度」と、そのバックボーンにあること、更には後述される「LGBTは病気か病気でないか曖昧である、曖昧ではあるが、確実にひとつの美学を形成するし、病気ではないとする立場によるLGBT感覚の映画に傑作が増えつつある」傾向、について触れないと、本作を(或は、アカデミー作品賞こそ落としたが、間違いない名作である「キャロル」を)批評したことになりません。星付きレストランのデザート食べて「これ美味しいー! 甘過ぎないー!」と足をバタバタさせているようなものです。

ここでも米韓癒着、日本は仲間はずれな話(ベトナム戦争の事だけどね)

 アメリカでの精神分析治療、例えば、ウディ・アレンの映画に出て来る様な、「カウチに横になって、あるいは対面で座って、普段着の精神分析医に子どもの頃の話をしたりする」というようなアレが広く定着したのは、第二次世界大戦後だというのは有名な話ですよね。

 これは「精神科医が白衣を着て、外来、あるいは入院患者としての精神病患者を診る(薬も処方する。場合に寄っては前近代的な物凄い治療とかもしてしまう)」といった事とは基本的に違うのですが(前者は「神経症」を、後者は「神経症と精神病をどちらも」扱います)、「<二次大戦後>である理由」は言うまでもなく、戦争による心的な外傷、俗にいうところのPTSDによって、心の病を発症した帰還兵が患者として増えたからです(言うまでもなく2、この傾向はベトナム、イラク、と反復される中で泥沼化し、投薬も分析もカウンセリングもグッダグダになっていきます)。

 逆に、二次大戦までのアメリカに於ける「精神科の治療」は、まだまだ未成熟で、例えば1938年、二次大戦の足音が迫って来る時代のRKO「アステア=ロジャース・ミュージカル」末期の作品「気儘時代」でアステアが演じるのは(何と)精神科医、なのですが、精神科の治療というよりは魔法や催眠術に近く、ミュージカルコメディとはいえ余りに無茶苦茶で(笑)、大恐慌、一次大戦というハードな時代を経ても、少なくとも精神分析医療に関しては、としますが、牧歌的な時代だった事を目の当たりにしてくれます。

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