鹿野 淳に聞く、音楽フェスの現状と可能性「ロックミュージックを今の時代なりに位置づけたい」

鹿野 淳に聞く、音楽フェスの現状と可能性

 リアルサウンドの連載「フェス文化論」では、過去2回にわたってロックフェスティバル『VIVA LA ROCK』のプロデューサー鹿野 淳氏のインタビューを行ってきた。

 音楽雑誌『MUSICA』発行人でもある鹿野氏は、『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』や『ROCKS TOKYO』の立ち上げにも関わり、日本におけるロックフェスのカルチャーを根づかせてきたキーパーソンの一人でもある。

 『VIVA LA ROCK』は今年で4年目を迎え、5月3日、4日、5日の3日間、さいたまスーパーアリーナで開催されるロックフェスとして定着してきている。その一方、「邦ロック」という呼称が一般化したここ数年の日本のロックシーンにおいては、「四つ打ちダンスロック」と呼ばれる一つの潮流がブームとなり、一方でその次のモードを示すアーティストも目立つという、いわば過渡期の状況が続いてきた。

(参照:当連載の2014年記事「フェスシーンの一大潮流「四つ打ちダンスロック」はどこから来て、どこに行くのか?」 

 今回の取材は、それを踏まえて現状の問題意識とシーンの可能性を問うインタビュー。ブッキングの変化について、そしてこのフェス独自の試みである音楽同人マーケット『オトミセ』の変化について話を交わした。(柴那典)

「ビバラはロックフェス。その十字架を背負って運営してる」

――VIVA LA ROCKは今年で4年目ですが、まず過去3年間の道程をどう捉えていますか?

鹿野 淳(以下、鹿野):正直な話、うまく行き過ぎたと思っているんですね。それは何かというと、埼玉という場所に根づくフェスをちゃんと作ろうということ。ちゃんと埼玉にも土着の音楽シーンがあるべきだし、その一つの現場として、メディアとしてVIVA LA ROCKがあればいいなとに考えて作っていった。その部分に関しての賛同がちゃんと集まった結果、一年目からきちんと収益のあるフェスになったんです。集客能力としても去年は2万5千人を2日間ソールドアウトするまで成長していった。そこは大きな結果だと思います。

――埼玉のローカルに根づくフェスになったということを示す実証もあるんでしょうか?

鹿野:それこそ1年目は、お客さんの中では圧倒的に東京の人が多かったんですね。でも、2年目で埼玉の人が増してきた。3年目で埼玉県の方が上回ったんですよ。だから言ってきたことがちゃんと伝わってるというのがデータでも示されている。そういう意味ではラッキーだし、必死に頑張って考えたコンセプトがリーチしたという部分はあるのかなと自負はしています。

――過去にインタビューした際に、鹿野さんはVIVA LA ROCKは二つの狙いがあると言っていましたよね。一つは今おっしゃった埼玉に根づくフェスを作るということ。で、もう一つは、日本の音楽シーンにおいてロックフェスというものが果たす役割、「ロック」という名のついたフェスの持つ位置づけを喚起するということ。そのもう一つの側面についてはどうですか?

鹿野:これが、わからないんですよ。というのも、今の時代、ロックというものが非常に曖昧になっていると言われてますよね。とは言っても、そこにシーンはあるし、自分の事務所は下北沢にあるんですけど、やっぱりライブハウスはいまだに頑張って新しいバンドという才能を見つけている。弱体化しているとしても、ロックというものは音楽性としても、観念としても根づいていると圧倒的に思うわけですよ。そういう人たちのネクストビジョンとしてロックフェスがあるべきだし、その位置づけの中で進化すべきだということは、いまだに思っているんです。

170330-viva-shikano1.jpg
『VIVA LA ROCK』プロデューサー鹿野 淳氏

――なるほど。わからない、というのはどういうことでしょう?

鹿野:何がわからないのかっていうと、VIVA LA ROCKがロックフェスであるっていうことでメリットを持てているのか持てていないのかっていうことが、まずわからない。というのは、自分はマーケットを意識してるようで、そこの部分に関して全く意識してないんですよ。

――マーケットを意識してないんですか?

鹿野:簡単に言うと、今、2万人以上を集客するフェスは「メガフェス」と言われていますよね。そういうフェスは集客を増やすために音楽性も多様にしている。前に柴くんは「音楽フェスはテーマパーク型のレジャーである」ということを言っていたけれど。

――そうですね。フジロックなどの野外フェスはアウトドア型のレジャーでサマーソニックのような都市型のフェスはテーマパーク型のレジャーである、ということを、この「フェス文化論」の連載(参考:RIJフェス、セカオワが大トリを務めた意味とは? カギは「世代交代」と「テーマパーク化」)で書いてきました。

鹿野:そうそう。ということは、つまりフェスがテーマパークになるなら、その器に入れ込む音楽性も多岐に渡るものになって、多様性な人たちが集まる場所になる。

――そうですね。特にそれを明確に打ち出しているのがサマーソニックであると思います。あそこにはカルヴィン・ハリスもいるしピコ太郎もいる。その振り幅の中にフェスがある。

鹿野:自分の中では案外、カルヴィンとピコちゃんは同じ所にいるんですけどね(笑)。もちろんジャンルに特化したフェスも増えていると思うんですけど、多くはアイドル、クラブミュージック、ロック、ポップスというものが混然一体となっているのが今の時代のフェスのあり方だと思うんです。この状態は、たぶんマーケットの要請に基づく部分があるんじゃないかなと思うんですけど。だけど、ビバラはロックフェスだってまず決めちゃったんですよ。その十字架を背負って運営してるわけです。そうなったときに、マーケティング的なデータを元にアイドルを呼ぶことはできないわけです。そうした場合、ブッキングの音楽性を広げるには批評性やメディア性を全部加味して世の中に伝えていかなくちゃならないんですけど、その言葉は少なくともプロデューサーの自分は持ってないし、音楽ジャーナリストとしても持っていない。

――なるほど。そういう意味でマーケットを意識しているわけではないということですね。

鹿野:はい。そうなると今度は、このフェスがロックにこだわっているということが、どこまでフェスの参加者に伝わってるかっていうことも正直わからないし、どこまでロックマーケットの活性化をこのフェスが果たしているかもわからない。そう思っているまま、このフェスがメガフェスとして成立している。そういうラッキーな状況にあるなっていうことを思っている部分はあります。だから、そこは毎年試行錯誤をしてるし、毎年自分のなかで悩み続けながらも機能してる感じなんだけどね。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる