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矢野利裕の『ジャニーズ批評』

中居正広がラストパフォーマンスで見せた涙 矢野利裕『SMAP×SMAP』最終回を観て思うこと

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 『SMAP×SMAP』(フジテレビ系)の最終回を観ました。最終回では、番組およびグループの軌跡をぞんぶんに振り返ったあとで、「世界に一つだけの花」が歌われ、深々と頭を下げたSMAPの姿が映し出され、番組は終わりました。どこかやりきれなさを抱えたような中居正広さんの、涙を流す姿が印象的でした。SMAPの魅力が5人そろってのものだということはよく知っているし、木村拓哉さんをはじめ他のメンバーも好きなのですが、いちばん思い入れのある中居正広さんのことを書きたいと思います。中居正広さんのどこが好きだったかと言うと、いろいろあるのですが、ダンスが上手だったこと、そして、バラエティ番組などでふと見せる心配りでしょうか。自分以上に他人を気遣い、気づかれようが気づかれまいが関係なく、不安になっている人がいたらさっと手をさしのべるような優しさを、中居正広さんには感じていました。テレビ番組の司会としての活躍も、そのような資質に支えられていたのかもしれません。

 以前からジャニーズについて書く機会があったこともあり、SMAP騒動に揺れた2016年は、SMAPおよびジャニーズについて書き、話し、考える機会が多かったです。そのなかで、自分が考えたことを整理してみます。

1、アイドルや芸能人は、人前に出る存在として、少なからず自分の意志を抑える存在である。

 もちろん、アイドルもタレントも自分の意志で目指すものでしょう。しかし、その期待が大きくなり、求められるものが多くなりすぎると、本当に表現したいことがなかなかできなくなる、逆に、やりたくないことまでさせられる。これまで、多くのアイドルや芸能人が、自分の意志と求められるイメージのあいだで葛藤し、その一部は手記などで描かれたりもしていました。

2、SMAPはそんなアイドルのなかにあって、自由と解放的な気分を体現した存在である。

 2016年1月に起きたSMAP解散騒動以来、僕がずっと言い続けてきたのは、このことでした。SMAPはそれまでのアイドル像/ジャニーズ像を一新するように、自由に振る舞ってきました。それは、音楽的な面、ファッション的な面、言動などにいたるまで貫徹されていました。宣伝めいてしまって恐縮ですが、このことは、『SMAPは終わらない』(垣内出版)や『ジャニーズと日本』(講談社現代新書)という本に書いているので、読んでいただけたら幸いです。僕は多くのファンと同じように、SMAPの自由で解放的な雰囲気が好きでした。

3、しかし、そんなSMAPも、やはり抑圧された存在だったのではないか。

 2016年以降、SMAPを「自由だよね、解放的だよね」と能天気には言えなくなってしまいました。いや、SMAPが体現した自由と解放の気分自体は嘘ではないし、これからも、そのような、音楽や芸能のよろこび自体は変わらずにあり続けるでしょう。その意味で、音楽や芸能といったいとなみに対する悲観は、まったくありません。ただ、そんな自由や解放の気分を示し続けたSMAP自体は、僕が思っていた以上に、多くのアイドルや芸能人と同様、自由を奪われた存在だったのではないか。「国民的アイドル」という名のもとに、いつのまにか、過剰なものを背負わせていたのではないか。いい大人の自立さえもままならないような、一連の解散騒動は、そんなことを感じさせました。だから、僕が一貫して主張していたのは、「SMAPは社会のしがらみから解放されるべきだ」「解散なら解散でかまわない、いまこそSMAPの自由さを見せて欲しい」というものでした。

 しかし、『SMAP×SMAP』の最終回を観たいま、少しだけ気持ちが変わりました。というのも、中居正広さんの見せた涙はなんだったのでしょう。中居正広さんの心のなかはわかりません。もしかしたら、ご自身すらもわからないのかもしれません。だから、これは僕の憶測とも言えるし、アイドルという記号が発する涙の意味を、批評家としての僕が読み取ったものとも言えます。

 SMAPの歩みをまとめて振り返ったのちに思うのは、はたして、あれほどの気遣いと心配りを見せていた中居正広さんは、「自由を奪われている」なんていう自分中心の欲望を抱いていたのだろうか、ということです。いや、自由を求めることは、近代社会におけるとても大事な権利であり、誰にも否定されるべきことではありません。誰かの自由が奪われるなんてことは、絶対にあってはならないことです。しかし、中居正広さんの凄みは、そのような規範のさらに先にあるような気がしました。すなわち、

4、中居正広さんは、そんな自分の自由を放棄して他人に喜んでもらうこと、まさにそのことを自分の喜びとしていたのではないか。

 自分のやりたいことを我慢して、アイドルなり芸能人としての役割をまっとうすること。それだけでもすごいことだと思います。自分のこと以上に他人のことを考え、自分の欲望を抑えること。それだけでも本当に尊敬に値します。しかし、中居正広さんの場合は、そういうことですらないのではないか。中居正広さんの振る舞いを見ていると、「役割」とか「我慢」とかを越えて、他人の喜びと自分の喜びが、ファンの喜びと自分の喜びが、SMAPの喜びと自分の喜びが、ぴたりと重なり合っているように思える。自分を度外視して他人に喜びを与えることが、そのまま生きることに直結しているような、そんな姿に、このうえなく感動してしまいます。

 だとすれば、例えば「いろいろあったけど、やっと落ち着けるだろう」とか「これからはもう少し自由にのびのびと活動できるだろう」などといった、僕が思っていたような、いかにも良識的な言葉は、中居正広さんの涙に遠くおよびません。だって、中居正広さんはそもそも、「自由」なんていう自分中心の欲望すら抱いていなかったふしがあるのだから。

      

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