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香月孝史の舞台『嫌われ松子の一生』&舞台『墓場、女子高生』評

乃木坂46が見せたアイドル×演劇の発展形ーー『嫌われ松子の一生』と『墓場、女子高生』を考察

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香月孝史
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 乃木坂46が『16人のプリンシパル』シリーズを経て2015年から本格化させた演劇企画は今秋、2つの公演によってさらなる発展形を見せた。ひとつは桜井玲香と若月佑美がWキャストで主演を務めた『嫌われ松子の一生』(9月29日~10月10日・品川プリンスホテル クラブeX)、そしてもうひとつが伊藤純奈、伊藤万理華、井上小百合、斉藤優里、新内眞衣、鈴木絢音、能條愛未、樋口日奈がメインキャストを務めた『墓場、女子高生』(10月14~22日・東京ドームシティ シアターGロッソ)である。両作それぞれに特有のスタイルでありながらも共鳴し合うテーマを持ち、乃木坂46というグループが演劇への志向を深める意義を強く示してみせた。

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 山田宗樹による原作小説のほか、中島哲也による映画化などもされた『嫌われ松子の一生』は、葛木英が脚本・演出を手がけた舞台の再演である。初演に引き続き葛木による脚本・演出に、今回は桜井と若月がそれぞれに主人公・川尻松子をWキャストで務め、「赤い熱情篇」(桜井主演)と「黒い孤独篇」(若月主演)の2パターンで上演した。中学教師だった松子が教え子の起こしたトラブルを機に教師職からも故郷からも追われ、様々な男性たちとの交わりを経て流転していく筋立ては両パターンに共通するが、双方では細かにテイストが変わり、何よりも桜井、若月それぞれの資質によって、松子という一人の人物の異なった側面を照らし出すものになっている。

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 この作品はあらかじめ、松子の末路が観る者に向けて予告されている。開演前、十字型の舞台後方に祭壇のように設えられたスクリーンには松子の肖像が掲げられ、そして開演と同時に舞台中央に浮かび上がるのは、社会との関わりを失った晩年の松子が地を這う姿とその息遣いである。これらは芝居の開演にあたって、今から繰り広げられる作品全体がすでに亡き松子へのレクイエムの性質をもつことを暗示する。順を追って展開される男性たちとの不幸な関わりや流転は、まだ若さも行動力もある松子の純粋さのために陥ってしまうものである。その純粋さとバイタリティは、恋愛関係の切れ目からすぐさま次のステップを選びとる場面ではポジティブな感情を生み出しもするし、当の松子もまた、そのような転機では人生に希望を見出そうとする。それでも、決して幸せではない最期がすでに予告されていることで、彼女の抱くほんの一時の希望には、常に転落の影がつきまとう。

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 主演を務める桜井と若月は等しく松子としての生を歩む。けれども、若月の松子が純粋さや素直さゆえに翻弄されていく側面が強くうかがえるのに対し、桜井の松子はどこか意図の計り知れない行動力の強さが見え、演じ手としての両者の性質があらわれて興味深い。しかしそれは、川尻松子像がWキャストによって別々のものになるということではない。それは、自身を肯定してくれるあてを強く求めて生きる松子というひとつの人格が、光を当てる角度で見え方を大きく変えてしまうということだ。桜井、若月という乃木坂46の芝居巧者がそれぞれの仕方で松子の生を演じることで、ひとつの人生を多面的に解釈する面白みも増していく。

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 また、アイドルというとりわけ若い生の躍動にこそ注目が集まりやすいジャンルで活動する桜井や若月が演じることで、あっけない最期が待っている一人分の長さの生を歩んでみせる姿は、表現としての奥行きを広げる。小さなニュース記事で終わってしまうようなひとつの死にも、その背景には若い日の希望も、自分を愛してくれるかもしれない人への期待もあった。アイドルとして第一線に立つ彼女たちがこうしたライフスパンを上演してみせることで、観る者が彼女たちに託す想像力の射程も広くなり、深みのあるものになる。遠くない未来に死が迫る松子の前に次々フラッシュバックする男性たちの残像も、松子の生きた痕跡のように舞台脇に置かれる小道具たちも、演劇という表現を通すからこその「生の記憶」の効果を盛り上げていた。

     
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