浜端ヨウヘイが語る、渾身のバラードが生まれた場所「“死にたい”とは“生きたい”という意味だと」

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 山崎まさよしやスキマスイッチ、秦 基博、さかいゆうなど、多くの優れたアーティストを輩出してきたオフィスオーガスタから、2014年11月にデビューした浜端ヨウヘイが、新シングル『無責任』を2月25日にリリースする。 同作の表題曲はこれまでライブでも何度も披露され、CD化が熱望されていたバラード。心情を赤裸々につづった歌詞と、ピアノに向かって切ないメロディを歌い上げる浜端の姿が印象的だ。今回のインタビューでは、浜端が同曲をピアノで歌い上げた理由や、作曲時の起こった出来事、そして今後の展望について、大いに語ってもらった。

――前回のデビューシングル『結−yui-』は歌のダイナミズムを重視した作品でしたが、今回はまた少し雰囲気が変わっていますね。歌詞のディープな面が軸になっていて、浜端さんの内面性が表現されていると感じました。

浜端:そうですね。前のシングルとは明確に違うと思います。

――ピアノとストリングスが入り、重厚なサウンドとなった点も特徴ですが、この曲はそもそもいつ出来たのでしょう?

浜端:ちょうど二年前くらいの曲ですね。音楽に専念するために一念発起し、前の会社を退職した時期に作りました。僕の周りには当時たくさん音楽仲間がいて、そういう人達は音楽しかやっていないんです。だから自分でツアーを組んで、毎日旅をして……という活動、生活のようなものに憧れがありました。そして、そこに踏み切った時期ではあったんですが、「ついにそういう暮らしになったぜ」という気持ちの反面、「俺、ほんまに大丈夫なのかな」という気持ちも同じくらいあったんですね。

――希望と不安が半ばする時期だったと。

浜端:がむしゃらにやるしかないと思っていたので、今考えても無茶なスケジュールやなと思うような数のライブをしていました。ライブがない時は少しさぼっているような気持ちになるくらい、ひたすらライブの毎日でしたね。その中で、周りの人やお客さんにも沢山「ヨウヘイなら大丈夫」というような言葉をもらって救われたし、ありがたかったんですが、根拠のない言葉にも思えて、どこか不安になり、疑り深くなったりもしました。当時は大丈夫という言葉がとても無責任な言葉と思ったんです。

――タイトルの由来はそこにあるんですね。

浜端:そうですね。ただ、無責任だと思いながらも、当時の僕は絶対に「大丈夫」って言われたかったと思うんですよ。周りの人もその言葉しか掛けようがなかったんだろうなって。きっと“頑張って”って言われても傷つくだけなので。“大丈夫”という応援の言葉って、根拠はないけど、もしかしたらその時に必要で、唯一かけてもらえる言葉なのかなって。そんなところから生まれた曲ですね。

――なるほど。無責任と捉えることもできる言葉だけど、ご自身にとっては大切な言葉だったと。そうした視点に立つことで、言葉に二重の意味が生まれていて、曲に深みをもたらしているように思います。

浜端:この言葉しかないんじゃないか。そんな気持ちになったんですよね。

――ちなみに、当時はライブを月に何本くらいやってましたか。

浜端:20本くらいですね。不安をかき消すように忙しくしていましたね。ライブ中にそういうのは感じずにいられましたから。

――最終的にこの曲は「乗り越える」ことをテーマとしていると思うんですが、ご自身で振り返ってみて、不安をふりきって音楽を続けていこうと思えたのはなぜだと思いますか。

浜端:それまでの僕はわりと慎重なところがあって、“これしかない”という状態になったことがなかったんですね。29歳になって背水の陣で音楽を始めるということは、絶対しんどいとわかった状態なので、不思議と辞める気持ちにはならなかったですね。

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