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柴 那典が電気グルーヴ『Fallin’ Down』を聴く

電気グルーヴが到達した“スーパー陳腐”の洗練とは? 新シングルがもたらす快楽を解析

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柴 那典
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「思いつくかぎりの陳腐な文句を組み合わせていくと、スーパー陳腐なものができ上がって、言葉の裏にある別の意味が見えてくる」

 これは、石野卓球が『新しい音楽のことば』の中で自らの歌詞の手法についてジャーマン・エレクトロの奇才、ホルガー・ヒラーの言葉を引用して語っていたことだ。「その言葉が高校生の頃からずっと好きで、今も本当にその通りだと思っている」と同書の中でも語っていたとおり、実はこの一言、電気グルーヴの表現のあり方の核心部分を的確に射抜いていると思う。

「陳腐なもの」というのは、ただそれ一つだけがゴロっと置かれてるだけだと、単なる凡庸な、ありふれた表現でしかない。たとえば手癖のようなサウンドも、それだけだと、ただの無意識の好みの開陳でしかない。しかし、「凡庸」や「無意識」を次から次へと絞り出してギューッと抽出していくと、その上澄みに不思議な「洗練」が宿ることがある。パーツの一つ一つはありふれたものなのに、「あれ?」と思うほどのコクやキレを感じさせるものになる。特にここ最近の電気グルーヴの楽曲は、そんなテイストが大きな魅力になっているものが多い。

 2月25日にリリースされるニューシングル『Fallin’ Down』もそんな一曲だ。80年代のシンセポップに通じる、メロディアスでドリーミーな一曲。サウンドはかなりシンプルだ。スクエアなビートを刻むリズムとベースに、ふわっと浮遊感あるシンセパッド。装飾や展開の多い楽曲が目立つ最近のJ-POPシーンの潮流に比べると、そのソリッドさが際立つ。そして、そのこともあってメロディにフォーカスが当たる作りになっている。石野卓球とピエール瀧の二人の声がユニゾンで響く歌声は、独特のキャッチーさを持っている。そして〈だんだん Fall in love〉という一節から始まるその歌は、曲の後半で独自の酩酊感に突入していくのだ。

〈タテもヨコも無い 上下すらない
目に映るままにただ戸惑い
タテもヨコも無い 上下すらない
メビウスの罠にただ従い〉

電気グルーヴ「Fallin’ Down」Short ver for Listening

 電気グルーヴの歌詞の「発語の気持ちよさ」については、当サイトで石井恵梨子さんが指摘しているとおりだが、(参照:電気グルーヴの歌詞はなぜ気持ちいい? コトバが生み出すグルーヴを考察)、ここ数年の彼らは、サウンド面でも歌詞でも同じ方向性を持っているように感じる。特にシングル曲では、過度にエモーショナルになることを避け、繰り返し聴いているうちに身体にフィットするようなビートとメロディと歌詞の組み合わせが選ばれている。

     
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