バーチャルYouTuberとバーチャルライバーの違いとは? 『VTuberの哲学』著者が「二次元文化とアバター文化」から考える

バーチャルYouTuberとライバーの違い

「バーチャルYouTuber」と「VTuber」の境目

――バーチャルな姿で配信をする存在を「バーチャルライバー」と呼称することがあります。しかし、VTuberとの違いなど、定義はあいまいです。山野さんはバーチャルライバーをどのように定義しますか?

山野:その前段階として、「バーチャルYouTuber」と「VTuber」という言葉について考える必要があると思っています。歴史的には、バーチャルYouTuberの略称として「VTuber」という言葉(造語)が登場しましたが、この2つは別の存在だと切り分ける論者もいます。会社のIR資料などを見ても、その定義はどれも微妙に異なっています。

 なので、まず自分はバーチャルライバーとの比較対象の呼称を、いったん「VTuber」で統一しようと思います。なぜなら、キズナアイさんが名乗り始めたバーチャルYouTuber文化と、その後に生まれたVTuber文化とでは、複合的な「VTuber文化」のルーツの中でも特に影響の大きい「二次元文化」と「アバター文化」の割合が異なっていると現時点では考えているからです。

――二次元文化とアバター文化とはなんでしょうか?

山野:二次元文化とは、漫画・アニメ・ビデオゲーム・ライトノベルなどを代表とする、主に日本語圏のIP作品を中心に成立したフィクション文化を指します。他方のアバター文化は、SNSやオンラインゲームなどで、自分の分身となるアバターを用いて他者と交流する文化を指します。二次元文化の本質の一つは、「フィクショナルキャラクターの創造」にあります。言い換えれば、それは魅力的なフィクショナルキャラクターを作り、フィクションの世界観や物語を展開するという営みです。

 そして、「キズナアイ」のコンセプトの始まりは、フィクションのキャラクターだったと考えられます。実際に、Activ8の大坂武史さんは、『VTuber学』に掲載されたインタビューの中で、「世界で戦うために日本のIPを活用するのが重要であり、なのでYouTubeに最適化されたアニメキャラを作ろうと考えた」(※1)と発言しておられます。

 そして、後続に電脳少女シロさんらが登場し、いわゆる「バーチャルYouTuber四天王」が出そろう中で、アニメルックの様式も踏襲されました。こうした観点において、バーチャルYouTuberの大きな出発点の一つは二次元文化であったと言えます。

――キズナアイさんは森倉円さんがデザインを手掛けていて、以後のVTuberも著名なイラストレーターにデザイン発注する文化が継承された点は、たしかに二次元文化の名残が見られますね。

山野:はい。ところが、動画投稿だけでなく、ライブ配信も活動の選択肢として生まれたことで、「バーチャルYouTuber文化」におけるアバター文化の割合も徐々に増えていくことになりました。動画投稿はキャラクター性のデザインと維持に適しているのに対し、ライブ配信はパーソナリティの発揮に適しているからです。アバター文化の本質はフィクショナルキャラクターの創造ではなく、「抑圧された私」の表出や、「こんな自分になりたい」という願望、すなわち自己表現を叶えるところにあります。こうした観点において、はじめ「二次元文化」を大きな出発点の一つとして始まった「バーチャルYouTuber文化」において、アバター文化の存在感がどんどん強まっていった(言い換えれば、フィクショナルキャラクターを創造するという観点が当初より弱まっていった)と言えます。

 もちろん、3Dモデルでの動画投稿をメインにしていた黎明期の「バーチャルYouTuber」たちの中にも、いわゆる「中の人」の要素を大っぴらにしていた「ねこます」さんのような方もいます。ただ、動画投稿においては、フィクショナルキャラクター創造をするうえでノイズになってしまうような「中の人」の要素(例えばキャラクター性に沿わないような発言だったり、不意のくしゃみなど)はしばしばカットされてしまうのに対し、ライブ配信においては、そうした「中の人」の要素こそが鑑賞の見どころになったりもします。

 こうした観点で言えば、やはり「YouTube」上にて3Dの動画投稿が多数派であった「バーチャルYouTuber文化」と、もはや「YouTube」というプラットフォームにとらわれないだけでなく、もはや3Dというスタイルにもこだわらない(例えば2Dや実写などの)ライブ配信主流の「VTuber文化」は、前述の二次元文とアバター文化の割合が大きく異なっているのではないか……と現在は考えているのです。

 もちろん、文化の研究ですから、こうした図式を逸脱するような反例はいくらでも出てきます。また、「この時期まではバーチャルYouTuber文化で、この時期からはVTuber文化だ」という境界線が存在するわけでもありません。この二つの文化は、いま現在でさえ、その割合を変えつつ並走していると言えるでしょう。ここで私が伝えたいのは、さまざまな文化が交わり合う「VTuber文化」を見通しやすくするために、ある程度の文化的傾向性についての見立てを持つことも大切だということです。

 さて、以上のような理由をもって、「VTuber」という呼称が示す存在は、二次元文化とアバター文化の中間に位置すると考えています。どちらに寄せているかは個々のVTuberのスタンスで異なるでしょうし、その混ざり具合が、むしろVTuberの特色であるとも言えます。

 ただ、この点をはっきり強調したいのですが、その上でVTuberが面白いのは、アバター文化の割合がいかに強くなったとしても、典型的なVTuber文化においては、最初に創造されたフィクショナルキャラクターを完全に無碍にしてしまうということは少ないという点です。

 この点で「新衣装/新しい姿お披露目」はとても重要です。例えば、新衣装には、活動者本人の「こういう姿でありたい」あるいは「自分により近しくしたい」といった願望が込められていることがあります。確かにこれはアバター文化的な側面です。ですが、それだけではなく、「(このフィクショナルキャラクターの)こんな新しい一面を視聴者に見てもらいたい!」、「だから、こういう髪型、あるいはこういう新しいお洋服をみんなに見てもらいたい!」というクリエイター的な意図もまた実現されうるのが、新衣装お披露目配信です。こうした観点から見ても、新衣装お披露目配信においては、アバター文化と二次元文化の両方の側面が見だされうると思います。

 また、極端な例では「設定変更」も挙げられます。例えば、活動者本人はお酒やパチンコが大好きであるにもかかわらず、未成年の設定でデビューした結果、雑談配信で自由にお酒やパチンコの話ができないという困難を抱えてしまったため、いっそのこと成人の設定に変えてしまったというVTuberがいたとします。

 こうした例に出てくるVTuberは、まさにコンテンツの主軸が「活動者本人」に置かれるアバター文化の色が強く出た事例であると言えます。言い換えれば、この事例においては、フィクショナルキャラクターの創造という側面はほとんどなく、あくまで「私(活動者本人)はこういう人だから」という形で、コンテンツ制作の力点が「画面の手前の存在」(フィクショナルキャラクター)から「画面の向こうの存在」(演者=活動者本人)に推移したのだと思います。こうした文脈が成立することによって、はじめて(最初は特定のフィクショナルキャラクターを表現・表象するために用いられていた)「Live2Dモデル」が、「(活動者本人の)アバター(=分身)」へと転じるのです。言い換えれば、「アバター=Live2D」という図式が成立するのは、ある特定条件のもとでしかないと言えるでしょう。そもそも、「アバター」とは「分身」という意味で、「Live2D」は技術の総称ですし……。

 もちろん、その反対に、最初は単なる「アバター(分身)」としてLive2Dモデルを運用していた活動者が、活動の中で自らのIP展開を行っていくことを思い立ち、自らが登場する漫画やビデオゲームを制作したとします。こうしたIP展開を行えば、最初は「アバター(分身)」でしかなかったLive2Dモデルが、ある特定のフィクショナルキャラクターを表現するための表象様式として機能し始めることになるでしょう。こうした逆向きのパターンも大いにあり得ます。私が「VTuber文化は二次元文化とアバター文化の間にある」という表現をするときに含意しているのは、こうした事態です。

バーチャルライバーはどこに立つ存在か

山野:VTuberが二次元文化とアバター文化の中間に位置するとしたら、バーチャルライバー/Vライバーはどこにあるのか。私は、バーチャルライバーは「アバター文化とVTuber文化の中間」に位置すると考えています。

 そしてよくなされる説明では、VTuberとVライバーの違いは、利用する配信プラットフォームの違いに依拠するものが多いです。YouTubeで活動するのはVTuber、『17LIVE』などのスマホアプリなどで活動するのはVライバー……といった線引きです。

 少し面白いのは、Twitchの位置付けですね。あるところでは、「VTuberはYouTubeやTwitchで活動」と説明されているのに対し、別のところでは、「Twitchで活動するのはVライバー」と説明されていたりします。

――PCを使うのがVTuber、スマートフォンを使うのがVライバー、といった観点も、Twitchの区分に影響していそうですね。

山野:個人的には、Twitchで活動するVTuberは非常に数多く見かけますし、Twitch配信者がVライバーを自称するのはあまり聞いたことがないです。それに比べれば、Twitchで活動するVTuberが自らを「ストリーマー」と称する場面の方がよく見かけます。

 なので、「どのプラットフォームで活動するか」という判断基準は、わかりやすさ重視の戦略と考えるのがよいと思います。

バーチャルライバーもそれぞれ――プラットフォームごとの傾向を見る

山野:Vライバーが利用する『17LIVE』などのバーチャルライブ配信アプリを見ていると、実はプラットフォームごとに方向性が少しずつ異なると思っています。

 たとえば、プラットフォームAは当初はVTuber文化に近しかったものの、現在は顔出しせず配信できるアプリとして打ち出しています。アバターもグローバル市場を意識し、自分に近い肌の色も選択できるようアップデートしていて、まさに「分身」を作る方向に進んでいます。

 一方、プラットフォームBは、ユーザーがVTuberっぽいプロフィールを整えていたり、待機画面などをYouTubeにおけるVTuberの配信画面に近づけていたりと、とてもVTuberを意識しているように思います。姓名で構成された、VTuberらしいユーザー名も多い印象です。

 もちろん全員ではなく、ユーザーの活動方針も実に多様です。VTuberらしいスタイルの人も少なくない一方で、そうでない人のユーザー名は、ある種の「あだ名っぽさ」があります。こういう方は、フィクショナルキャラクターの創造をしている意識はそこまでないのかなと個人的には感じます。

 これに近い存在はTwitchのバーチャル配信者だと思います。たとえば、ぶいすぽっ!所属の夢野あかりさんは、かつては「濃いめのあかりん」という名義で活動していました。こうした活動名は、まるで女性のあだ名のようで、苗字+名前の形で構成されがちなVTuberの名前とはかなり異なるものです。ですが、その後、ぶいすぽっ!所属に際して「夢野あかり」と名前が変わることで、そこで「夢野あかり」というフィクショナルキャラクターが創造されたという印象を私は抱きました。

 もちろん、あだ名のような名前なのか、それとも苗字+名前という形をとる名前なのかは、活動者によって人ぞれぞれです。活動内容も非常に多様です。一口にVライバーと呼んでも、プラットフォームごとにこれだけ傾向の違いがあることには留意が必要ですし、そこが面白いところだと思います。

 ※1 :https://ampmedia.jp/2019/02/18/interview-activ8/

■『17LIVE』視聴方法
以下より無料の『17LIVE』アプリをダウンロードし、アカウントをご登録ください。(※)
アプリダウンロード:https://17apps.onelink.me/i7CY/17LivePR
※アプリ内には一部有料のメニュー・コンテンツがあります。なお、通信料はお客様のご負担となります。

■『17LIVE』について
“人と人のつながりを豊かにすること。”をミッションに掲げる『17LIVE』は、世界で5,000万以上のユーザーを有する日本最大級のライブ配信プラットフォームです(2023年2月時点)。ひとつの空のもと、七つの大陸を舞台に、ライバー(配信者)とリスナー(視聴者)が「今この瞬間」を共有し、リアルタイムで喜びや感動を分かち合える世界を目指しています。

『17LIVE』 公式HP:https://jp.17.live/
『17LIVE』 公式X:https://x.com/17livejp
『17LIVE』公式Facebook:https://www.facebook.com/17LIVEJP/
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『17LIVE』 公式YouTube:https://www.youtube.com/channel/UCFf5qroAMTQ6x32YVjOcQBw

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