月ノ美兎のイズムを体現した“異形のMV” 「てんやわんや、夏。」監督・UBUNAが語る誕生秘話
8月31日に公開された、にじさんじ・月ノ美兎、笹木咲、椎名唯華の3名による楽曲MV「てんやわんや、夏。」はVTuberのミュージックビデオとしては、極めて異質な映像だった。クレジットにはなぜか男性俳優の名前が出演者として並び、“ゲスト出演”として月ノ美兎ら3人の名前が記されている。そう、この作品は美少女VTuberたちが「レゲエの姿」としておじさんで登場し、キャッキャと海辺で遊んでいるMVなのだ。
月ノ美兎のこれまでの活動を知っていれば、彼女らしい「ネタ」から生まれた映像なのはわかる。しかし本作は、ネタだけでは終わらず、不思議な魅力を感じる人が多かった。3人のおじさんが心の底から楽しそうに夏を過ごす姿はキラキラと眩しく、どこか“エモさ”すらある。月ノ美兎のイズムを体現するようなぶっ飛び具合と、映像から受ける独特な味わいは、ファンからも深く愛されることとなった。
この不思議な映像を手がけたのが、映像制作会社・POPBORNを立ち上げ、映像作家として活躍するUBUNA(ウブナ)だ。彼女はドラマ『サバエとヤッたら終わる』で監督を務めており、こちらもまたコミカルな内容と奇抜なOPで話題を集めている。今回は、そんな気鋭の映像作家・UBUNAに、「てんやわんや、夏。」の制作過程や撮影の裏側、映像への考え方を中心に、話を伺った。
当初は「レゲエのすがた」ではなくプロレスラーの予定だった
――「てんやわんや、夏。」のMVが公開されたとき、とんでもないのが来たな……と驚きました。公開から2ヶ月がたった今(取材時点)も話題が続いていて、ファンアートが投稿されるほど盛り上がっていますが、現状を見てどう感じていますか?
UBUNA:正直、撮影しているときも、編集して完成作品を見た後も、「これ、受け入れてもらえるのかな?」ってずっと不安だったんですが……、にじさんじファンのみなさんは寛大だなと(笑)。
――どういった不安を感じていらっしゃったんですか?
UBUNA:そもそも、実写映像やドラマの文化圏と、VTuberの文化圏って、今のところ少し離れた位置にあると感じていて。ましてや美少女であるお三方をおじさんたちが演じるというのは、あんまり先駆者がいなかったので……。
――UBUNAさんはVTuber文化についてどれぐらい知っていらっしゃったんでしょう。
UBUNA:私は月ノ美兎さんをデビューしたての頃から見ていたので、文化としてはVTuberの始まりぐらいから知ってはいました。ですが、他のファンの方々よりも知識量としては浅いと思いますね。
ただ、タブーなことがいっぱいあるんだろうな、というのは感じていて、たとえば「生身の人間が出ない」のが当たり前の世界なのに、生身の人間でMVを撮るのはどうなんだろう、とか……。だからこそ今回は、楽曲の歌詞にも背中を押されつつ「固定観念をぶっ壊していいんだ」という気持ちで絵コンテを切っていました(笑)。
——たしかに、ここまでの突き抜けた楽曲とMVはあまり類を見ないですからね……。
UBUNA:でも、(月ノ)美兎さんとはもともと、「コスプレをしたプロレスラーたちが海ではしゃいでる」という、いわゆる平成のネタっぽいMVを作りたいと話していたんです。美兎さんからは「レスラーたちの周りをビキニギャルが囲んでいる、パリピっぽいMVを作りたい」と言われていて。美兎さん、めっちゃ風呂敷広げてくるなあーと(笑)。
――コスプレ、レスラー、パリピ、ギャル……ネタの渋滞が起きそうなくらいですね(笑)。
UBUNA:そう、映像としては要素が多すぎるじゃないですか(笑)。でもとにかく、「おじさんたちが“キャッキャウフフ”している映像って可愛くない?」という話になったんです。そこになにかエモさを感じるだろうなって。
――実際に「てんやわんや、夏。」を見ると、すごく理解できます。楽しそうなおじさん3人が、なぜか愛おしく見えてきます。
UBUNA:ですよね。一応、撮影のために水着ギャルも探してはいたんですけど、最終的にそれはノイズになるなと思ってやめたんです。たとえば、百合アニメの中に男が入るとなんか邪魔じゃないですか。それと同じように、おじさんたちが“キャッキャウフフ”してる中に、性欲はいらないと思ったんです。こう、イケイケでパリピな空気とか“男感”が出るのは、ちょっと違うかなって。
ツッコミ待ちの演出と、引き算をする映像作り
――制作では3人が最初に歌詞やアイデアをどんどん出して、それをストーリーボードの形で整えていく、という形式をとったそうですね。最終的にはどのようにまとめられたのでしょう?
UBUNA:基本的には、引き算をする作業でしたね。そもそもこの作品って、おじさんたちがコスプレをしている時点でかなり「画的な情報量」が多いんです。なので、そこにさらに要素を増やすのではなく、3人がパシャパシャと水遊びをしたり、サンオイルを塗り合うようなテンプレのお色気シーンなんかを入れて、ツッコミ待ちをする演出にしようと思っていました。
――たしかに、椎名唯華役の方が喋っているだけでもインパクトがすごくて、実際そのシーンがXでバズっていましたね。
UBUNA:椎名唯華役は奥田隆一さんという役者さんにお願いしたんですが、彼は素でずっとぼーっとしているんです。というのも、結構ふくよかなので、夏の撮影だったこともあってかなり撮影中に息切れしていて、意識朦朧としながら撮影していたそうなんですよ。
ただ、この疲労困憊な様子をカメラ越しで見ると、椎名さんのけだる気な感じとか、ふてぶてしい態度を演じているように映っていて、ハマっていたんですよね。撮影の裏では、いっぱいいっぱいだったと思いますが……。
――UBUNAさんは以前、JK組(月ノ美兎、静凛、樋口楓による3人組ユニット)のMV撮影も担当されていましたね。今回、UBUNAさんが監督として目指していたゴールはありましたか?
UBUNA:美兎さんたちがやりたいことをどう映像に持っていくか、というのにくわえて、かなりこちらに任せてくれていたので、美兎さんに刺さりそうなポイントは結構意識して作っていましたね。
――普段の制作と異なる部分はありましたか?
UBUNA:今回、あれもこれもやっていいですと言ってもらえたのは、普段とまったく異なりますね。私はふだんアイドル系のMVをご依頼いただくことが多くて、そうなってくると、アーティストさんをよく見せるとか、この表現はNGとか、結構細かく打ち合わせをするので、かなり変わってきますね。
――同じMVでも、全然手法も環境も違うものなんですね。実際に制作を終えた感想はいかがですか?
UBUNA:純粋に楽しかったですね。自分はおじさんを撮るのが好きだし、日常アニメも好きだし、シュールギャグも大好きなので、ずっとやりたかったことを詰め込んだ作品を作れたと思います。
――本作は楽しさの中にどこか切なさもあって、いわゆる“エモい”作品に仕上がっていると感じました。要素の部分以外でいうと、どのような狙いがありましたか?
UBUNA:「誰かの思い出」っぽい感じにしたいなと考えながら作ったんです。この映像を、数年後に誰かが思い出してくれたらいいなと。なので、ストーリーよりも「断片的な記憶の映像」にしたかったんです。
それで、演者さんたちにはまず自由に遊んでもらって、それを私とカメラマンで切り抜いていくスタイルで撮影しました。信頼している役者さんを起用したので、きっと面白いことをしてくれるだろうと思い、30分ぐらいずっと海で遊ばせておいて、それをドローンで狙って撮っていました。真夏の海なので、しんどそうでしたけど……(笑)。