『チ。―地球の運動についてー』作者・魚豊「自分の『面白い』という感覚を信じるだけ」放送作家・白武ときおに明かす“漫画論”

『チ。』作者・魚豊が白武ときおに語る漫画論

『FACT』で描いた“陰謀論と常識の境界線”

白武:マンガを描くとき、読者に対して「こう思わせたい」といったことは設定しますか?

魚豊:ポジティブな影響を与えられるようにしたいとはうっすら思っていますけど、基本的にはほとんどなにも思っていないですね。自分が面白いと思えるかを一番大事にしています。

白武:『FACT』に関連する話で、僕の身近な人がわりと陰謀論めいたことを言ってくるので都度注意しているんですけど、中学くらいのときに始まった『やりすぎ都市伝説』(テレビ東京)で関(暁夫)さんがとかはめちゃくちゃ面白いなと思って見てましたね。もしかしたら大きな力が働いているんだっていう考え方をそこで持ちました。だからいまの僕が常識だと思ってることももしかしたら大きく騙されていて、地動説・天動説レベルの話があってもおかしくないとは思ってますね。

魚豊:わかります。この作品を作るにあたっていろんな本を読んだんですけど、表紙の制作協力も協力してくださったオカルト・スピリチュアル・悪徳商法研究家の雨宮(純)さんという方がいて。

 その方が本に書いていたのが、2010年代くらいは都市伝説を嘘として楽しめていたけど、2020年代にそれが陰謀論になって、嘘はなくなったみたいなこと。嘘として消費できていた頃と違って、みんながいま真顔になっているのは、人々の余裕がなくなっているからなのかなと思います。

白武:最近『やりすぎ都市伝説』の関さんはちょっと前まで「目を覚ませ」って怒ってたんですけど、もう最近は泣くフェーズに入ってます。それも魅力的で。僕はなにかを強烈に信じている人に対して「面白い!話聞いてみたい」と思ってしまいますね。

 たとえばアンミカさんが普段から白は200色あることを意識して生活していることは面白いし、なかやまきんにくんさんのYouTubeを見ると本当に普段からトレーニングのことばかり考えている。そういったことも人が強烈に信じている姿であって、すごく面白いと思うんです。

魚豊:わかります。

白武:だから『FACT』に出てくる先生やFACTの人たちも、別に騙すつもりがなく本気でやっているんだったら、馬鹿にしてはいけないんだろうなと思う気持ちもある。セミナーで悪い金儲けをしようとしている人は悪いと思うけど「扱っている商品は本当に良いんです」と熱心に言われると、ちょっとわからなくなってきます。

魚豊:僕も同じ感じなんですけど、たとえば人が死んでいるのに「死んでない」と言ったり、災害が起きているのに「天災じゃない、人工地震だ」とか言うのは、100歩譲ってそうだったとしても、そういうことを言うのは心に反していると思うんです。

 人が露骨に死んだり殺したりみたいな方向に向かう思想は、それがどれだけ直接的なのかというのもあるんですけど、さすがに一線を超えてしまっているんじゃないかと思います。

白武:そうですね。だから水槽のなかの脳や、世界五分前仮説とかは面白いですけど、確かに人の命や災害、戦争といった話になってくると、違いますよね。

魚豊:そこはやっぱり一回喰らったほうがいいというか、一度傷つかないとダメなんじゃないかなとは思いますよね。心の本性として。

白武:『FACT』に出てくるヒロインの飯山さんに対して、主人公の渡辺くんが思うように「なんでこんな素敵な人が僕に優しくしてくれるんだろう」みたいなことって、結構あるものだと思うんです。だから飯山さんに関しては「思わせぶりだよ」と責めるような人もいそうだなと。

魚豊:本当にそうだと思います。たとえば、格闘技などでウエイトが一緒じゃないと試合ができないように、実はコミュニケーションにおいてもそういった問題は起こると思っています。そこでどう人と人が対等に話すのか、その平等さをどう取り戻せるのかみたいなところを、本作では描きたかったんです。

白武:実際、特に若いうちは、そういった問題を避けられないところがありますよね。

魚豊:勘違いさせないように配慮をするのは、すごく優しいことで、重要でもあるとは思います。ただ、それはノブレス・オブリージュ(社会的地位の保持には責任が伴うことを意味するフランス語)というか、人がなにかを与えるのは貴族性とトレードオフになる。

 「平等なんだから与えなくていい、自己責任だからあなたも頑張って」となってしまったら格差は加速してしまう。とはいえ、僕だって当然、私的空間では話す人を選んでると思います。しかし、公的空間では可能な限りそれぞれに話を聞く必要がある。

 私と公の空間は分けられるのが理想ですが、とはいえ、そもそもそこが渾然一体となってるのが人間な訳です。多様な私的な言語を公的な領域へ流入させる事、それによって公的という範囲を拡大する事は必須だと思います。だからといって、その公的空間の論理で私的な言語を裁く事が得策とは思えない。寧ろ、拡大された公的空間に影響されて、私的空間も徐々に拡大される事が目指される事だと思います。

 恋愛という私的空間と、陰謀論/政治という公的空間が接近し混乱する中、本作の登場人物たちが、どのように私的空間を広げ、対話を可能にするのか、というのが、本作のテーマでもあるところです。

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