祝・『ポップンミュージック』25周年! “渋谷系”との接続など、音楽的功績や筐体の歴史を改めて振り返る
音楽面の独自性
1998年当時、音楽ゲームとしての『ポップンミュージック』の新しさであり画期的な特徴であったのは、その演奏体験が、特定の楽器や音楽活動を模したものではなかったことだ。同時期もしくはそれ以前に存在した多くの音楽ゲーム作品では、例えばVirtual Music/IBM『Quest for Fame』(1995)はロック、ソニー『パラッパラッパー』(1996)やセガ『モグラッパー』(1999)はラップ、『beatmania』(1997)はクラブ音楽、『DanceDanceRevolution』(1998)はダンスミュージックと、音楽ジャンル面での一定の制約が設けられていた。
一方で『ポップンミュージック』は9つのカラフルなボタンという、どの楽器にも似ても似つかない、しかし汎用性の高い演奏感をプレイヤーに与えてくれるインターフェースを有する。従って特定の楽器や音楽文化に囚われず、膨大の種類の音楽ジャンルを、プレイフィール上の違和感をもたらすことなく収録できた。この点は、例えば2020年のeスポーツイベントでコナミ公式が提供した同機種の紹介文でも、シリーズの大きな特徴として挙げられている。
コナミの音楽ゲームでは伝統的に、サウンドディレクター(サウンドデザイナー、SD。一部作品ではサウンドメインスタッフとも)と呼ばれる職種が作品全体の音楽面をコントロールし、内製・外注楽曲のディレクションを担うとともに自ら作編曲も行う。これまでにアーケード作品の音楽性を主導してきたサウンドディレクターは、クレジットが公開されている「1」~「23」の範囲では竹安弘、村井聖夜、杉本清隆、脇田潤、古賀博樹、右寺修、舟木智介、渡辺大地、田口康裕だ。家庭用ナンバリング作品では、初期は林陽一、中期は水野達也、後期を村井、脇田、舟木、辛島純子が担当している。
彼ら歴代のSDたちが牽引してきた「ポップンミュージック」の音楽傾向、とりわけ初期のそれをあえて二言で表現するなら、「オールジャンル」「パロディとオリジナリティの融合」に尽きる。
「ポップンミュージック」はその第1作から、収録楽曲を音楽ジャンルで提示するという、最初期の『beatmania』から継いだアプローチを採用していた。そこでは『beatmania』との差異化として、ライトユーザーを惹き付けるポップに寄せた音楽を取り揃え、また一部例外を除いてはジャンル表記の重複を許さなかった。その必然の帰結として、音楽ジャンルのバリエーションを膨大なものとした。
そして実在のあらゆる音楽ジャンルが収録されるのに加え、無数の架空のジャンルもまた生まれた。しばしば“そんなジャンルは存在しない”的な否定を交えて、あるいはその奇矯な慣習や珍妙な表記への愛着をもって語られるこの切り口。しかしこれを単にジャンル重複回避の苦しい架空として切り捨てる向きには、本稿は大いに反発したい。そもそも実在するあらゆるジャンル名もまた、時代ごとの都度でなんとなく都合良く提唱されてきた、便宜上のカテゴライズに過ぎないのではなかったか。実際のところ、遊び心を交えたこれらのジャンル表記が、楽曲を演出するフレーバーの一つとして効果的に機能していたことは確かである。
批評家・DJの矢野利裕らによるユニット・LL教室は、2017年に開催した音楽評論イベントの中で、「ポップンミュージック」が音楽ジャンルを切り口にさまざまな楽曲を生み出し、提示してきたアプローチに注目。マンボ、サンバ、ブギウギ、ツイスト、チャチャチャといった海外のリズムを日本流の歌謡曲に昇華した、国内独自のユニークな音楽文化である「リズム歌謡」と相似するものと分析している。
こうして生み出される「ポップンミュージック」オリジナル楽曲では、しばしば公式スタッフからも「ごっこ遊び」と表現される通り、既存楽曲のパロディが頻出した。まず第一作の収録曲を概観するだけでも、フリッパーズ・ギター『バスルームで髪を切る100の方法』、YMO『Behind The Mask』『Cosmic Surfin'』、ラロ・シフリン『スパイ大作戦のテーマ』、ペリー&キングスレイ『Baroque Hoedown』といった多数の名曲へのオマージュを早々に見いだせる。
強調すべきは、それらが決して既存音楽の単調な劣化コピーに陥りなどしなかったことだ。音楽の世界で数百年にわたり繰り返されてきた営みと同様に、そこでは作家がそれぞれに有する音楽的背景やオリジナリティと、それら先行音楽の要素がシームレスに融合していた。そして、全く誰も見たことのない、「ポップンミュージック」という枠の外に存在し得なかった類の、新しい音楽として提示され続けた。
とりわけ、25年間のシリーズを貫いて存在するギターポップ(ネオアコースティック)~渋谷系/ポスト渋谷系シーンとの相互作用については、何をおいても特筆すべきだろう。ゲーム音楽史・ゲーム史研究家の田中治久は、シリーズのサウンドトラックのいくつかをレビューするなかで、「メジャーな行き場を失っていた渋谷系を密かに再活性化させる土壌にもなっていた」「ネオ渋谷系としての『ポップン』は、沖井礼二が参加した『13』~『16』でひとつの頂点に達したと見ることができる」と評している。
田中が指摘する通り、サウンドディレクターたちは自らが渋谷系要素を取り入れた楽曲を制作するのみならず、彼らの縁を伝って多くの渋谷系周辺アーティストを呼び込んだ。元ブリッジのイケミズマユミ、元Cymbalsの沖井礼二と土岐麻子、米山美弥子(CITROBAL)、常盤ゆう(risette)、中田ヤスタカ、わんた(Hazel Nuts Chocolate)、EeL、桜井康史(Corniche Camomile)、北川勝利(ROUND TABLE)、metro trip、ハヤシベトモノリ(Plus-Tech Squeeze Box)……。
それら先行音楽に刺激されてか、00年代後半以降にスタッフの招聘や公募企画で発掘されたアーティストの中にも、渋谷系・ギターポップ周辺のインディーズシーンで活躍し、あるいは知見を有する次世代ミュージシャンが多く現れ、シリーズの音楽に寄与することになった。この潮流に属するアーティスト・ユニットとしては、m@sumi、red glasses、OSTER project、そよもぎ、Citrus and Ocean Colour、ニシジマユーキ、ああああ、マッカチン企画らが挙げられる。
また日本のチップチューン文化をいち早く取り入れた商業ゲーム作品が、国内チップチューンアーティストSaitoneが参加した『ポップンミュージック13 カーニバル』であることも指摘されている。これは同作のSDであり、チップチューン音源『ファミシンセ』の開発者でもある村井聖夜による招聘であった。
当該エピソードに象徴されるように、あらゆる音楽に対しての良い意味での貪欲さを持ち合わせたサウンドディレクターたちは、目眩を覚えるほど広大な古今東西の音楽から、要素を巧みにシリーズへと取り入れ、リリースし、そして25年にわたり蓄積してきた。『ポップンミュージック9』(2002)で実施されたゲーム内部の革新により、過去の全てのバージョンの楽曲をアーカイブ・集積可能となったことは、開発者自身もシリーズの大きな転機の一つとして複数回にわたり言及している。
そうした「なんでもあり」の中にぼんやりと浮かび上がっては消化・昇華され広がってゆく、ポップンらしい音楽という何やら概念めいたもの。もはやその総体を短く言語化することすら困難な、一つの文化としか呼びようのないものを、「ポップンミュージック」は25年にわたり作り上げ、培ってきた。