キャラには想像力で惚れる。レトロゲーマーならではのギャルゲー論

レトロゲーマーのギャルゲー論

ゲームの途中で冷めてしまう自分もいる

 

 そんな中で、人気のギャルゲーはもちろんストーリーが面白いんですが、イラスト集を買っちゃうぐらいのゲームは、ゲームのガワ(外側)というか世界観が好きなんだということに気がつきました。そういう部分を僕は好きで、ゲーム性はそれほど好きでもないんじゃないかなと思いました。

 ギャルゲー(恋愛シミュレーションゲーム)を遊んでいると結構、繰り返しの作業が多いので、途中で「俺、何をやっているんだろう?」って冷めちゃうことがあるんですよね。『ときメモ』であれば、カレンダーに誕生日をメモしたり、行動する選択肢も「出かける」とか「場所を選ぶ」とか「話す」というようにだいたい二択しかなかったりするので、そういう部分の繰り返しにちょっと飽きちゃうところがあって、自分はギャルゲーに向いていないのかな? という気持ちにもなるんですね。

『ときめきメモリアル』より(画像はPCエンジンmini版のもの)
『ときめきメモリアル』より(画像はPCエンジンmini版のもの)

 そう思いつつも、ゲームのイラスト集や関連本を買っちゃうんです。やっぱりギャルゲーの魅力はガワなんだろうなと思うところですね。『ときメモ』の本は表紙も好きですし、そういう本を眺めているのが何よりも楽しいです。ゲームのガワというより、女子のガワですね。

 ちょっとギャルゲーについて調べていたときに、ファミコンゲームであったり、パソコンゲームであったり、PlayStation以前の昔のゲームに登場する美少女キャラが好きだった自分に気がつきました。友達に勧められたきっかけでギャルゲーが好きになった部分もありますが、ファミコンゲームに出てくる美少女キャラにハマっていたのが最初で、現在に至るところがありますね。

 たとえば『ときメモ』で言えば、イラスト集のような資料を手に取ってみると、当然ですけどキャラにちゃんとした設定があるんですよね。その細かい設定が僕は好きなんだと思います。『ときメモ』は、一人ひとり完全にキャラ立ちしていますよね。ゲームをやれば、どこを狙ってもそれが感じられるし、僕の場合はどこを見てもですけど、ゲームだけどゲームではない部分の設定も重要な要素になっているというね。

 ゲームのシステム的にもそうした設定が、たとえば藤崎詩織ちゃんばっかり狙っていると、ちょっと話したことがある他のキャラがヤキモチを焼いたりして、そっちの子に行くと今度は詩織ちゃんに怒られたりして、結局、伝説の大きな樹の下で告白するとフラれちゃうというね。さらに告白に対してハッピーエンドもあるけど、もろバッドエンディングもあるというね……。結局、俺、ゲームも好きなんじゃん(笑)。

 でも、さっき言ったように「俺、何をやっているんだろう?」っていうところに多々落ちることもあるんですよね。言ってみれば行事と行事の間の日常モードが長すぎて……。学校が終わったあと一緒に帰ろうって待っているんですけど、それが連続で何回も繰り返されちゃうと、冷めちゃうんですよね。

 ロールプレイングゲームで言うところのレベル上げの作業みたいなことと同じで、それに気がついちゃうから冷めちゃうのかも? 気がつかずにゲームに感情移入できていればいいんだと思うんですが、僕は気がついちゃうんですよね。そんなことに気がついちゃう自分がいやだったりすることもあるんです。

 一方で、ゲーム内でデートに誘って待ち合わせをして、待ち合わせ場所に行ったときに、相手が初衣装で来たりすると、そういう冷めた客観性もはねのけて、ゲームにのめり込み出すんですよね。

 しかも『ときメモ』の衣装って私服が結構ぶっ飛んでいるものが多くて、テンション上がるんですよね。特に古式ゆかりちゃんの私服がヤバくて。しかも水着が相当ヤバい。そういう楽しみ方もあるんですけどね……俺、何を言っているんだろ(笑)。

 キャラの性格と服装の趣味を寄せてきているというか、たとえばスポーツが得意でボーイッシュな清川望ちゃんの水着は競泳用水着みたいなね、それが好きな人もいると思うんですが、そういうのめり込める要素もしっかりとあるんですよね。そう考えると、やっぱり好きなのかなぁ……。

キャラに惚れるのは想像力

 PCエンジン版やPlayStation版の『ときメモ』はCD-ROMだったので、登場人物がセリフを音声でしゃべるんですが、僕が初めて遊んだスーパーファミコン版はROMカートリッジでメモリー容量が限られていたのでしゃべらないんですよね。これを比べると、僕はしゃべらない『ときメモ』のほうが好きなんです。声がないほうがいろいろと想像できて、のめり込めるんですね。

 ドットの荒いレトロゲームが好きなのと共通したものがあると思うんですが、自分はリアルじゃない表現のほうが自分の想像力で補完できて、より感情移入できるんじゃないかと思いました。

『サマーレッスン』より。(C)BANDAI NAMCO Entertainment Inc.
『サマーレッスン』より。(C)BANDAI NAMCO Entertainment Inc.

 逆にPlayStation VRの『サマーレッスン』(バンダイナムコエンターテインメント)ぐらいまでリアルになってしまうと、VR体験も込みですごくて恋愛ゲームと捉えられない感覚になります。リアルすぎると今度は違う楽しさや面白さになってしまうのかな。『サマーレッスン』がギャルゲーの分類に入るのかどうかはわからないけど。

『ラブプラス』より。(C)2009 Konami Digital Entertainment
『ラブプラス』より。(C)2009 Konami Digital Entertainment

 ニンテンドーDS向けに出ていた『ラブプラス』(コナミデジタルエンタテインメント)は信者が非常に多くて、聖地巡礼をする人も多いことで知られています。『ラブプラス+』の聖地となった熱海のホテルが、過去に『ラブプラス+』で宿泊予約すると、ホテルに着いたときに「お二人様ですね」とフロントで言ってもらえたり、キャラクターの分まで布団を敷いてくれたりするサービスで、ゲームのキャラと旅行をしている気分が味わえるというキャンペーンをやったことがあって、結構、信者で盛り上がったという話を聞いたことがあります。

 僕はそこまではやらないけど、ちょっと自分にも似たようなところがあって、ゲーム性よりも、ゲームの外でも盛り上がれるような、そういう世界観が好きなのかなと思いますね。ゲームに本当にのめり込んでいることと、さらにゲームのキャラと付き合っている感じの俺ってどう? というところが自分にあるような気がします。そういうのは、ギャルゲーが唯一無二だと思いますね。

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