“プログラミング言語”と“大学の第二外国語”は似ている? 緊急事態宣言下の大学生がプログラミング独学で感じた疑問

大学生がプログラミング独学に手を出して感じた疑問

プログラミング言語は、大学の「第二外国語」に近い

 突然だが、大学の第二外国語の授業にいて、必要だと思うだろうか。筆者の友人には「第二外国語は必修だし気分転換になる、少しわかると楽しいし」という人が多い。一方、上智大学名誉教授で英語学者であった渡部昇一は、ベストセラーにもなった著書『知的生活の方法』のなかで、“英語もろくに習得しないままで第二外国語に手を出すことの無意味さ”について熱く述べている。渡部が教授をしていた頃の上智大学では、他大学が第二外国語を学生に必須科目として強制し始めるなか、ひたすら英語漬けの日々を学生に送らせる方針を貫いたおかげで、“一年より二年、二年より三年の方が英語ができる、日本でも珍しい大学”などと言われたりしたという。英語を使えるようになることも一苦労なのに第二外国語にまで手を出せば、かえって全てが疎かになってしまう可能性は、極めて高いだろう。

 プログラミング言語は、本当に「言語」という言葉がぴったりだ。それも立ち位置としては、“大学で学ぶ第二外国語”に近いように思う。広く浅く勉強してみるのもためにはなるが、本気で生活に役立てたいのなら、まずは一つの言語に絞ってマスターするつもりでやらないと、中途半端な学習は一番時間の無駄になるのではないか、と勉強しながら実感した。また、一つに絞る前に色々触れてみて、自分にフィットする言語を選ぶことには大きな意味がありそうだ。

 言語が少しでもわかるようになれば、その言語が使用されている場面や、言語を使う(しゃべる)人々に対して興味が湧くようになる。ロシア語の基礎的な文法が理解できるようになれば、ふとした時にロシア関連のものごとに目がいったり、自分がロシア人の立場だったらどう考えるだろう、と思いを巡らせるようになるだろう。それはとても良いことだし、第二外国語を必修にすることの一番のメリットだ。これはプログラミング言語でも同じことが言えるのではないだろうか。プログラミング言語に少し触れてみるだけでも、自分の情報がどこで管理されているのかや、webサービスのどの部分が心臓なのかをなんとなく掴むことができ、学習者の社会に対する視野は広がっていく。

 話す言語も、プログラミング言語も、手を出すと決めたなら、勉強を持続させること、言語を絞ること、そして学ぶ理由をはっきりさせることが重要なのかもしれない。もちろん、「興味があるから手を出してみる」のは良いことに違いない。英語だけでなくラテン語、スペイン語、朝鮮語にベトナム語、プログラミング言語ならJavaだけでなくJavaScriptにRuby、PHPと、色んな言語に少しずつ触れて、共通点や相違点を把握することの重要さも大きいだろう(特にプログラミング言語においては)。しかし、どこかのタイミングで、ゴールを定めて一つの言語を深めに掘っていかなければ、「言語を学習する時間そのものの意味」が問われてくるのではないだろうか。

 そしてもう一つ、今回プログラミングを勉強し、言語の意義を問い直して考えたことがある。やる気以前の話になるが、英語もプログラミング言語も、いまの時代、我々が思う以上に「やりたくないから」で避けてはいけないのではないか、ということだ。避けるという選択肢がのちの日本社会にどんな影響を及ぼすかを想像すると、義務教育の時点で、「ある程度」でなく「実践的なレベル」まで学習を続けることが重要に思えてしまう。少し極論な気もするが、そんな考えも頭をよぎったのであった。

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