『サイバーパンク2077』発売で振り返る、初代PS版『攻殻機動隊』の画期性
あの当時、ゲームはものすごいペースで進歩するヤバい娯楽だった。一定の世代から上の人にとってはヤバくてよくわからないものだったし、それで遊んでいるだけで最先端のムーブメントに乗っているような気がしていたと思う。その最先端の遊びを象徴する新時代の(なんせ子供のおれにとっては、ソフトがカセットじゃなくてディスクの形になっただけで「なんかすごいものを触っている」という感じがしたのだ)超ヤバいハードであるプレイステーションで、バキバキのテクノをBGMにしながら、思考戦車に乗って都市を駆ける……。この「おれは今ものすごくエッジの立った遊びをやっている!」という興奮は、今このゲームをやっても味わえないと思う。今は今でもっと他の、最先端の娯楽があるはずだ。
加えて言えば、今や「サイバーパンク」という概念自体に手垢がつきまくってしまった。なんか画面全体の彩度が高くて、派手なネオンの英語以外の言語の看板が光ってて、雨が降ってて……というものならとりあえずサイバーパンクを名乗れるようになってしまったと言っても、別に過言ではないだろう。そもそもサイバーパンク自体が80年代の流行であり(『攻殻機動隊』の原作コミックだって80年代末の作品だ)、90年代にはこの概念は日本でもそれなりに広く普及していたと思う。ミニシアター系のアジア映画が流行ったり九龍城が取り壊されたり……というイベントもあって、1997年というタイミングはサイバーパンクに手垢がつきまくるギリギリ前。それなりにアンテナを張っていたオタクたちのテリトリーの外側にサイバーパンクという概念が滲み出す直前だったのではないかと思う。
それから20年以上が経過し、今やサイバーパンクはお約束が前提の、なんとなくノスタルジーすら感じながら振り返られる対象になった。ここ数年サイバーパンク系ゲームが定期的に作られているのも、そんなお約束に細かい説明が必要なくなったというのも関係していると思う。しかし1997年のゲーム版『攻殻機動隊』は違った。まだプレイヤーが「サイバーパンクのゲーム」に慣れていなかったし、だからこそフレッシュな体験として指が痛くなるまでフチコマを乗り回しまくることができた。ノスタルジーなんか微塵も感じさせない、ピカピカのサイバーパンク概念がそこにはあったのである。そういう時期に(おれの場合はちょっと遅れてだけど)立ち会えたことは、それなりに幸運だったと思う。
(画像=https://www.jp.playstation.com/software/title/scps10043.htmlより)
■しげる
ライター。岐阜県出身。プラモデル、ミリタリー、オモチャ、映画、アメコミ、鉄砲がたくさん出てくる小説などを愛好しています。