“第五の壁”を溶かした「SECRET CASINO」が創出する新たなゲーム体験とは? イシイジロウ×三宅陽一郎 対談

“第五の壁”を溶かした「SECRET CASINO」が創出する新たなゲーム体験とは? イシイジロウ×三宅陽一郎 対談

「SECRET CASINO」は1対1×100を目指した

イシイ:自分の精神を安定させるためのネットワークをどう作るかは、これから大事になると思います。ひきこもってしまってコミュニケーションが怖くなるとマズいですから、群れとのコミュニケーションをし続けることは必要なんです。僕にとってみると「SECRET CASINO」を作るにあたって集団とコミュニケーションをとっていくというのは、自分の精神を安定させる意味合いもありました。

 また逆説的に言うと、「SECRET CASINO」はインタラクティブ・ムービーとしての側面も有していますが、従来のそういったエンターテイメントはユーザー1人に対してシナリオを書いていたんですね。

 でも「SECRET CASINO」は1対1が100個あるという、「群れなんだけど、個と線が全部つながっている」という構造になっています。このようなシナリオ概念は従来あまりありませんでした。つまり「SECRET CASINO」は、「プレイヤー群に対してインタラクティブシネマを作る場合、どんなシナリオが適切なのか」という実験でもあったと思っています。

三宅:僕は実際に「SECRET CASINO」に参加する前の段階では、「参加者が100人もいるなら、俺は何もしなくていいな」「誰かが引っぱってくれるだろうから、なんとなく参加して終われるだろう」と若干思っていたんです。

 でも参加してみると、「自分も何かしなくてはならない感」「自分がインタラクションしている感」が100人分担保されている感覚がありました。この感覚がなぜ成立しているのかはわからないのですが、これってこれまでなかった感覚だなと感じました。

イシイ:今の時代って個と個が線でつながっている時代ですよね。これを群れや群として心理的に理解し、そこに参加することで新しいロールを作っていくにはどうしたらいいのか。ここを解明すれば、肉体側への揺り戻しにも対抗できるんじゃないかなと思います。

三宅:リアルゲームの場合、「場」に行って、自分が引き受けるべきロールを「待つ」ところがあります。少なくとも僕はそうです。そこで擬似的な社会に参加していくんですよね。

 でも「SECRET CASINO」は「自分は100人のなかの1人に過ぎない」という感覚がないんですよね。これって、これからの社会における個人は、「群れの中の一人」ではなくなっていくのだという示唆なのかもしれないと感じます。

 実際、場であったり、場にいる群れの力から、自分の座標を知りたいという欲求ってあると思うんですよ。自分は「会社にいる、新入社員である」とか。これによって存在の不安が消せますし、実際にそのための仕掛けってたくさんあったわけです。「社員が肉体としてひとつの場所に集まる」「リアルな場に集まって社会の座組をみんなが理解する」というイベントや構造は、どこの会社にもありました。そしてこういう形で自分の序列を確認し、それによって安心を得るというのは、人間の動物的なところでもあります。

 でもこの要素がフレキシブルになって、1対1がたくさんになった。これって、人間の精神に対してかなり大きな違いになるのではないかと思います。

 いま、我々がもつ「帰属意識」というものが変革を迎えている。社会的リアリティの変化を促されているのかなと。

 昔なら組織に新しいメンバーを迎えるにあたっても、「ここの席に座って」で片付いた側面がありました。その「場」の力で、その人を集団に溶け込ませられたんです。でも今は、誰ともコミュニケーションがないまま「自分」と「その社員」ということになりがちなんですよね。

 ただこれは、強引につなげようとでもしない限り、人と人のつながりが広がっていかないということでもあります。外部延長性がないんですよ。GDCのような技術カンファレンスでもこれと同じことがあって、かつては自然な外部性が存在しました。隣にたまたま座った人と雑談するとか、となりのブースにいる人と話し込むとかですね。

 でもオンライン開催になって、そういった外部性がぱったりとなくなってしまいました。「だからカンファレンスに集中できる」とも言えますが、広がりがなくなったのも事実です。昔ならパーティ会場で会ったその場で仕事や登壇をお願いできたんですが、バーチャルで会った人だとなんとなくそこまで踏み込めないんですよ。

 なので長期的に見ると、今作られている新しい社会的リアリティにおいては、人間はどんどん狭いところに蛸壺化していき、相互につながるのが難しくなっていくのではないかという不安も感じます。

イシイ:人狼もリアルとネットで体験が違うんですよね。

 リアルなら、集まって雑談して、終わって駅まで帰る間に雑談があったりします。でもネットだと人狼を遊ぶだけになるんです。なのでネットの人狼で三宅さんと会ったとしても、そこで「三宅さんってどんな仕事されてるんですか」とか聞くチャンスはありません。「今回初参加の人は誰か」とか、ネットだとなかなかフォローもできないですしね。

 ただこれも、将来的には変わっていくんじゃないでしょうか。僕らの世代はどんなにデジタルに強いといっても、非デジタル・ネイティブです。だからマッチングアプリとか言われると心理的障壁を感じますが、若い世代はマッチングアプリを「隣に誰かがいた」くらいの感覚で使っています。僕らが思っているより、彼らは身体性を飛び越えて、ショートカットしている感があるんですよ。

 そう遠くないうちに、僕らは世代に置いて行かれているのかもしれないですね。

三宅:僕はいま立教大学で教えているのですが、講義がずっとリモートなんですよ。学生たちも僕らが知っているキャンパスライフとは全然違う生活をしていて、互いにまったく会っていない。そうなると僕なんかは「一回も会わずに『学友』になれるのだろうか?」とか思ってしまいます。

 でもこの、「群れはある程度リアルでなくてはならない」という感覚、あるいは「この人とはリアルで会っている」「この人とは会ってない」で区別するような感覚は、もしかしたら古い感覚なのかもしれないですね。

イシイ:大学について言えば、「学友という群れにコミットしなくてもよくなった」という見方もあると思います。ある大学の学生という存在でありつつ、別の群れに参加していてもよいわけですよ。

 現代は、群れを選択する自由度が上がっています。SNS黎明期のように、意欲ある若い人は、知らない人とバンバンつながりを作っているんですよね。その一方で会社や学校が群れとしての吸引力を失っているのも間違いなくて、それに対して別の価値を持っていく必要がある。「人が集まって楽しいでしょ」では、もう無理なんですよ。

 なにより、人に対して群れを強要することにはそれ独自のメリットもありますが、「強要された群れにハマらなかったら生きていけない」という側面もあるというのは重要だと思っています。

三宅:学校に馴染めなかったらアウト、という状況は確かにありましたし、今もありますね。

イシイ:それから、これは体験型エンターテイメントに関わっていて気付かされたことなんですが、リモートでの参加が可能になる前って、それまで常連のように参加されていた方が、突然ふっと参加しなくなることがあったそうです。「そうです」というのは、僕は気づいてなくて、きださおりさんに教えられたからなんですが。

 なぜ突然、参加が途絶えるかと言うと、いわゆる「リアルの事情」です。子供が生まれた、病気をした、転勤した、などなど、いろんな理由で参加できなくなる人がいました。でもリモートで体験型エンターテイメントをやるようになって、そういう人が参加者として戻ってきたんですよ。

 こういう形で、リモート化することによって救われた人もいるということもまた、無視すべきではないと思います。

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