“第五の壁”を溶かした「SECRET CASINO」が創出する新たなゲーム体験とは? イシイジロウ×三宅陽一郎 対談
アフター・コロナの世界ではリモートワークが普及したことにより、人々の時間と空間に対する感覚にも変化が生じた。例えばコロナ前であれば、用件と用件の間には空間の移動や雑談といった一種の“無駄”が伴うのが一般的であったが、リモートワーク下では日常からそのような余白が消失しつつある。これはいわば時間と空間が細切れになった状態とも言い換えられるだろう。
一方でエンターテイメントの世界に目を向けると、SCRAPが企画運営する「インサイドシアター」やARGといったイベントのチケットが即完売するなど需要が高まっている傾向がある。その背景には、時間と空間が細切れになったことにより単調になってしまった日常に対し、物語を滑り込ませたいという欲求があるのではないだろうか。
本稿ではInside Theater Vol.1「SECRET CASINO」の脚本を担当したイシイジロウ氏とゲームAI開発者の三宅陽一郎氏を招き、「今の時代」におけるストーリーテリングの役割と今後の展開について、ディスカッションを行った。
イシイジロウ:株式会社ストーリーテリング 代表取締役社長。チュンソフト(2000年入社)、レベルファイブ(2010年入社)において、おもにアドベンチャーゲームのシナリオ・監督・プロデュース、ディレクションを務めたのち、2014年に独立。2015年株式会社ストーリーテリング設立。ビデオゲームのみならずアニメーションの脚本や実写映画、舞台の原作など活動の場を拡げている。代表作は『428 〜封鎖された渋谷で〜』(総監督/チュンソフト)、『タイムトラベラーズ』(ディレクター/レベルファイブ)、『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』(監督/チュンソフト)、『文豪とアルケミスト』(世界観監修/DMM GAMES)、『新サクラ大戦』(ストーリー構成/セガゲームス)など。最新著書は「IPのつくりかたとひろげかた 」星海社新書。
三宅陽一郎:ゲームAI開発者.立教大学大学院人工知能科学研究科特任教授、九州大学客員教授、東京大学客員研究員。国際ゲーム開発者協会日本ゲームAI専門部会設立(チェア)、日本デジタルゲーム学会理事、芸術科学会理事、人工知能学会理事・シニア編集委員。著書『人工知能のための哲学塾』 『人工知能のための哲学塾 東洋哲学篇』『人工知能のための哲学塾 未来社会篇』(BNN新社)、『人工知能の作り方』『ゲームAI技術入門』(技術評論社)、『なぜ人工知能は人と会話ができるのか』(マイナビ出版)、『<人工知能>と<人工知性>』(iCardbook)など。共著『デジタルゲームの教科書』『デジタルゲームの技術』『絵でわかる人工知能』(SBCr) 『高校生のための ゲームで考える人工知能』(筑摩書房)『ゲーム情報学概論』『キャラクターアニメーションの数理とシステム』(コロナ社) など。翻訳監修『ゲームプログラマのためのC++』『C++のためのAPIデザイン』(SBCr)、監修『最強囲碁AI アルファ碁 解体新書』(翔泳社)、『眠れなくなるほど面白い 図解 AIとテクノロジーの話』(日本文芸社)など。
今、リアリティの「リ・ビルディング」が行われている
イシイジロウ(以下イシイ):リモートワークの普及で、間違いなく時間感覚は変化しましたよね。いわゆる「どこでもドア」的な感じで、時間をショートカットして動けるようになったのが現在だと思います。そしてその結果、従来とは時間と空間に対する感覚も変わりました。これまでは「移動」という行為によって、時間や空間の感覚が調整されてきた側面がありますからね。
もっとも僕は、この「時間を飛び越えている感覚」って、人類にとってみるとこれが初めてのことではないんじゃないかと思ってます。ネットの黎明期はもちろん、電話の黎明期にもあった感覚ではないか、と。
ともあれ、「画面の向こうは、自分と同じ時間・同じ現実なのか?」という点が、あやふやになる瞬間は増えています。それこそネット越しのテキストのやりとりですら、そうです。
例えば亡くなった方のSNSには、その方の過去の時間が保存されています。ではLINEでやりとりしている相手は、自分と同じ時間に存在しているのか? 端的な例を挙げれば、海外とやりとりをしていると時差による「時間」には明確なズレがあります。
リモート演劇やリモートインタラクティブには、この「あやふやさ」の面白さがあると感じています。例えば僕は三宅さんがさきほどオンラインになったと認識していますが、この認識に対して「いえ、もっと前からいましたよ」と三宅さんが言い出す――こういうのって、フィクションとして面白いんですよね。
この面白さは、ストーリーを作るクリエイターとして、この数ヶ月間感じていることです。
三宅陽一郎(以下、三宅):リアリティが変化してしまった結果、僕らはいま新しいリアリティを模索しているのだと感じています。もう一度、自分のリアリティをリ・ビルディングしているんだけど、そこにはさまざまな選択肢がある。
このことは、ネット上で開催される脱出ゲームも含め、ゲームにおいても同じだと思います。
リアル脱出ゲーム(※)で言えば、空間の移動ができなくなったわけですから、これは「使えなくなったツールがある脱出ゲームだ」と言うことができます。空間の移動が伴う脱出ゲームであれば、「主催者とインタラクションしない時間」が間違いなく存在しましたが、空間の移動がなくなった以上、対面のインタラクションでずっとリアリティを維持しなくてはならない――言い換えれば、遠隔で保つことができるリアリティはコミュニケーションやインタラクションに特化したリアリティなんです。だから例えば「今から一分間、一緒に滝を見ましょう」みたいなことをすると、どうしても間が持ちません。
この「インタラクションで物語が続く」というのは、現実とも同期しています。例えばZoomを使ったリモート会議であれば、開始0秒から機関銃のように喋り続けて会議が終わるといったリアリティが同時に再構築されていますよね。
イシイ:情報のやりとりだけに特化したときにエンターテイメントはどうなっていくのかというのは、すごく悩んだ点ですね。「SECRET CASINO」を演出していくにあたっては、シーケンシャルなものとインタラクティブなものがすごく混ざっているんです。
先ほど三宅さんがリ・ビルディング言葉を使われましたが、「SECRET CASINO」を作るにあたって僕がよく使った言葉が「リ・エンジニアリング」なんです。
リアル脱出ゲームはもともと「脱出ゲーム」というコンピューターゲームだったわけですよね。それを「リアル脱出ゲーム」にリ・ビルディングしたとき、いろんなことが起こりました。そうしてできた「リアル脱出ゲーム」をコミュニケーションに特化されたリモートの場に戻すとき、リ・ビルディングされ、再びここで新しいリアリティに変換されているわけです。
結果、リモートのリアル脱出ゲームには、「リアル脱出ゲーム」が持っているリアルは当然残っているのだけれど、もともとあったコンピューターゲームとしてのリアリティも同時に存在している状態になってるんですね。なので作っているとき、内心で「ここはカットシーンだな」「ここはインタラクティブシーンだな」と思って作っていた部分はあります。
三宅:それは「SECRET CASINO」に参加して、僕も感じたところです。
Web上のリアル脱出ゲームがリアルに移ったとき、場所の持つ力がそこに影響を与えたと感じました。「横浜レンガ倉庫が会場です」ということであれば、「横浜レンガ倉庫」というシチュエーションが体験に影響を与えるようになったな、と。
このような表現力の発展は、当然コンピューターゲーム側でも起きてきたことです。すごく古いアドベンチャーゲームだと画面を見て「瀬戸内海は綺麗だな」と感じるのはかなり難しかったのですが、ハードウェアの性能向上にあわせていろいろな演出ができるようになっていきました。
でもリアル脱出ゲームなどの空間を使った体験型イベントがオンラインに戻ってくることによって、現実世界の力を持ってくるのが厳しくなりました。結果、カットシーンやテキストシーンのようなリアリティに一度戻したんだな、というのはすごく感じましたね。90年代のテキストアドベンチャーが持っていたリアリティに近いな、と。
イシイ:そうなんですよ。ある意味で先祖返りはしているなと感じています。例えば80年代のアドベンチャーでも、フォーマットとしては再現できると思いますね。
でもそれがリアル脱出ゲームを通った上で、生の役者さんがリアルタイムで演じるということが起きたとき、CGやイラストキャラクターでは出ないリアリティが圧倒的にあるんですよね。そこが人の心を動かしていると思っています。
実は僕は10年近く前に同じような構造のストーリーをコンシューマゲームで作ったことがあるんですが、どうしても「ゲームの中の世界」にしか見えなかったんです。ゲームの中にあるリアリティを現実とつなげても、プレイヤーはそれをメタな感覚で「お約束」としてしか理解してもらえない。
でも「SECRET CASINO」には「現実が殴ってくる」感覚がすごくあります。実際、コンピューターゲームにおいては第4の壁が破られても、ある意味知れてるんですよ。フィクションと現実の接点が分厚すぎて、破っても「破ったね」ということがはっきりしすぎるんです。
リアル脱出ゲームの恐ろしくも凄いところは、もともと第4の壁を取っ払ったところから始まるところです。つまり、観客はもう内部化していて、第4の壁の中で始まるわけです。
——第4の壁について、もう少し詳しく解説をお願いします。
イシイ:演劇の舞台には背中・上手・下手と壁が3つあります。この3つの壁に囲まれたのが演劇で、これを役者は越えられません。ここにもう1つ、見えない壁があって、それが観客と役者を区切る「幕」に相当する部分ですね。
ただこの第4の壁は、現実には存在しないので、壁が存在しないかのように観客と役者が会話できます。近代演劇ではよくあることですが、これが「第4の壁を越えた」状態です。
三宅:「SECRET CASINO」の場合、「スクリーンのこちら側に引き受けねばならない役割がある」というのはリアル脱出ゲームをやり慣れている人にはわかっていると思うんです。自分が物語内部における自分なのだ、という感覚ですね。
ただリアル脱出ゲームの経験が少ない方の間には、「素の自分」として入っていったり画面をオフにしていたりと、参加するという意思ではない人も見受けられたかなと。つまり大きく分けて二種類の参加者がいましたよね。
でも物語が進行するにつれて「自分はただの観客ではダメなんだ」という理解が生まれていって、自分も参加していくという側にシフトしていきました。これは確かに、「壁に果てしなく近づいていくという感覚」でしたね。
イシイ:SCRAPのリアル脱出ゲームは、もともと「客席も舞台の上にある」んでしょうね。なのでエンドクレジットでお客様の名前が出るというのもよくあって、これはまさに「あなたの出演者ですよ」というメッセージです。
そんななかで、僕は今回「第5の壁」という言葉を自分の中で使いました。これは「次元」の壁ですね。空間や時間を超えていく体験をしてほしいなと思ったんです。
具体的に言えば、「本当の現実を触ってくる感覚」「時間を触ってくる感覚」です。「舞台に座っている観客である自分の、裏の日常が触られる感覚」「自分は観客であると同時に出演者でもあるという覚悟の先を触る」と言い換えることもできます。この感覚って既存のメディアだとなかなか得られないものなんですよね。
これって参加者が自宅にいるからこそできることでもあります。分かりやすくいえば、リアルタイムで家に何かが届く、とか。あるいは例えば家の中の何かが変わっていくとか。そういう事が「第5の壁が触られる」ことだと思っています。これをどう実現するかと考えたときに出てきたのが「SECRET CASINO」のシナリオギミックなんですね。
ネタバレになるので詳しくは語れませんが、この仕組みには「とんでもないことに触れた」感があると思いました。
三宅:これまでのリアル脱出ゲームではできなかったことをやっているわけですね。
イシイ:似たようなギミックは存在すると思います。ただ、やはり舞台装置の中でしかないんですよね。しかもリアルタイムで触るものはリアルタイムでしかない。例えばリアル脱出ゲームで司会者が「私は三日前の私です」と言い出しても、それは「そういうお約束」でしかないですよね。
でもリモートという、自宅とフィクションのリアリティが曖昧な世界にこれが割り込んでくると、「三日前の私」が一段上のリアリティになるわけです。
三宅:2014年に『3D小説 bell』という作品がありました。あれは新聞小説のようにブログ上で少しずつ小説形式の物語が投稿されて進行するのですが、ブログ更新日時と小説で描写する日時を必ず揃えることで現実空間と物語を接続していました。読者は小説内で何時間後かに起きると予告されたバッドエンドを、小説を読み解きバッドエンドの回避策を全国各地のスポットやWebサイト、投稿動画といった数多のメディアから見つけ出して現実世界側をあらかじめ書き換えておくことで、バッドエンド時刻に更新される小説描写にも影響を与えられる形式だったと思います。
「SECRET CASINO」はそれともまた違っていて……これが特定のイベント専用サイトが書き換わっていくだけなら「物語の内側」という感触ですよね。でもそうではなく、ユーザーにできるだけ大きく迂回させることで、本来なら作り手の届かないはずの場所が変化しているところに、新しいリアリティを感じました。
イシイ:分岐した物語(フィクション)が書き換わっているのではなく、世界自体が書き換わっている感覚ですね。まさに現実側のフローチャートが書き換わっている。
セーブデータを遡って書き換わっていくダイナミックさというのがデジタルゲームの面白さだと思っています。未来が書き換わるのはアクションゲームがまさにそれなんですが、過去から書き換わるというのは「弟切草」が発明した、物語そのもの・世界そのものが書き換わる感覚だなと。これは第5の壁の考えた方に近いと思います。壁自体は壊してはいないですが。
「あなたのいる世界」が、ちょっとしたことでさらりと書き換わったということですよね。そしてゲームの中の世界が書き換わったことによって投影された可能性の現在が見えるわけです。
三宅:そういったインパクトが求められているところがありますよね。
日常が空間的にも制限されて、現実というものを遠いニュースからもう一度組み立て直しているという中で、日常の裏側にタッチされるということに対して感度が上がっている。
実際「インターネットのリアリティ」というものは20年前からありますが、昨今はそれが増していますよね。かつて現実世界や現実の人によって組み上げられていたリアリティが、今は遠隔ビデオやネットを介したニュースといったインターネットのリアリティによって組み上げられているようになっています。
そうやってセンシティビティが上がっているところでWebの書き換えというリアリティを利用したというのは、今の時代に刺さっているなと感じます。そこが第5の壁を破れたひとつの理由でもあるのかなと。ユーザーがネットに依存する度合いが高まったところでこういうエンタメが作られたということには、すごく時代性を感じます。
イシイ:リアリティという問題については、フェイクニュースが拡散していく現実というのがあるわけですが、あれもまたリアリティのなさがなさしめているのかもしれないな、と思います。リアリティがないから、あれだけのことを無責任にできてしまう。目の前にあるリアリティがあるものには石を投げられなくても、リアリティがないものには簡単に石を投げられますからね。