【ネタバレあり】『The Last of Us Part 2』は、映画を最も震え上がらせるーー映画評論家・小野寺系が“問題作”の可能性を考える

映画を最も震え上がらせる『ラスアス2』

エリーとアビーの終わりなき報復

 だが、ここで指摘したいのは、そのような理解からくる感想というのは、作り手の意図や、ドラマ部分で表現していることの誤解から生まれている場合が多いのではないかということである。

 本シリーズが映画的だといわれるのは、微細なグラフィック表現と演出によって、キャラクターの感情の機微や、哲学的な問いを生み出すような状況を見事に作り出している点にある。その洗練された表現のなかには、無駄な状況説明や解説は見られない。だから、映画のようにシーンをよく見なければ、本作がうったえかけるものを取り落としたまま先に進むことになり、感情移入がしにくくなるのである。とくに今回の続編は、ニール・ドラックマンをはじめとするディレクター陣の演出、美しい舞台を創造した美術スタッフ、そして撮影監督のマット・ナポリタンらの尽力によって、一般的な映画作品をはるかに超えた高度な表現にまで達している。

 アビー編で描かれるのは、エリーにとっての敵側の事情である。そこでは、エリーに殺害される前の人々や犬たちが、いきいきと行動している。アビーたちにも人生があり、一人ひとりが誰かにとって、かけがえのない存在だということが伝わってくる。しかし、エリーのやってしまったことは、いまさら取り返しがつかないのも確かなのだ。プレイヤーは、自分のプレイによって手をかけた人々の在りし日の姿を眺めながら、後味の悪さを覚えることとなるだろう。

 そして、じつはアビーの父親は、第1作のジョエルの殺戮劇によって命を奪われた、ファイアフライの医師だったという事実も突きつけられる。エリーによるジョエルの復讐の前に、じつはアビーによる父親の復讐が存在していたのだ。そしてエリーの報復は、また新たなアビーの復讐を生み出してしまう。この終わりなき報復合戦を暗示するのは、前述した病院の地下に存在した“グラウンド・ゼロ”と呼称される場所である。

 グラウンド・ゼロとは、爆心地などを指す言葉だが、そう名付けられたなかで最も有名な場所といえば、2001年にテロ攻撃によって倒壊した、ニューヨークのワールド・トレード・センターの跡地だろう。アメリカの都市部がこのような攻撃にさらされた当時、多くのアメリカ国民は、ここがテロとの戦いの始まりだととらえたのではないだろうか。しかし、本当にそうだろうか。同時多発テロは、狂信的なイスラム武装組織アルカイーダによるものだといわれているが、組織がそのような行動に出た原因に、アメリカ政府の責任はなかったのだろうか。

 アメリカ軍による報復行動や、軍による侵攻、犯人の捜査における拷問行為は、多大な混乱と大勢の一般市民の被害を出すことになる。そうやって家族を奪われ、尊厳を奪われた者たちは、またアメリカを恨むことになる。この報復合戦は、いつ終わりを迎えるのだろうか。

本作の最大のネタバレとは

 だが、このような展開を物語に見るときに、注意しなければならないことがある。一見すると本作は、対立する双方それぞれにそれなりの事情があり、どちらも正しいことをしていると描いているように見える。いわゆる、「正義に対立する側もまた、もう一方の正義である」という概念である。しかし本作の物語は、そのようなメッセージを発しているわけではない。そのように解釈したプレイヤーは、ここで制作者の意図を誤読したまま本作をプレイすることになってしまう。

 アビー編で描かれているのは、じつは第1作のジョエルとエリーの関係とそっくりな構図である。アビーはシアトルでの行動のなかで、レブという子どもと出会う。レブを助け、そして逆に助けられることで、アビーとレブは互いの絆を深めていく。アビーはその後、死ぬほどの思いをして、他人のために医療器具を手に入れようとし、そのことで仲間からも追われてしまう。そして、やむを得ず人を殺すことで状況を切り開き、弱い立場の人命を守ろうとする。その葛藤は、ジョエルがかつて経験したものなのだ。

 本作の展開に拒否反応を示すプレイヤーは、エリーは正しい側にあり、アビーは憎むべき対象だと思うかもしれない。たしかに、ジョエルを殺害したときのアビーは、復讐に燃えることで人間の感情を失いつつあった。しかし、アビー編をプレイし続けることで、プレイヤーは彼女が本当は優しい気持ちを持っていることを知ることができるし、彼女が他人の幸せのために献身的な行動をするという、人間としての成長を遂げる姿を目撃することになる。

 翻って、エリーはどうだろうか。彼女は、自分の復讐に幾分かの葛藤を感じつつも、良心の声を無視しながら突き進んでいくキャラクターだ。そして、自分の愛する存在を危険にさらしてまで、復讐を遂げようとするのである。

 プレイヤーがアビーの操作を続けていると、ついにエリーのいる場所へと到達することになる。そして、驚くことにアビーの視点のままでエリーとの1対1のデスマッチへとなだれ込む。最後の敵はエリーなのだ。これが、じつは本作最大のネタバレである。そう、本作が描くのは、人間として成長を遂げたアビーが、復讐鬼と化したエリーを倒すという物語だったのだ。

地獄のデスマッチが示す人間の極限

 その証拠に、アビーは最も愛する人物を殺害されながらも、レブに諭されることで復讐を断念し、最終的にはエリーを許すという選択をする。一方、デスマッチ中にプレイヤーがしくじれば、即座にエリーのショットガンによってアビーの顔面に大穴が開くことになるのである(本当に悲惨な殺し方だ……)。

 前述したように、ジョエルはエリーに対して、こんな復讐を望んではいないはずだ。抗体を持った人間としての重い十字架を背負うエリーには同情できる点もあるが、彼女が殺人を続けるのは、ただ自分の心を納得させるためでしかないのだ。そして、それはジョエルを殺すまでのアビー自身の姿でもある。プレイヤーが憎んでいたはずのアビーは、いまやエリーの姿となって、そこにいるのだ。

 本作にはさらにエピローグが存在する。アビーによって許されたエリーは住処を移し、ディーナとの幸せな生活を送るようになる。だが、それでもまだアビーへの復讐を忘れることができないエリーは、またしてもアビーを殺害しようと、アビーとレブの足跡を辿っていくことになる。

 もはや本人も、これで心が救われるとは思っていないかもしれない。しかしアビーを追うこと自体が、もはや彼女の生きる意味になってしまっているのだ。そして、ついにエリーは、まだ子どものレブを人質にとってまで、戦意のないアビーにリマッチを強要する。この哀しき復讐鬼、みじめな廃人こそが、第1作で世界の救済と引き換えに得られた命なのである。この状況をジョエルが見ることができたとしたら、やりきれない気分になるに違いない。

 ともに負傷したエリーとアビーの浅瀬での殺し合いは、凄絶なものとなる。エリーは二本の指を噛み切られ、アビーは水に沈められ生死の境を彷徨う。まさに地獄の戦いである。そして、ついにエリーはアビーを殺すチャンスを得ることになる。

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