令和時代のスマホはどうなる? 関係者と振り返る“平成ケータイ史”
また、このころはデザインも年々トリッキーで前衛的なものも出てくるようになったり、いわゆる「着メロ」の和音数が上がり、自身で打ち込めるようになったりした。田中氏も「最初の頃は軽さを競ってたんですけど、カメラなども入ってどんどん大きく重くなり、そこからさらに削って……と、グラム単位で競うことに。そのなかで、女子高生たちはそんなのお構いなしとばかりにストラップをつけていたのは面白かったです」と述べるように、一方で“デコる”行為が流行し、携帯電話が自分たちの個性を出すためのアイテムへと変わっていく過程でもあったのかもしれない。
そして平成10年代後半には、おサイフケータイ、iD、ワンセグと多くの便利機能が追加されていく。谷氏は、この時期について「進化がどんどんあったタイミング。カメラと液晶が進化し、GPSやメディアプレイヤー機能も搭載されたかと思えば、Felicaやワンセグなど、エレクトロニクスのいろんなものを小さな端末にギュッと入れることが可能になった時代だからこそですね。スマートフォンがデバイスとして使える機能は、このころのものがベースになっていたりするわけですから」と語る。端末の設計については、ワンセグの導入で一つ大きな変化のタイミングがあったそうで、「AQUOSケータイはサイクロイドを搭載してT字になったり、PanasonicさんのVIERAケータイは横開きだったりと、ガラケーの設計においてパターンが一気に変化しました」と、谷氏は当時の裏話を教えてくれた。
さらに、筆者が意外なこだわりと感じたのは、“端末背面のイルミネーション”だ。谷氏いわく「閉じると背面液晶が光るんですが、女性向けなら淡く、男性向けなら青白く光るようにしたり、パターンをどうするかなど、当時は商品開発部の間でも盛り上がっていました」ということらしく、我々が当たり前のように使っている機能も、彼らの努力の結晶なのだと感じさせられた。
そんなケータイ史にまたしても大変革が訪れたのは、平成20年(2008年)6月9日のこと。iPhoneの発売により、徐々に時代はスマートフォンが覇権を握る世の中へと転換していくのだった。当時iPhoneを取り扱っていなかったドコモは、Androidケータイを展開するのだが、その最初の端末となったのが「HT-03A」だ。谷氏は同端末の商品企画にも携わっており、特に思い入れの強い端末だという。同氏は当時の出来事について「最初は本当に大変でした。海外はスマートフォンへと一気に転換したのですが、日本はガラケーが発展してきた国なので、カメラのシャッター音はかならず鳴るように、独自のルールがいくつもあり、そこへ合わせるために苦労したのを覚えています」と振り返ってくれた。
ちなみに、スマホを日本向けに発売するにあたって、好評だった機能はなにかと聞いてみると、谷氏は「防水機能です」と回答。その理由は「もちろん海外の携帯電話にはこれまではなかったんですが、日本は防水だと安心して購入いただく傾向にありますね。それがいまや、グローバルなメーカーのハイスペックなスマートフォンにはすべて防水機能が搭載されているくらいですから」と、その点については世界の最先端を走っていたことを明かした。
ドコモのAndroidといえば、今も中心モデルになっているXperiaの初代機が発売されたのもこのころだ。筆者も発売日に買いに走り、その便利さ・自由度に興奮しながら使い倒した記憶がある。谷氏はスマートフォンが徐々に普及し始めた当時について、「使える機能に制約がなくなり、アプリにも多様性のあるスマートフォンは、僕にとって今までと違う新しい世界に見えました。実際に売れるようになるまでは2~3年かかったんですが、ここからいろんなものが自由になるぞ、と興奮したのを覚えています」と、熱く語ってくれた。
そして、スマートフォンの時代が来て以降の転換点について聞いてみると、平成26年の「LTE」導入だという。谷氏は「その少し前からdTV(当時はBeeTV)のサービスを始めていました。画面が5インチ前後でスピードもそこそこあって、画質も十分綺麗なHDで見られるなかで、映像系のサービスを作ろう、と。そこにアーカイヴの配信を合わせてリリースしたら、時代とも歯車が噛み合って、多くのお客様に使っていただけるようになりました」とコメントした。ちなみに、来年にスタートすることが決定している次世代通信規格「5G」について、「4Gは動画を加速させたとすると、5Gは何を加速させるのか?」と質問したところ、谷氏は「開けてみないとわからない部分もありますが、ライブ映像・スポーツ中継などは間違いなくいい方向へ向かっていくでしょう。リアルタイムなものを臨場感あるかたちで、どういうディスプレイで見るかという点には期待したいです」と述べてくれた。
また「令和時代のスマートフォンがどうなるか」という質問も投げかけてみたのだが、これについて谷氏は「海外メーカーで発表されている折りたたみスマホも一つの形ですが、個人的にはスマートフォン1台で、というより別のデバイスと連携する前提で売られるものも続々出てくるような気がしています」と、いわばIoTのなかに位置づけつつ、「少し話は逸れますが、名刺サイズのカード型携帯『KY-01L』がメインではなく電話用の端末として好評なのも、一つのヒントかなと思っています」と、機能の新たな分化と統合という意外な展開を示唆してくれた。
この平成の間に大きく成長してきた携帯電話産業。現在隆盛を極めるスマートフォンの先にも、また別の何かが待っているのかと思うとワクワクが止まらない。令和時代のケータイ史も、引き続き注視しながら追いかけていくことにしよう。
(取材・文・撮影=中村拓海)