令和時代のスマホはどうなる? 関係者と振り返る“平成ケータイ史”
「平成」は、色んなモノがテクノロジーの力でこれまで以上の加速度をもって成長した時代だといえる。そんな「平成」を象徴するモノのひとつが「携帯電話」だ。
日本最初の携帯電話は、昭和60年(1985年)に“車外兼用型自動車電話”として発表されたが、当時は保証金が20万円、登録料が3万円、基本料金は約2万円と、まだ一般層へ普及するには高価な代物だったうえ、「ショルダーホン」といわれていたように肩掛けカバンのような大きさ・重さだった。ところが昭和62年(1987年)、完全に携帯できる電話(いわばこちらが“完全な”日本初の携帯電話ともいえる)としてTZ-802が発表され、平成3年(1991年)には小型携帯mova(ムーバ)のサービスがスタートしたことで、一気に一般層へ普及。1990年度は50万台だったものが、1993年度には100万台へと跳ね上がった。
このmovaを発売し、日本に小型携帯電話を広く普及させた会社がNTTドコモだ。今回はNTTドコモ プロダクト部 プロダクト企画担当課長の谷直樹氏、同社広報部の田中麻美子氏による証言や、同社が運営する「NTTドコモ 歴史展示スクエア」で撮影した写真などを織り交ぜた”平成ケータイ史”を紹介したい。
田中氏が学生の頃「学生が利用する通信機器はポケベル、PHS、ケータイの3タイプに分かれていて、ケータイへの憧れがありました。PHSは利用者増加のために、大学構内までタダで配りにきていて、movaを持っていることがステータスになっていたように思います。ケータイは番号が『030』から始まるものだったんですが、番号交換しようとなったときに優位に立てているような印象でした(笑)」と、小型携帯電話を持つことが一つのステータスであったことを話してくれた。また「あと、都市部向けの『シティフォン』というプランがあって、割安で学生でも契約しやすい価格帯になったんです」と、都会の若者が比較的手に入れやすいものであったこともわかった。このあたりは、最新機種を持っていれば、ある程度はもてはやされる現状とそう変わらないのかもしれない。
端末についても、谷氏いわく「サイズがどんどん小さくなっていたのと、折りたたみ式の登場がインパクトを与えたような気がします。開け閉めする動作をかっこよくしている人がもてはやされたりとか。その後に出てくるソニーのジョグダイアルもそうですが、端末の機能はメーカーごとに特徴があって、NECが折りたたみ、パナソニックがストレート、三菱がフリップタイプ……など、操作性の合う・合わないや、デザインの好き・嫌いで選んでいたと記憶しています」と、それぞれが自分に合う携帯電話を選択する時代になっていったことを明かした。
そして少し時間は飛んで、平成11年のiモード対応端末「F501i HYPER」発売から、またしてもケータイ史は一気に動き出す。谷氏が「誰でもインターネットが使えるようになったことは、すごく大きなことでした」と語るように、これまでPCを使ってダイヤルアップ接続でしか見ることができなかったインターネット上のwebページが、手のひらの小さな端末一つで動かせるようになったからだ。ここから携帯電話は本来の“電話”という機能とは違ったところを中心に進化し、現在までつながっていく。
例えば、同年12月には日本初のカラー液晶端末「F502i HYPER」が、平成12年にはJ-PHONEから日本初のカメラ付き端末「J-SH04」が登場したが、谷氏が「写真がカラフルに表示され、画素数が上がったことはカメラの性能が上がったことともリンクする」と述べたように、そうした新機能同士が相互作用してさらなる進化を遂げていくのも、このあたりの急速な成長に影響しているのだろう。ハード面とは別だが、このころ絵文字が流行し、MOMAに「emoji」として展示されるなど、世界的な文化の発展に寄与した部分もあった。