アニメ表現の慣習を打ち破る挑戦 門脇康平監督『我々は宇宙人』が切り拓いた新たな地平

商業セオリーを打ち破る『我々は宇宙人』

 小学生から社会人まで、翼と暁太郎というダブル主人公で送る、門脇康平監督による本作のストーリーは、説明を聞くまでもなく、監督の少年時代の記憶を辿るものだということは類推できる。いつまでも追いかけてくる月を怖がるという感受性。鉄塔を真下から眺めたり、プールに張られた水の中から空を見るという経験を、みずみずしく表現していくエモーショナルな表現が、見どころの一つだ。

 携帯ゲーム機を親に隠されることが一大事件だったり、誰と遊ぶかが重要な事柄だったり、クラスメートにドキドキさせられたりといった出来事が、エピソードの中心にくる。それは、大人になった目線で子どものドラマを描くのでなく、あくまで子どもの側の視点で世界を構成していて、気持ちがいい。

 しかしその背後では、不穏なドラマが展開していたことが、主に後半で明かされていく。そしてそれは、今度は成長した翼と暁太郎の大人の視点によって振り返られることとなる。その先では、大人になって豊かな感性を活かすことができず、生活に困窮すらする暁太郎が、唯一、人生で心の拠り所にしていた幸福な出来事さえもが揺るがされていくのだ。

 そうした暁太郎の狂気や、真に孤独な心理が、ロトスコープに加える従来の手描き手法や絵画的なアプローチによって、生理的な恐怖や悲哀にまで繋がっていることが、本作の人間ドラマや文学、そしてアートとしての奥行きを深めている。また、その後に続く演出が、本作のクライマックスにおける大きな転換となる。これまで物語には参加していなかったはずの市井の人々、子どもや傷ついた大人たちの孤独な姿が、次々と映し出される。暁太郎の人生や苦しみを描いてきた映画が、ここで一気に視点を拡散させ、世界のなかにいる無数の人々の孤独を描き始める。

 暁太郎だけが、孤独や不幸を抱えているわけではない。彼と同じように、人生のなかで何もいいことがなかったと感じている人、何にも恵まれなかった人、傷つきながら生きている人々が、この世界には数多く存在している。そして大事なのは、ある点では加害者となっていた翼もまた、心の寂しさや嫉妬によって、卑怯な行為に及んでいたという背景だ。つまり彼らは同じく、多くの人と同様に孤独な存在だったのである。

 こうした演出は、『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987年)や『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(1997年)の、やはりクライマックスを想起させる。これらの作品では、一時主人公の主観を手放し、さまざまな映像や断片的なイメージや音が流れ込み、意識が拡散していくような演出が用いられている。世界は一人のものではなく、他者の主観の重なり合いだという真実が、ここにある。

 暁太郎が救われるのだとすれば、子どもも、大人も、多くの人々がそれぞれに傷つき、暁太郎にとっても“宇宙人”のように理解不能だった翼もまた、同様の存在であったことを理解したという点なのだろう。暁太郎は、ついに彼ひとりの物語から解き放たれていく。

 “世界は、自分だけのものではない”……この当たり前の真実に気づくことが、大人になる条件の一つなのではないか。二人の別れは、いつまでもついてくる月と自分が特別な関係を持っていた、“世界を自分のもの”としていた視点からの逸脱なのである。別れの言葉とともに、それを図示し、成長することの本質を描いた、このシーンもまた非常に印象深く、見事なものだった。

■公開情報
『我々は宇宙人』
全国公開中
キャスト:坂東龍汰、岡山天音、山﨑天(櫻坂46)、松井ケムリ(令和ロマン)、槙木悠人、中込佑玖、鈴木咲、末永陽
企画・脚本・監督:門脇康平
音楽:Yaffle
主題歌: adieu 「ささくれ」 作詞・作曲:Yaffle (Sony Music Labels)
企画・製作・制作:NOTHING NEW
協力:MIYU PRODUCTIONS
配給:TOHO NEXT、NOTHING NEW
©NOTHING NEW, MIYU PRODUCTIONS
公式サイト:https://nothingnew.film/wearealiens/

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