『汝、星のごとく』の“恋愛もの”だけにとどまらない射程 15年の愛から見出せる社会構造

凪良ゆうのベストセラー『汝、星のごとく』が藤井道人によって映画化された。おなじく凪良作品である『流浪の月』にも出演した広瀬すずと横浜流星が主演を務め、瀬戸内海のとある島から始まる一組の男女を描く。島に引っ越してきた櫂(横浜流星)と、この島で生まれ育った暁海(広瀬すず)はともに家庭に恵まれず、精神的に不安定な母を支えなければならなかった。そんな共通点から2人は恋に落ち、ロマンティックな時間をともにする。しかし時が経ち、夢のために東京に出た櫂と、母のために地元に残った暁海の間には溝ができはじめていた。この映画が映しだすのは、15年という長い時間をかけた人生の“大恋愛”だ。

原作者の凪良が本作を執筆したきっかけは、映画『花束みたいな恋をした』(以下、『花束』)だったという。坂元裕二が脚本を書いた『花束』は、ごくありふれた文化系の男女カップルの5年間を描いた映画だ。本作を観た凪良は「ひと組の男女の恋愛にまつわる一つ一つの出来事を丁寧に拾っていけば、こんなに面白くなるんだなと分かった」と感じたといい、『汝、星のごとく』という物語が生みだされた(※1)。

物語の舞台やできごとが『花束』と酷似しているわけではないが、たしかに『花束』を思い起こさせる箇所はある。たとえば漫画原作者として活躍するようになった櫂が、ひさしぶりに再会した暁海について、その文化的素養の低さを嘲笑する場面がある。学生時代を終え、就職後の一変した生活スタイルのなかでいかに文化とつながりつづけるか、その姿勢の違いがひとつの亀裂を生むという展開はまさに『花束』的である。『花束』においては学生時代のように文化に触れつづけるのが絹(有村架純)で、ビジネス書の類に傾倒していくのが麦(菅田将暉)だったため、『汝、星のごとく』は性別においてこの役割を逆転させているといえる。
前提として『汝、星のごとく』には、恋愛小説という枠組みだけでは捉えられないフェミニズム的な論点が内在している。原作者の凪良自身、本作について「女性の経済的な自立」を「自由に生きていく上で外せない要素」として強く書いたと語っている(※2)。実際、暁海は精神疾患を抱える母親のケアを担う一方、就職先では女性であることを理由に昇格や昇給の機会を奪われている。凪良は別のインタビューで、自分の足で立ち、自分で自分を養うことを「人が生きていく上での最低限の武器」と表現している(※3)。暁海が置かれた状況は、個人の恋愛や家庭の問題だけに還元できるものではなく、女性が自立して生きることを阻む社会構造とも結びついているのだ。
このような問題意識を踏まえると、暁海と櫂の関係もまた、単なる男女のすれ違いとして捉えることはできない。2人はともに家庭に問題を抱えているが、その後の人生において引き受ける役割は異なっていく。櫂が創作のために東京へ出ていく一方、暁海は母親のケアを担うために島に残る。個人の選択として描かれるこの分岐には、誰が他者のケアを引き受け、誰が自分の人生や仕事を優先できるのかという、フェミニズム的な問いを孕んでいるといえるだろう。



















