ルイ・レテリエによるジャンル映画 『ザ・ラストハウス』が映し出すアメリカ社会の縮図

だが、この家族の生活を見ていると、外部の脅威とは別に、もう一つの問題が浮かび上がってくる。それが、父親と家族との関係だ。父親は、自分が家族を守らなければならないという意識を強く持っている。そして、そのためには家族全員が自分の考えに従い、同じ覚悟を共有する必要があるとも考えているように見える。生き延びるための知識や技術を教え、家族を守ろうとすること自体は間違っていない。実際、父親の判断やサバイバルの知識によって、一家が危機を乗り越えられる場面が何度もある。
ただ、その意識が強くなりすぎると、家族一人ひとりの意思や考えが尊重されなくなってくる。成長しつつある子どもたちが、父親の考え通りに行動しなかったり、別の判断をしようとしたりすると、父親は苛立ちをつのらせていく。家族を自分の考えに従わせることが、彼自身のアイデンティティを保つ材料になっているのではないかという疑問が生まれるのである。
父親が身につけてきた生存のための方法は、ある状況では確かに有効だった。しかし、状況が変化していけば、これまで正しいと思っていたやり方が通用しなくなる局面がやって来る。本作は、その先で父親が判断を迫られるシチュエーションを通して、家族を守ることの意味そのものを問い直していく。家族を守ることと、家族を自分の思い通りに動かすことは同じではないという事実に気づくことが、家族が生き延びていくための、もう一つの条件になるのだ。
そういうテーマを読み取っていくことで、本作で描かれている家族の構図を、そのままアメリカ社会の縮図として読むこともできる趣向になっていることに気づくだろう。分かりやすいのは、家族の外部に存在する怪物の扱いである。この怪物は、一家にとって正体の分からない脅威として存在しているからこそ、どうやってそれから身を守れるのか、という発想になる。
2024年、オハイオ州スプリングフィールドのハイチ系移民について、「住民の猫や犬をさらって食べている」という悪質な偏見が拡散されたことがある。地元警察は、移民によってペットが傷つけられたり食べられたりしたという信頼できる報告はないと否定し、デマだと決定づけている。にもかかわらず、こうした無責任なイメージが、多くの移民への弾圧、排除が広がる現在のアメリカの状況を正当化する言説に繋がったことは事実だろう。
少なくともスプリングフィールドにおいて、ハイチ系移民は製造業やさまざまな地域サービスで働き、人口減少に悩んできた地域の労働力を支えていた。地元の経済界や行政関係者からは、移民の増加が雇用を埋め、地域経済の再生につながる可能性を評価する声も出ていたのだ。つまり、自分たちの生活を守ろうと外から来た人々を排除するという発想を徹底させていくと、最終的には弾圧者たちの生活を支えていたものまで失ってしまう可能性があるということだ。
排外的な姿勢による連帯は、短期的には一体感を高めることに繋がるかもしれない。しかし、外部との関係を断ち切り、自分たちだけで完結しようとすればするほど、外から入ってくるものをすべて危険なものとして扱えば扱うほど、取り返しのつかない状況へと進んでいくのではないか。本作の結末で表現される家の状況は、そんな未来や現在のわれわれの社会を示唆しているのだ。
■配信情報
『ザ・ラストハウス』
Netflixにて配信中
出演:グレタ・リー、ワグネル・モウラ、ガブリエル・バルボサ、エマ・ホー、ライリー・チョン、ノア・アレクサンダー・ソスロフスキ
監督:ルイ・レテリエ
脚本:マシュー・ロビンソン
























