『映画ちいかわ』が描いた“恐ろしさ”の正体 問われる“正しさ”と残された呪い

『映画ちいかわ』が描いた“恐ろしさ”の正体

本当の悲劇と、その代償

 そして、このすれ違いの悲劇の根底にある「対話不全の恐怖」とは、すなわち「死にゆく大事な人ともう会話ができなくなること」への恐怖でもある。

 セイレーンの怒りの元凶は、人魚が殺されたことにある。セイレーンが人魚と遊んでいた……言わば神の領域でフタバが不運な事故で瀕死の状態に陥った際、逆上したヒトハが人魚を殺し、その肉をフタバに喰わせた。この時点における最大の悲劇は、不慮の事故でも、フタバが瀕死になったことでもない。ヒトハによる“自由意志の剥奪”なのだ。

 果たしてフタバ本人は「無実の人魚の命を奪ってまで、永遠の命を得て生き延びたい」と望んでいたのだろうか。その意思確認(対話)が行われないまま、ヒトハの「生きていてほしい」という強烈なエゴによって、永遠の呪いが与えられてしまった。さらに恐ろしいのは、永遠を生きる孤独に耐えかねたフタバが、今度は明らかに抵抗感を示していたヒトハの自由意志を無視し、同じく人魚の肉を無理やり食べさせるという連鎖だ。

 対話なきままにエゴが暴走し、誰も望んでいなかったはずの取り返しのつかない地点へと至ってしまう。この愛する者を生かしたいという悲しい願いと狂気は、古くは『猿の手』や吸血鬼の物語から、スティーヴン・キングの『ペット・セマタリー』、そして2026年の映画では『ブリング・ハー・バック』などにも通じる、ホラー映画において極めて王道で根源的なものとして扱われる悲劇の構造なのだ。身近の愛する者同士の間でこそ、最も決定的な対話が欠如していたという事実が、一番胸を締め付ける。

問われる「正しさ」と、残された呪い

 クライマックスにおいて、真相を察したちいかわや、セイレーンを囲んで「トドメをさせ」と叫ぶ島民たちの狂気に晒されたハチワレは、「正しさとは何か」という究極の問いを突きつけられる。

 この物語の絶妙な後味の悪さは、ある意味で「誰も悪くない」ことに由来している。伝説の存在であるセイレーンは、ちっぽけな人間の存在など気にも留めず、故意にフタバを攻撃したわけではなかった。一方のヒトハも、怯えるフタバに「大丈夫だよ」と笑いかけたように、神が戯れる場所で平気で魚を釣るという無自覚な驕りがあった。超常的な存在と不用意に絡み、厄災を引き寄せてしまったという構造であり、どちらの言い分が正しいのか、どちらの復讐が正当化されるべきなのかを判断するのは極めて困難だ。

 しかし、「正しさ」について思考を巡らせたとき、島民たちの異様さが際立ってくる。彼らは報酬を偽ってまで島外の者たちを呼び寄せて命の危険に晒し、島民の誰かが人魚を殺害したという真相が発覚した後ですら、自らは手を下さずに集団でセイレーンを殺すことしか頭になかった。そして全てが終わった後、残されたのは「行方不明者を探す」という虚妄に従って歩き続ける島民たちの姿である。

 果たして、この罪はヒトハとフタバの二人だけのものなのだろうか。いずれにせよ確かなのは、セイレーンという神話的存在の加護を失ったあの島で、もうこれまでのように作物が豊かに実ることは、決してない。

■公開情報
『映画ちいかわ 人魚の島のひみつ』
全国公開中
キャスト:青木遥(ちいかわ)、田中誠人(ハチワレ)、小澤亜李(うさぎ)、井口裕香(モモンガ)、内田雄馬(ラッコ)、淺井孝行(くりまんじゅう)、島袋美由利(シーサー)、春海百乃(古本屋)、最上嗣生(島二郎)、鈴木みのり(セイレーン)
原作・脚本:ナガノ
監督:及川啓
キャラクターデザイン:辻智子
コンセプトアート:橋本真樹
プロップデザイン:高妻匠
色彩設計:長井彩香
美術監督:眞﨑萌
CG監督:中野祥典
撮影監督:岡﨑正春
編集:高橋歩
音響監督:土屋雅紀 
音響効果:倉橋裕宗(オトナリウム)
音楽:トクマルシューゴ/上水樽力
アニメーションプロデューサー:溝口侃
アニメーション制作:サイピク
製作:川上洋一、古澤佳寛
エグゼグティブプロデューサー:松崎容子
プロデュース:今福太郎
プロデューサー:小峯雅隆、障子直登
宣伝プロデューサー:林原祥一、斎藤愛子、狩野裕明
製作幹事:QTORY inc.
配給:東宝
©ナガノ / 2026「映画ちいかわ」製作委員会
公式サイト:https://chiikawa.toho-movie.jp/
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