『風、薫る』母娘の何気ないやり取りに涙 「大家直美として来ました」に込められた覚悟

NHK連続テレビ小説『風、薫る』第84話では、直美(上坂樹里)が文(内田慈)に病の事実を告げる。看護婦としてではなく、大家直美として。いや、もっといえば、文のそばにいる一人の人間として、直美はその重い言葉を引き受けることになる。

環(英茉)から直美の様子を聞いたりん(見上愛)は、新潟から戻ると、迷っている直美に言葉をかける。これまで何度も「本当のことを伝えるべきか」という問いに向き合ってきたりんだからこそ、直美の迷いも他人事ではなかったはずだ。
意を決した直美は、文に「看護婦ではなく、大家直美として来ました」と切り出す。そして、文が胃がんを患っており、すでに手遅れであることを伝える。患者に病名を告げることは、簡単なことではない。ましてや、その相手が自分にとって特別な存在であればなおさらだ。直美の言葉には、看護婦としての判断だけではなく、文と向き合おうとする覚悟が込められていた。

だが、文は取り乱さなかった。静かにうなずき、「ありがとう、教えてくれて」と直美に感謝する。自分の命に残された時間を知らされてなお、文は直美を責めるのではなく、むしろ悩ませてしまったことを謝る。その穏やかさが、かえって胸に迫る。死を目前にした人の強さというより、これまで多くのことをのみ込んで生きてきた文の人生が表れていたように思う。
直美は、最後に何か望みはないのかと尋ねる。その後、りんと環も加わり、皆で絵双六をすることに。すると文は、お酒でも飲みたくなったと言い出す。それも葡萄酒だ。「いいですね」と同意する直美の言葉を、文がまねる。笑い合う2人の時間は、病の重さとは対照的に、どこか柔らかい。残された時間が限られているからこそ、こうした何気ないやり取りが、いっそう大切なものに見えてくる。
寛太(藤原季節)の話によれば、直美の母は一緒に逃げていた男と船に乗り、外国へ行くつもりだったという。だが、その男は文を置いて1人で姿を消してしまった。女郎屋から逃げた文にとって、この国で生きていくことは簡単ではなかった。だからこそ、文は教会に直美を置いていったのだろう。捨てたのではなく、生かすために手放した。そう言い切ってしまえば簡単だが、そこには文にしかわからない苦しさがあったはずだ。

直美にとっても、その事実をどう受け止めればいいのかは簡単ではない。母はなぜ自分を置いていったのか。ずっと心のどこかにあった問いに、ようやく答えらしきものが見えてきた。だが、それはすべてをすっきりさせる答えではない。文が直美を手放した理由が見えたとしても、離れていた時間が戻ってくるわけではないからだ。
それでも、第84話で描かれる直美と文の時間には、確かに母娘の距離が近づいていく気配があった。文は卯三郎(坂東彌十郎)に、あるお願いをする中で、直美は、いつものように文の看護を続ける。眠る文のそばで、直美も一緒になって眠ってしまう。その姿は、看護婦と患者というより、長い時間を隔ててようやく隣にいられるようになった母と娘のようでもあった。

目を覚ました文は、眠る直美の頬をそっとなでる。そして、直美の胸元に隠されていたお守りに気づく。それは、自分の髪飾りの柄と同じものだった。起きた直美に向かって、文は「ひとつだけしたいことがあります」と告げる。残された時間の中で、文が何を望むのか。そして、直美はその願いをどう受け止めるのだろうか。
■放送情報
2026年度前期 NHK連続テレビ小説『風、薫る』
NHK総合にて、毎週月曜から金曜8:00~8:15放送/毎週月曜~金曜12:45~13:00再放送
NHK BSプレミアムにて、毎週月曜から金曜7:30~7:45放送/毎週土曜8:15~9:30再放送
NHK BS4Kにて、毎週月曜から金曜7:30~7:45放送/毎週土曜10:15~11:30再放送
出演:見上愛、上坂樹里
脚本:吉澤智子
原案:田中ひかる『明治のナイチンゲール 大関和物語』
制作統括:松園武大
プロデューサー:川口俊介
演出:佐々木善春、橋本万葉ほか
写真提供=NHK























