『マンダロリアン・アンド・グローグー』は誰と戦っていたのか 空虚な戦争と父子の物語に

指導者を失っても続く戦いへの虚無感
本作において興味深く、同時に不可解でもあったのが「敵対構造」の描き方だ。マンドーが受けた当初の依頼は「容姿を誰も見たことのない、帝国軍の残党一派の指導者を探し出すこと」だった。何の手がかりもないため情報通のハットの元に向かったわけだが、その「顔のない敵」は、実はその過程で出会う、ロッタの元締めであるジャヌ卿(ジョニー・コイン)だったとあっさり明かされる。
正直なところ、この敵の正体は誰だってよかったのではないかとすら思える。本作においては、巨悪のアイデンティティそのものがあまり重要視されていないのだ。それを象徴するのが、クライマックスにおける展開である。

ハット・ブラザーとハット・シスターが甥っ子(ロッタ)との一騎打ちに負けて、地下に落ちてドラゴンスネークに丸呑みにされるという、あっけない死を遂げるシークエンス。倒すべき相手はそこで退場するのだが、物語は終わらない。そもそも、本作は最大の敵が誰に当たるのかわからないまま物語が進められていた。その時々に対峙する者と戦う構図で、最終的に“この人を倒せば勝ち”という物語としてのわかりやすい指標になったのが、最終的にハットの双子だったのだ。しかし、彼らはもともと情報提供者や依頼人という立場であったはず。なんとなく「帝国軍の残党」がその最大の敵になると思われた本作において、「彼らへの情報提供者」が倒すべき敵になるというプロットは少し興味深い。
実質的に本作における最大の敵はそこで退場したはずなのに、マンドーたちはいまだにドロイドたちの激しい攻撃を受けて窮地に陥り続ける。そこにシガニー・ウィーバー演じるウォード大佐がXウィングのファイターたちを引き連れて助けに来る熱い展開が待っているのだが、支配者を失った“僕(しもべ)”のドロイドたちとの激しい空中戦が延々と続く中、ふと強烈な疑問が湧き上がる。
「一体、いま彼らは誰と戦っているのか?」

ボスはすでに死んだ。指導者はいない。目的も思想も失われた戦場で、ただプログラムされた通りに攻撃を繰り返すドロイドと、それを撃ち落とし続けるファイターたち。この「指導者なき戦争」の描写には、空を掴むような恐ろしい虚無感が漂っている。
この「姿の見えない何かとの戦い」や「誰が敵なのか分からないまま続く闘争」は、脚本の破綻として片付けるにはあまりにも異様で、胸をざわつかせるものがあった。かつての『スター・ウォーズ』は、ダース・ベイダーやパルパティーンといった明確な「巨悪(独裁者)」を打ち倒すことで平和を取り戻す物語だった。先に述べたように、わかりやすい“この人を倒せば勝ち”があったのだ。しかし現代の私たちが直面している社会の分断や争いは、明確な顔を持った1人の悪人を倒せば終わるものではない。システム化された抑圧、アルゴリズムによって増幅される匿名の悪意、そして指導者なき群衆が引き起こす暴走――私たちが日々直面しているのは、まさに本作のクライマックスで描かれたような「顔のない敵」であり、「終わらせ方の分からない自動化された戦争」そのものではないだろうか。

『マンダロリアン・アンド・グローグー』は、ファンの熱量に寄りかかった構成や、テンポのいびつさといった荒削りな部分を持つ作品である。しかし、「父の影からの脱却」という『スター・ウォーズ』の神髄を継承しつつ、クライマックスの「顔なき戦争」を通じて現代社会の虚無を鮮烈に映し出した点は、非常に興味深い。
絶対的な悪が不在の混沌とした世界の中で、彼らに残されていたのはイデオロギーでも大義名分でもなく、ただ目の前にいる「守るべき家族(グローグー)」だけだった。そこに血のつながりは関係ない。一見、誰でも映画館に気軽に足を運び、アトラクション感覚でも楽しめるポップコーン映画としての印象が強い本作は、もしかしたら普遍的な親子の呪いと愛の物語に加えて、今の時代の空虚さをも映し出した、極めて現代的な『スター・ウォーズ』なのかもしれない。
■公開情報
『スター・ウォーズ/マンダロリアン・アンド・グローグー』
公開中
出演:ペドロ・パスカル、シガニー・ウィーバー
監督:ジョン・ファヴロー
吹き替えキャスト:阪口周平、内田雄馬、山寺宏一、駒塚由衣、稲葉実、上田燿司、乃村健次、梅田貴公美
製作総指揮:デイヴ・フィローニ
配給:ウォルト・ディズニー・ジャパン
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