『海が走るエンドロール』からみえる京アニの現在地 “フォトリアル”な美学の成長と拡大

『海が走るエンドロール』と京アニの現在地

「フォトリアル」のその先に——京都アニメーションの現在地

 京都アニメーション(以下、京アニ)が『海が走るエンドロール』のアニメーション映画を制作することが発表された。京アニというスタジオがさまざまな苦難を乗り越え、本作や『週刊少年ジャンプ』作品である『ルリドラゴン』のような大きなタイトルを手がけられるようになったことは、そのまま京アニのこれまでの歩みが実を結んだことを意味しており、喜ばしいことこの上ない。

 一方、しばしば話題になるように旧来のファンが一抹の寂しさを覚えることもまた理解できる。京アニは21世紀の日本アニメを代表する制作スタジオのひとつであり、2000年代から今日に至るまでサブカルチャーとしてのアニメ文化の中心的な役割を担ってきたことは疑いようがない。そうしたスタジオがサブカルチャーの磁場を離れ、より広範な層へ届く立場へと飛び立ってゆくことは、古くからのファンである筆者にとっても喜ばしいと同時に寂しいものでもある。

 しかし筆者は、それを京アニの「転向」だとは思っていない。むしろ『海が走るエンドロール』のキービジュアルや公開された映像、そして2026年夏に放送される『二十世紀電氣目録』のPVなどを見る限り、京アニは従来の表現をより先鋭化しながら前へ進んでいるように見える。そしてそれについて、我々は必ずしも悲観的に捉える必要はないようにも感じるのだ。

 批評家・石岡良治は、京アニの功績の一つとして、「アニメにおける取材に基づく背景の細密表現やレンズフレアなどの撮影効果を取り入れたフォトリアルな表現の『コモディティ化』をいち早く確立した」(※1)ことがあると指摘する。実際のところ2010年代を通して京アニ的な表現形式は広がりを見せ、現在ではソワネの『上伊那ぼたん、酔へる姿は百合の花』における表現にも結実しているだろう。また多くのファンが知るように、京アニの作品には実在する「聖地」へと近づけようとする美学が絶えず働いている。ただ以前に述べたように、筆者は京アニの美学は写実的表現そのものにとどまるものではないと考えている。京アニはむしろ、それぞれの作品において最も重要なことをどのように表現するかに重点を置いている。それがとりわけわかりやすいかたちで表れているのが、この「フォトリアル」な表現だろう。

 この「フォトリアル」の背後にあるのは、アニメーションというフィクションの範疇でいかに世界をリアルに描くかという想像力である。それは京アニの作品がこれほどリアルだといわれる一方でキャラクターは常に極めて「アニメ」的であることからも読み取れる。そこでは「リアルさ」とデフォルメを中心としたサブカルチャー的な「アニメ」が、双方を損なわないしかたで混ざり合っている。「フォトリアル」な表現は京アニの美学を体現する要素であるとともに、サブカルチャーとしてのアニメの領域において高い評価を得ることに貢献してきたといえる。

 現在こうした表現の最前線にいるのは『二十世紀電氣目録』だろう。公式サイトにあるように、本作は「印象派画家を思わせる挑戦的な背景美術」(※2)が用いられているという。事実PVを見てみれば、本作の背景は従来の作品とは一風変わって絵画調になっていることがわかる。

 この京アニが印象派を念頭に置いている、という事実は極めて重要だろう。印象派はごく単純にいえばそもそも光に注目することで世界を描き出すことを目指していたのであり、それは「フォトリアル」とも共鳴しているように思われる。レイアウトには忠実でありつつ撮影効果を用いる京アニの独特な映像は、写真のような写実的な映像というよりはむしろ印象派に近い想像力でフィクションに留まり、世界を描いているといえる。その意味で、京アニ的な「フォトリアル」の延長線上に『二十世紀電氣目録』の印象派風の背景は位置している。

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