『風、薫る』を通して考えるドラマの“枝葉”問題 100作以上続く“朝ドラ”だからこその難しさ

「集いし者たち」――NHK連続テレビ小説『風、薫る』第5週のサブタイトルは希望に満ちたものだった。りん(見上愛)と直美(上坂樹里)が看護婦養成所に入学した。そこに集ったのは全部で7人。
この時代では珍しい看護婦という職業を目指す奇特な者たちはりんと直美のほかに5人いた。
玉田多江(生田絵梨花)は旧幕府の奥医師の娘で、兄と弟も医者。看護師になるにあたり並々ならぬ思いがある。泉喜代(菊池亜希子)は敬虔なるキリスト教徒。32歳で7人のなかで最年長。東雲ゆき(中井友望)は子爵令嬢で女学校から養成所に転入。きっかけはナイチンゲール女史に憧れたから。柳田しのぶ(木越明)は自ら「恵まれた日本橋の呉服店の美人姉妹の四女」と言う言語感覚が風変わりな人物。看護師の服のかわいさに引かれて入学したお調子者。工藤トメ(原嶋凛)は津軽の農家出身。20歳で最年少。

元家老の娘のりんとみなしごの直美。家柄の良い者とそれほどでもない者、キリスト教に日本の宗教、年齢差も看護婦を目指す理由もバラバラな7人が最初はギスギスする。だが課題(看護婦とは何か、英語で書かれた文章を日本語に訳する)を乗り切る過程で、少しずつ警戒心を解いていく。これが第5週の概要だ。
看護にはobserveが欠かせない。このobserveの意味を「観察」に当てはめる。
「看護婦にとって、最も基本となるのは、病人がいちいち言葉にせずとも、その顔つきや、ちょっとした態度の変化から、気分や体調を察する力を持つこと」
最終的にこのような見解にりんたちは達する。そこに至るまでに、捨松(多部未華子)やシマケン(佐野晶哉)の手も借りている。
寄せ集めの集団が最初はギスギスするのはよくあることだ。さすがに最初は遠慮しておべんちゃらのようなことを言っていたら、多江がその馴れ合いを痛烈に批判。そこからみんなあけすけにものを言うようになり険悪な雰囲気になっていった。
多江と直美がきつい性格の2トップで、りんはハラハラ。できるだけ間をとろうとする。この多江と直美が唯一(唯二?)英語がわかる者だから余計に大変。文法の多江、会話の直美とそこも対立する。もっとも、このように個性がバラバラ、得意分野がバラバラなほうが、今後、看護における様々な事例にいろいろな角度から対応できるから良いのだと思う。

当時の日本では看護婦という存在に馴染みがない。患者の看護は身分の低い者がやるという認識がされていた。
だが、西洋ではナイチンゲールが「ランプの貴婦人」と呼ばれ看護婦の星のようにあがめられていた。クリミア戦争のとき、夜、ランプをもって看護活動に従事したことからその名前がついた。
第22話では、夜、直美とりんがランプの火屋(カバー)を磨いている。テーブルの上にいくつも並んだ火屋が美しい。ナイチンゲールの象徴・ランプを磨くりんと直美は、これからナイチンゲールのように看護の灯を受け継いでいく。そんな暗喩のように見えた。
そして、紆余曲折を経て、7人がトメの実家から送られてきたリンゴを分け合って食べる第25話。リンゴを食べれば医者知らずといわれる栄養のある果物を分け合うことで、自分たち看護婦が医者に代わって患者の病を看るのだという、これもまた象徴的だった。
火屋、リンゴ……こういった絵的なポイントを発見する楽しみがある。第25話、りんと直美が夜中に話しているとき降る雪も美しい。ただ、それらがやや地味で、SNSを盛り上げる力は不足している(SNSで跳ねる必要があるかはわからないが)。こういったポイントが跳ねるには、やっぱり幹がしっかりしている必要がある。『風、薫る』は幹より枝葉が多い。第5週からの枝葉を挙げてみよう。





















