安易な考察や要約を拒む物語 『椰子の高さ』がもたらす“心地良い”映画体験

本作は恋人たちの“喪失感”を起点にしていると先述した。菅元は青木という存在を失い、本来ならばふたりで来るはずだった足摺岬を訪れる。そして彼女はここで、持田(田中爽一郎)という青年と出会う。彼は2年前にこの地で恋人の凛(小島梨里杏)を亡くし、いまもここでずっと、その影を追っているらしい。癒えることのない深い心の傷──と、あえて月並みなことを言ってみる。しかし私には、その傷の深さがいったいどれくらいのものか、実際のところは分からない。凛が命を断った理由も劇中では明かされることがない。それは持田にも分からないし、ひょっとすると凛にさえ分かっていないのではないかと私は思う。
とかく私たちは他者の言動の理由を求めがちだ。こと映画などの創作物となると、登場人物の言動の一つひとつの動機を求めずにはいられない。しかし、この映画を鑑賞した直後のあなたがどんな言動を取るのか私には想像もつかないように、登場人物たちだって“理由”や“意味”にばかりに囚われたくはないだろう。これらから解放されたそのずっと先に、登場人物たちにとってのある種の自由がある。そしてこの自由を認めることが、他者の“生”や“意思”を尊重することだともいえると思う。
写真家だった凛が撮り溜めたフィルムを、持田は現像しない。彼女にとってフィルムで写真を撮る行為は、自身の生きた痕跡を物質として留めるものでもあるのだ。これに直に触れてしまえば、残された者たちは彼女の死の“理由”や“意味”を追わずにはいられないだろう。それは結果として、凛の“生”や“意思”を損なってしまうことにもなるのだから。
さて、こうしてかぎられた紙幅の中でいろいろと綴ってきたが、ここに記している内容は、『椰子の高さ』の公式サイトに記されている情報からほとんどはみ出していない。「INTRODUCTION」と「STORY」に掲載されている情報を私個人の実感で膨らませつつ、そこにいくらか言葉を継ぎ足したに過ぎない。これは本当だ。
いまの時代は“考察”と“要約”の文化に激しく傾いているが、他人の心の動きは考察しようがないはずで、個人の感情を要約なんてすべきではない。そう考えている私にとって、この映画がもたらす鑑賞体験はとても心地の良いものだった。「喪失や死を扱っているのに心地良いなんて」と、訝しむ人がいるかもしれない。あるいは不謹慎だと思う人がいるかもしれない。もしもいるならば、正直に言ってしまおう。それは観ていないから思ってしまうことだ。この作品は愛する者を失ったことによる痛みや、命の重さだけを描いたものではないのである。
主演の大場みなみをはじめ、本作に出演している俳優たちはみな、分かりやすい感情表現を排している。役を演じるうえで感情を抑制し、あらゆる装飾を削ぎ落としている。そこに立ち現れるのは、俳優たち自身の生と結実した各キャラクターの生。つまり観客にとって、誰かが生きているという実感であり、生の手触りなのである。そんな人々が立ち上げる映画/世界の輪郭に、ぜひ触れてみてほしい。そしてぜひ、その手触りについてそっと語ってほしい。あなたのもっとも身近な人だけにでいいから。
■公開情報
『椰子の高さ』
2月6日(金)よりアップリンク吉祥寺ほか全国順次公開
出演:大場みなみ、田中爽一郎、小島梨里杏、渋谷盛太、千賀健史、田口敬太、烏森まど、崔凱晨、澤真希、小島ゆうな、酒瀬川純一、庄野広樹、吉田拓央、浜口宏樹
監督・脚本・撮影・美術・編集:杜杰(ドゥ・ジエ)
プロデューサー:杜杰、福井 一夫
エグゼクティブ プロデューサー:王光樂、陳麗麗
協力プロデューサー:何祖杰
配給:ギークピクチュアズ
2024/日本/カラー/デジタル/日本語/2.00:1/Dolby Digital 5.1/99分
©︎D・UNION FILM INC. 2024
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