『ばけばけ』はなぜ3人の女性の貧困を描いたのか 寛容さと多様性に満ちた現代性

サブタイトル『カワ、ノ、ムコウ。』。朝ドラことNHK連続テレビ小説『ばけばけ』の第16週は、トキ(髙石あかり)がとうとう川の向こう、松江城のある側に戻ったあと、残されたこっち側の人たちのことを描く。
川を人生に例えることはよくある。大河ドラマは人生や時代を大きな川に例えたものだろう。『ばけばけ』の川は富裕層と貧困層を川で隔てている。昭和カルチャーをこよなく愛する筆者はこの川に『あしたのジョー』を重ねる。『あしたのジョー』に出てくる川には「泪橋」という橋がかかっていて、涙でこの橋を渡り、貧しい人たちが住む地域にやって来た人たちがいる。主人公の矢吹ジョーはボクシングで身を立ててこの橋を逆に渡ることを目標にしていた。『ばけばけ』の主人公・トキも傷心で、一家そろってこの橋を渡ってきたが、苦節数年、とうとうもう一度渡って川の向こう側に戻ることができた。
トキが長く暮らしたこっち側は貧しい人たちの生活するところ。遊郭があって、そこには売られてきたなみ(さとうほなみ)が働いていて、トキたちが暮らしていたおんぼろな長屋には幼なじみのサワ(円井わん)が母・キヌ(河井青葉)と暮らしている。
なみは「女子(おなご)が生きていくには身を売るか、男と一緒になるしかない」と言っていた。期せずしてトキはその言葉の正しさを証明した。男(ヘブン)と一緒になることで、一家そろって救われたのである。トキの家族とヘブンとの生活は『ヘブン先生日録』として新聞に毎日連載されて、川の向こうでは大人気。トキたちは憧れの的になる。
そうなると、なみもサワも「女子(おなご)が生きていくには身を売るか、男と一緒になるしかない」という言葉を強く意識せざるを得ない。おりしもなみに身請けの話が来て、心が揺れる。ふつうに考えたら身請け話に飛びつくものだと思うが、いざそんな話になったなみは怖気づく。長年、遊郭にいたのでほかの世界に行くことに不安を感じるのだ。悩んだすえ、身請けを申し込んだ福間(ヒロウエノ)の誠実さにほだされて思い切ることにする。
こっちで傷を舐め合いながら生きていこうと誘われたサワは結局とり残されることになる。だからといってサワは私も男と一緒になることを考えようとは思わない。自力で教師になって借金を返してここを出ると意固地になるばかり。

トキ、サワ、なみと3人の違ったタイプの女性たち。3人とも自分たちのせいではなく、時代の変化によって貧困を余儀なくされた。
トキは女中として働き、結婚して豊かな生活を手に入れた。なみは遊郭で性を売る仕事をし続け身請けされた。サワは結婚という選択肢を選ばず、ひとりでこの生活から脱出しようと足掻く。
3人、女性がいるのだから、「全員、結婚しました」では話にならない。そこで3つの生き方が描かれるわけだが、経済的に豊かな男性に見初められて生活ががらりと変わるという点において、トキとなみが似ている。だからといって、NHK大河ドラマ『べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜』(2025年)のように、好きな人がいるけれど泣く泣く身請けされて結局うまくいかなかった瀬川(小芝風花)のような人生を描く必要性もないだろう(ただし瀬川も最終的にはいい人生を送っているという筋立てだったが)。
制作統括の橋爪國臣チーフプロデューサーはなみについてこう語る。
「なみの物語に我々が最後まで寄り添えれば、例えば、絶望を描いても意味はあるかと思いますが、絶望させる責任まで取れない。それはさとうさんの芝居を見ていて感じました」(※)




















