『ストレイト・ストーリー』『インランド・エンパイア』で辿るデヴィッド・リンチの本質

最も極端な2作品から辿るデヴィッド・リンチ

“大きな魚をつかまえよう”

『ストレイト・ストーリー 4Kリマスター版』予告編

 一方、老人が芝刈り機で旅をする『ストレイト・ストーリー』は、一見するとリンチらしくない“普通”の映画に見える。

 登場人物はみんな、不気味なくらい善人だし(いつも鹿と衝突すると話す、風変わりなキャラクターは登場するけど)、主人公アルヴィン・ストレイトを遮るものは、老いや機械の故障といった物理現象だけ。「悪意が存在しない世界」――それは、リンチの他の作品における「悪意しかない世界」の完全な反転。だからこそ、ある種のシュールレアリスムすら感じさせる。

 リンチはしばしば、アイデアを“魚”に例える。意識の浅瀬には小さい魚しかいないが、深く潜れば潜るほど、より抽象的で純粋な大きい魚が泳いでいる。彼は1日2回の超越瞑想を通じて、意識の最深部にある創造性の源泉(彼はこれを“統一場”と呼んでいる)にアクセスし、そこで待機するというのだ。

『インランド・エンパイア 4K』©2007 Bobkind Inc - STUDIOCANAL - All Rights Reserved.

 直感によって釣り上げられるのは、必ずしも完全な物語ではなく、一つのシーン、音、ムード、あるいは奇妙なイメージの断片だ。言葉や論理では、決して説明することはできない。だからリンチは、そのアイデアを無理やり論理的な枠組みに押し込めることなく、抽象性を保ったまま、映画という言語へ正確に翻訳する。……自分でも書いていてよく分からないが、本人がそう言っているのだから仕方がない。詳しくは、『大きな魚をつかまえよう:リンチ流アート・ライフ 瞑想レッスン』(四月社)を参照されたい。

 『インランド・エンパイア』で釣り上げたのが、深海のグロテスクな巨大魚だとすれば、『ストレイト・ストーリー』で釣り上げたのは、清流を泳ぐ透き通った魚。彼はそのアイデアが「こうありたい」と願う姿に対し、極めて忠実であり続けただけなのだ。

『インランド・エンパイア 4K』©2007 Bobkind Inc - STUDIOCANAL - All Rights Reserved.

 デヴィッド・リンチがこの世を去ってから、生成AIの技術は爆発的な進化を遂げた。今や「悪夢のようなシュールな映像」など、プロンプトひとつで数秒のうちに生成できてしまう。表層的なリンチっぽさを模倣することなど、今のAIには造作もないことだろう。しかし、断言してもいい。どれだけテクノロジーが進化しようとも、AIにデヴィッド・リンチの代わりは務まらない。AIは、意識の浅瀬でしか泳げないからだ。

 対してリンチは、たった一人で暗い深海へ潜り、論理もデータも通用しない統一場から、未知なる大きな魚を一本釣りする。全てがアルゴリズムによって最適化され、効率的で、説明可能なものへと漂白されていくこの2026年において、彼が遺した“訳の分からなさ”は、人間性を守る最後の聖域として、かつてないほどその輝きを増している。

『ブルーベルベット』 ©1986 Orion Pictures Corporation. All Rights Reserved.

 『ツイン・ピークス』の表現を用いるなら、筆者はホワイト・ロッジの世界に包まれた『ストレイト・ストーリー』も、ブラック・ロッジの世界に包まれた『インランド・エンパイア』も、このうえなく愛している。『ブルーベルベット』(1986年)で、厚化粧をした男が照明スタンドをマイク代わりにロイ・オービソンの「イン・ドリームス」を口パクする、滑稽で奇妙な夜も大好きだし、『ロスト・ハイウェイ』(1997年)で、白塗りの男が「Call Me」と受話器を差し出す、あの凍りつくようなパーティも好きで好きでたまらない。

 彼が切り開いた深淵へのドアは、まだ開いたまま。 次は、私たちが釣り糸を垂らす番だ。静寂の中で、自分だけの大きな魚がヒットするのを待ち続けよう。

参照
※1. https://www.pafa.org/museum/exhibitions/david-lynch-six-men-getting-sick
※2. https://www.anothermag.com/design-living/8255/david-lynch-on-memory-chance-and-intuition
※3. https://www.francis-bacon.com/node/13477
※4. https://time.com/archive/6850999/art-screams-in-paint/

■公開情報
『ストレイト・ストーリー 4Kリマスター版』
全国公開中
出演:リチャード・ファーンズワース、シシー・スペイセク、ハリー・ディーン・スタントン
監督:デヴィッド・リンチ
製作:アラン・サルド、メアリー・スウィーニー、ニール・エデルスタイン
脚本:ジョン・ローチ、メアリー・スウィーニー
撮影:フレディ・フランシス
音楽:アンジェロ・バダラメンティ
配給:鈴正、weber CINEMA CLUB 
1999年/アメリカ/カラー/111分/スコープサイズ/原題:The Straight Story/G/字幕翻訳:関美冬
©1999 – STUDIOCANAL / PICTURE FACTORY – Tous Droits Réservés
公式サイト:straightstory.jp
公式X(旧Twitter):https://x.com/weber_cinema
公式Instagram:@weber_cinema_club

『インランド・エンパイア 4K』
全国公開中
出演:ローラ・ダーン、ジェレミー・アイアンズ、ジャスティン・セロー、ハリー・ディーン・スタントン、ウィリアム・H・メイシー、ジュリア・オーモンド、ローラ・ハリング、ナスターシャ・キンスキー、ナオミ・ワッツ
監督・脚本:デヴィッド・リンチ
製作:メアリー・スウィーニー、デヴィッド・リンチ
配給:アンプラグド
2006年/180分/アメリカ/原題:Inland Empire/カラー/ドルビーSRD/ビスタサイズ/4K/日本語字幕:林完治 
©2007 Bobkind Inc - STUDIOCANAL - All Rights Reserved.
公式サイト:unpfilm.com/empire

関連記事

リアルサウンド厳選記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「コラム」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる